カンボジアで触れた世界一の忘れられない優しさ🇰🇭。これだから、この国が大好きになる。
僕は、とにかくカンボジアという国が大好きになった。
なんなら移住すら考え始めそうなぐらいである。
1ヶ月だけじゃわからんよって言われたらそれまでの話である。
しかし、カンボジアは僕にとって本当に住みやすい場所だった。
とりあえず僕のこの体験をみんなにも聞いて欲しいのだ。
カンボジアの食も街並みも人もすべてが僕にとって居心地の良さをくれた。
2023年の夏休みの大半を、僕はカンボジアで過ごし、インターンシップに参加しながら、カンボジアという国を更に知った。
カンボジアはもともと好印象しかない国だった。
タイの留学中に知り合ったカンボジア人の友達たちのおかげである。
しかし、それが更に増したこの1ヶ月半になった。
大学生の夏休みという貴重な時間を使って、カンボジアにインターンに参加したことは本当に自身にとって貴重であり、かけがえないのない財産となった。
海外でのインターンシップの経験についても後々書きたいと思う。
が、今回は僕がカンボジアで触れた世界一の優しさとカンボジア人の持つ精神について触れたいのだ。
僕は、カンボジア・プノンペンに滞在し、インターン業務の一つとして、カンボジアの公立小学校にて日本食を販売するプロジェクトを作り上げた。
今回の話は、そこで知り合ったカンボジア人のおばちゃん達の話である。
僕たちがその公立小学校で日本食を販売するために借りた場所は本当に小さなスペース。
屋根はあるけど、風通しの悪くて、すんごい蒸し暑くて、一応食堂?のような感じだけれど、日本人が想像できる食堂ではない(笑)。
そんな場所で、自分たちが借りたスペースと同じような場所で、カンボジア人のおばちゃんたちがドリンクや食べ物を売っている。
僕は、そんな場所に飛び込み、おばちゃん達と同様に、売ることを始めた。
そして、そこでの最大の問題の1つは、彼女達は全く英語が通じない。そして、僕もクメール語が全くわからない(笑)。
そんな中、急に来た日本人が隣の場所でよくわからない日本のご飯を売り始める。
こんな状況は、あまりにカオスである(笑)。
そして、何より彼女達からすれば、おそらく売り上げにも影響が出るだろう。
言葉は通じず、もしかしたら生活を脅かす存在にもなり得た、日本人の自分。
そんな自分に、カンボジア人のおばちゃん達は本当に優しくしてくれた。
僕はこの優しさを忘れられないのだ。
初めは、おばちゃん達も自分達の存在をとても怪しんでいたと思う。誰が来たんだと。カンボジア人ではない。
そして、彼女達からすれば、見たことのないものを売ろうとしている。それだけで怪しい(笑)。
そして、言葉も通じないが故に、コミュニケーションも取れないし、自分達がこんなことをしているってことも伝えれるわけじゃない。
そんなわけで最初はかなり怪しく見られてたような気がする。
それでも僕は、そんな状況は良くないと思い、とりあえずクメール語での挨拶を覚えて、毎日笑顔で挨拶することだけは必ず忘れないようにした。
そして、とりあえず「ありがとう」と言うことも忘れないようにした。
更に、毎日少しでもいいから彼女らとコミュニケーションを取った。
Google翻訳を使って、些細なことからとりあえずなんでも聞いてみて、そして自分自身もインターン先のカンボジア人などから教えてもらったクメール語をとりあえず使って喋ってみたりと出来ることをなんでもしてみた。
すると、段々心を開いてくれるようになった。
知ってるクメール語を使って喋った時には、とても喜んでくれたのだ。
日本人の僕たちであって、外国人が日本語を喋っていたら、かわいいなとかすごいとか色々ポジティブな感情を抱くものである。
そんなわけで少しずつ、日々おばちゃん達と仲良くなっていったのである。
これだけでも僕は幸せだった。
なぜなら、意味のわからない、日本から来た、クメール語の喋れない少年に、こうして優しく喋ってもらえただけでも僕は本当に嬉しかったからである。
でも、本当の優しさはこれ以上にあった。
ある日から突然、1人のおばちゃんが昼ごはんをくれるようになった。しかも、毎日である。
こんなことを言語も通じない、そしてなんなら彼女達の売り上げを脅かすようなそんな存在である外国人に出来るだろうか。
自分はここまでできる自信は全くない。
そして、カンボジアという国は、見下すつもりなどは一切ないが、やはりまだまだ発展途上の国であり、一般的な平均月収・年収というのは本当に少ないのが現状である。月収200ドル(今のレートで3万ないぐらい)ぐらいが当たり前の国である。もちろんその分、生活費も安く済むわけだが、それでも決して裕福な暮らしはできないだろう。
それでも人を助ける精神を持っているおばちゃん達。
僕は本当に尊敬したし、本当に心の底から感謝の気持ちでいっぱいだった。
自分はここまでの優しさを誰かにあげることが出来るだろうか。
良い意味で考えさせられる機会だった。
そうやって少しずつ自分を理解してもらえて、少しずつ仲良くなっていって、自分が日本にもうすぐ帰ると言った時も、本当に寂しそうにしてくれた。これだけでも僕は、ここの場所で過ごせてよかったと思えた。
たまには、空き時間におばちゃん達とビールを飲んで、乾杯したりと(笑)。
言葉も通じなくても、そこには問題なかった。言葉が通じなくても楽しめるものである。
そんなわけで僕はこんなよそ者の日本人に優しくしてくれたカンボジア人のおばちゃん達の優しさが一生忘れられないのだ。
タイで知りあったカンボジア人達の友達にしてもそうだが、カンボジア人の助け合い精神と優しさに僕は本当に助けられてきた、そして本当に尊敬の気持ちでいっぱいである。
なにか自分も含めて、日本人に欠如している本当の優しさ、人としての温かさをカンボジアの人々は持っている。僕はこんなカンボジアのカルチャーが好きだ。
そして、僕は彼らのような優しさと温かさに溢れた人間になりたい。
カンボジアに行けば、あなたも人に優しくするということについて、考えさせられるだろう。
とにかく、僕はカンボジアとカンボジア人が更に大好きになった。
カンボジアをもっと知ってもらいたい。これもまた自分の1つやってみたいことである。
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