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僕とカンボジア人🇰🇭の兄貴の出会いと思い出(タイ留学記🇹🇭番外編)

僕には、カンボジア人との血が繋がっており、カンボジア人の兄がいる。

ってなことはなくて、僕とこのカンボジア人との出会いは、タイでの留学先の大学である。確か、初めて喋ったのは、同じ授業を取っていて自分が留学生と気づいた向こうが喋ってきてくれたからであった気がする。以下でこのカンボジア人の子を兄貴と呼ばせてもらう(笑)。

一緒に行ったアユタヤ旅行

今では、こうして”兄貴”なんて勝手に呼んで記事を書いているのだけれど、初めに会った時の印象は別になんもなくって、ここまで仲の良い友達になるとは思ってもいなかった。むしろ、兄貴はすごい真面目な子だと思っていて、きっと自分とは合わないだろうなとまで思っていたのである(笑)

そして、何よりわずか5ヶ月ほどの留学期間でちゃんと仲良くなったのは、留学を始めてから3ヶ月目ごろだった。つまり、兄貴と遊んだりした期間はわずか2ヶ月半ほどということである。

それでも、本当に兄貴にはとても仲良くしてもらった。感謝でいっぱいである。仲良くなったきっかけになったのは、ある日滞在していたアパートの近くで行われていた祭りのようなものに、自分と他の子で行く予定をしていて、人数合わせのような形で呼んだことが始まりであった気がする。その時は、ほぼ初対面と言っても良いぐらいだったが、せっかく留学に来てるのだし色んな人と交流してみた方が良いかと思って誘ったのだ。

その日は自分ともう1人の日本人の子と兄貴とで深夜2時ぐらいまで色々喋った覚えがある。自分の住んでいたアパートでお酒を飲みながら色々とお互いの国のことを話したり、自分達自身のことを話したりした。お互いを知る良いきっかけになったんだと思う。そこで、彼は想像していた通り真面目で親切な一面がある一方で、意外にも色々ジョークを挟んできたりと面白い人なんだなと発見した(笑)。

そこからは、兄貴とその友達などと一緒に遊んだり、課題が忙しい日には一緒に勉強したりとすることが増えた。兄貴のおかげで僕のタイでの留学生活はより濃いものになった気がする。兄貴は、他のカンボジア人やタイ人の友達を紹介してくれたりと、より多くの人と繋がる機会も与えてくれた。僕は、決してコミュ障ではないけれど、でも結構人見知りで新しい人と繋がったりするのが苦手だったりする。だから、とても助かった。

放課後に図書館で勉強して、その後夜ご飯をみんなで一緒に食べたり、休日にみんなで少し遠出をしてみたりと本当に兄貴と出会ってから、交友関係も広がったし、より楽しい日々を過ごせた。そして、帰国前にはそうして仲良くなった兄貴と他のカンボジア人の友達らと一緒に、カンボジアへ旅行することもできた。本当に忘れられない思い出になった。最後、彼らとお別れをする際には涙が止まらなくなった。考えてみれば、わずか2ヶ月ほどしか知り合ってないが、ほんとに親友であり、自分の兄のような存在であった彼との出会いは、かけがえのないものであると言い切れる。

何よりも僕は、その兄貴や彼のカンボジア人の友達らの思いやりや、親切さ、助け合いの精神には本当に尊敬したし、自分もこんな人間になれたら良いなと思った。そんな風に思ったのにはちゃんと理由がある。

兄貴や彼の他のカンボジア人の友達らは、2年ほど前にカンボジアからタイへ移ってきて、同じ寮で一緒に暮らしている。彼らは僕から見る限り、とても仲が良く常に助けあってる印象だった。彼らはみんな、お互い誰も知らない状況で、タイに4年間の大学生活の為に移ってきて、今は約2年以上一緒に過ごしていると言っていた。そんな中で、彼らの話を聞いている限り、彼らはマイノリティーとしてしんどい思いをしていたこともあったみたいである。

でも、そんな彼らはそうした経験をしているからかも知れないが、タイにやってきた日本人の僕を受け入れてくれて、とても仲良くしてくれた。特に兄貴とは、びっくりするぐらい趣味・思考が違う。それに加えて、文化の違いもあるからお互いに理解し難い部分もあったと思う。それでも彼らは本当に優しい人達であった。自分もオーストラリアでマイノリティーとして過ごして、差別であったりと辛い経験をした反面、それと同時に英語が全然喋れなかった自分を見捨てることなく本当に親切にしてくれた友達がいた。それを見習って自分ももっと人に優しく出来る人になりたいと思って過ごしてきたけれど、改めてそうして人に優しくすることを考えさせられる機会になった。

彼らがくれた優しさ、他人への理解は、本当に特別だった。こんな人達に出会えた自分はほんとに幸せ者だと思うし、これからも交友関係を切らさずにいれたら嬉しい。留学というのは、本当に人の温かみに気付かされる経験だと思う。それと同時に、多種多様な人々に出会えて、自分の未熟さにも気付く。でも、こうして兄貴やその友達が自分にしてくれたように、僕も彼らのような優しさと理解に溢れる人間になりたいと思う。そして、彼らのように、誰かに良い影響を与えられる人になりたい。

そんな兄貴は、今年から日本語の勉強を始めたらしい。とても嬉しい。日本語は難しいというけれど、いつか兄貴が日本語をペラペラに喋ってる姿を将来見れたら感激である(笑)。自分もクメール語の勉強を始めてみようか、そんなことを思っている日本に帰国した自分である。

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