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ヘチャンのPADOと、マークのMisfit

ヘチャンのPADOと、マークのMisfitについて残しておこうと思う。

NATIONの感想を書くには遅すぎるけど、あの感動はまるで昨日のことようです。
映画を見たり、U-NEXTを見たりしたので、当時のメモと合わせて書いていきます。

ヘチャンのPADOのはなし

ヘチャンのパフォーマンスってとにかく彼の俯瞰的な視点が反映されているなと感じるときが多くて、我々観客が何を見たいのか、まわりのメンバーとのバランスがどうなのかを掌握して舞台に立っているなと思います。
127、DREAM、Uのどれも見せる貌が異なり、全く異なる印象を抱くのがヘチャンの魅力です。
このNATIONは曲によりメンバーが変わるからこそ、ヘチャンの魅力をとことん堪能できる公演だったかと思います。

そんな中でもPADOは、ヘチャンの新境地として異質な魅力を発揮していたように思います。
極限までコントロールされた隙のない舞台を見せるヘチャンが、まるで自分の為だけに音楽が用意されたかのように己を解放していたように感じました。
もちろん私たち観客の為の舞台だと一番自覚している人ではあるんですが、あの曲あの瞬間だけは、音楽が体を突き動かして仕方がないというような剥き出しの感情のパフォーマンスで、血が沸騰するような感じがしました。
本能の赴くままに歌い踊るヘチャンは、間違いなくあの場所のすべてを握っていたし、誰よりも輝いていました。
とくに、テヨンと向かい合って魂のぶつけ合いのような掛け合いは本当にかっこよかったです。
ヘチャンに呼応するようにテヨンのテンションがどんどん上がっていくのがたまらなかったです。
ヘチャンにとって誰よりも尊敬するヒョンであるテヨンが、ヘチャンの歌に煽られより素晴らしいパフォーマンスを見せるなんて、本当にどこの青春映画かなと思いました。
ラスサビから最後のお辞儀まで本当にかっこよかったです。

時間がたって言語化ができるようになっていますが、生で肉眼でヘチャンのPADOを見終えたときは叫ぶこともできず、あまりのかっこよさにただただ放心状態で呆然としていました。
本当に彼は音楽の神様に愛されているんだろうなあと、そういうことしか考えられなくなる時間でした。


マークのMisfitのはなし

マークのMisfitの話をします。

凄まじい集中力の中、目を閉じてラップで表現する姿に、厳かな印象を受けました。
針の細い穴に糸を通すような繊細さと、全てを曝け出すような大胆さ。
あまりにも剥き出しの感情の発露に、言葉を失うことしかできませんでした。
FactCheckの歌詞で「俺が発火点」と歌うところありますが、ほんとその通りで、彼から音楽が生み出されていくという感覚、彼のラップでより会場のボルテージが上がっていく感覚が、このMisfitのステージでは特に色濃く感じました。

私が彼のパフォーマンスを好きなのは、彼自身の柔らかさやあたたかさに反して、ある種修行僧のような、己の力で研鑽を積み重ねていくストイックさと、今表現をしなければといった焦燥感を感じるからで、それってすごく生きているという感じがするんですよね。
限りなく自分から遠い存在なんだけど、誰もが感じたことのある感情を彼のパフォーマンスから感じるような、そういう印象を受けます。
どんどん先へ進んでいくから、もう2度と今のマークは見れないという、刹那の輝きみたいなものをすごく感じるのです。

Misfitから本編最後まで怒涛のように繰り広げられるステージの数々は、マークがNCTを背負って戦ってきた軌跡のように思えるし、まだGolden Ageは来ていないという彼の野心が存分に発揮されているように思います。


最後に

NCT NATIONは本当にシズニに対しても、メンバーに対しても、ご褒美みたいな時間だったなと思います。
彼らがこの難解なシステムの中でも、希望を失わずに強く前を向いて進んできた軌跡と、その勇気の一つ一つに賞賛を贈ることができた、そんな時間でした。
私自身、デビュー当初から応援してきたということもあり、人生の節目を彼らの曲と一緒に乗り越えてきたそんな感覚があります。
懐かしくて愛おしくてちょっぴり痛くて大切な思い出の数々を振り返って、ここまでようやくきたんだなあ、とてもとても嬉しいなあという気持ちを強く感じました。
いつかまたこのNCTに関わった全ての人に、ありがとうと伝えられるそんな場があるといいなと思います。

NCT、青春の日々をありがとう
そしてこれからもどうぞよろしくね


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