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あなたのチームの心理的安全は、本当に発揮されていますか?

この記事はフルリモートデザインチーム Goodpatch Anywhere Advent Calendar 2020の19日目の記事です。

さて、Goodpatch Anywhereでは「心理的安全」というワードが頻繁に登場します。一昨日のAdvent Calendarでも触れられていますね。

心理的安全が有名になったのは、Googleのプロジェクトがきっかけですが、それが初めてというわけではありません。しばしば参照される定義として有名なのは、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソンの定義ですね。

Team Psychological Safety:
"A shared belief held by members of a team that the team is safe for interpersonal risk taking." (このチームでは、対人関係上のリスクをとっても大丈夫だという確信)
Edmondson (1999) Administrative Science Quarterly. 44(2)

エドモンドソンは2012年に自著「Teaming: How Organizations Learn, Innovate, And Compete In The Knowledge Economy」も出版しており、日本語で読むこともできます。

最近ようやく、心理的安全とは「仲の良さ=心地よい雰囲気が作れていること」という誤解は、解けてきたように思いますが、転じて「みんなで一丸となって複雑さや困難に打ち勝つために、アイデアをどんどん出せる、失敗も共有しあえる」受容的な雰囲気づくり、という理解が生まれている印象があります。

でもすごく嫌なことをいうと、心理的安全は、その雰囲気に対してさらに違和感を唱えられるかどうかです。

失敗や課題を分析するのはときに耐え難いことです。もしかしたら曖昧な答えしかでないかもしれませんし、誰かを責めたくなってしまうかもしれません。そんなときにも、これまで正とされてきたやり方や、これまで成功に導いてくれたやり方以外のやり方、つまり異論や代替案が常に俎上にあげられ、チームの行動原理を変えるような思考ができるかどうかが問われているのです。

一番強く機能している行動原理は、我々の専門性ですね。デザインが大事だと思っているところに、そうではない考え方をもつメンバーがでてきたとき、あなたはどう感じるでしょうか。多くの場合、反発してしまったり、説得的な姿勢になるのではないでしょうか(クライアントに対して取る姿勢がそれです)。

そもそもとして、高度な専門性を持つメンバーが集まるためにメンバーの同質性が高まっていますし、スケジュールや目標などのゴール設定の予測不可能性を下げていくことが求められるのです。つまり普通にやっていたら、心理的安全から遠ざかることが要求されるのです。

探究はするけれど、そのやり方=パラダイムは決まっている。期間もリソースも決まっているので、その範囲でできる最適解を導くことが期待される。心理的安全が求められるような状況の変化、つまり「なにをしたらいいのか判断に困るような状況」や「やり方が覆るような状況」は、忌避すべき事態とみなされているところからプロジェクトが始まるのです。私たちの日常で支配的になるのは、そうした今あるやり方=パラダイムを裏付けていこうとする、確認的な態度です。

今年はGoodpatch Anywhereという組織が成長するなかで、多くのチームで、「チームで心理的安全を高める」などのGoodpatch Anywhereの原則的態度を確認する志向性の高いコミュニケーションが行われてきました。様々な専門家をプロジェクトごとに集結させるGoodpatch Anywhereでは、プロジェクト初期に、とりわけそうしたイニシエーションが必要になってきます。しかし本来、心理的安全が発揮されている状況はその逆に「ブラック・スワン=他のパラダイムの可能性を認め続ける」探究的コミュニケーション(異論や脆弱性を認める姿勢)が行われている状況です。

より悪い状況として考えられるのは、実際には心理的安全が発揮されることのないプロジェクトで「心理的安全」の原則を確認する姿勢を強調しながらプロジェクト目標の達成が繰り返され、原則が発揮されるタイミングがないのに、原則が満たされたと考えてしまう誤った成功体験が蓄積されてしまい、しかもそれを誰も指摘しないサイロ化です。

私たちは常に「探究的であることを求め続ける」という確認的なコミュニケーションと、実際の探究的コミュニケーションのギャップと向き合う必要があります。たとえばGoodpatch Anywhereでも、一連のAdvent Calendarで示されてきたようなドグマ(パラダイム)がすでに存在します。そのドグマに異を唱えることは今、できるでしょうか?普通にしていたら、どんどん確認的になるチームで探究的であり続けるために欠かせない役割を果たすのは、皆さんはなんだと思いますか?

今年はこれまでの前提(確認的コミュニケーション)が機能しなくなる瞬間はいつでもやってくることが特に明らかになった年でした。来年は、このギャップを埋め、探究的であり続けるための方法について、発信を強めていきたいと考えています。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。

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