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ロンドンという街が教えてくれたこと

こんばんは。
約3ヶ月ぶりのnote(サボりすぎ)。
住む家もプレーするチームも、この先何をするのかも何も決めずに、洋服とスニーカーでパンパンになった大きなスーツケース(意味がわからない)を2つだけ持ってロンドンにきてから5ヶ月近く経った。
今日は晴れたと思ったらいきなり雨が降るし、4月に入った今もまだ厚手のジャケットが必要なくらい寒いし、ちょっと良いレストランに行ったら一人£100くらいあっという間に消えるくらい物価も高いけど、僕はロンドンが大好きだ。
この街には『懐の深さ』がある。
街を歩けばそれぞれが違う服を着て、電車に乗れば向かいの席一列がそれぞれ違う人種で埋まってる。
同性のカップルが手を繋ぎ、道端でキスをしてても誰も気にしない。
肌の色も信じる宗教もアイデンティティも全部違う。
みんなが多様性の中に生きていて誰かのことを「判断」も「否定」もせず、自分自身を自由に誰にも邪魔されず表現してる感じがする。
僕はそんな雰囲気にあふれるこの街が大好きでとても居心地がいい。

僕たちは時々、自分にも誰かに対しても「判断」し過ぎてしまうことがあるかもしれない。
前後の文脈を想像すらせずに誰かを判断し否定し、良かれと思って求められてもないのにアドバイスまでしてしまう。
ほとんどの人がSNSを使う今は、判断するだけでなく相手に対して直接心ない言葉を浴びせるのも当たり前のようになってしまってる。
かくいう自分自身も昔は誰かに対して少し話をして自分とソリが合わないと思うと、「あの人は自分と合わないから無理」と即座に判断し、なるべく関わらないようにしてしまっていた。(今もたまにある。)
もちろん今でもソリが合わないなと思う人はいるけども、必要以上に判断しないように心がけている。
もしかしたらその人にはその人なりの事情があったのかもしれないし、次にあったら全く違う印象を持つかもしれない。
切り捨てるのは簡単で、判断しないことは難しい。

ドイツやイギリスで暮らして自分がマイノリティの側になり、思い通りにならないことの方が多くなった。
そもそもの価値観が違う人たちと接するようになって、本当の意味での「多様性」に触れ、「判断」しすぎないことの大切さを感じた。
僕自身、もうすぐ20代を終えようとしている中で、自分の名前の由来でもあり今まで多くの時間を費やしてきたフットボールとの関わり方を悩んでるように、みんなそれぞれの事情がある。
そしてそれは一言で説明できるほどシンプルじゃなかったりする。

僕は10代の頃から幸運なことに沢山の国に行く機会を与えてもらったが、20代後半になるまでは、どこの国にいっても日本の清潔さや便利さを再認識するだけで、海外に住みたいなんて正直なところ思わなかった。
価値観の違う外国人と心から通じ合うのは不可能だし、清潔で便利なこの国がベストだと思っていたからだ。

でも沢山の経験をして便利さや清潔さだけが素晴らしいことではないと気づいたし、生まれた環境や国が違くても尊敬できる人たちや、違う価値観を持つ人から沢山のことを学び、自分自身が「判断」しすぎてしまっていたことにこの街が気づかせてくれた。

何度も言うがそんなロンドンが僕は大好きで、今のところはできるだけここに長く住みたいと思ってる。(今のところは)
海外に住めば何かすぐにやりたいことが決まったり、30歳になれば見える景色が急に変わることもないはずだ。
それでもほんの少しずつ自分自身を変化させて成長したい。

最後に僕がロンドンの中でも大好きな東ロンドンのエリアの写真を載せて久しぶりの投稿を終わります。
イーストロンドンは特にアートやカルチャーの色が強くて、自由な雰囲気を存分に楽しむことができます。
観光地っぽい感じではないけど、最高におすすめの場所です。

週末開催されてるマーケット
なんで靴が掛かってるのかは諸説あるらしいけど謎
古着屋がたくさんあるBricklane


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