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石栗、HELIX返せ

■先日の発表でもあった通り、VAPからメジャーデビューすることになりました。その経緯のようなものもいつか追いついたら書こうと思う、担当の人、そこそこイカれてて最高なんだ。


————————閑話休題—————————



コロナ禍に入り、世間は荒んでいた、新潟のホーム、クラブリバーストも割と最初にコロナが出て結構叩かれていたし、エンタメ業界はしゃぐな、という風当たりの中、大きいイベントが中止になったり、Twitterの治安がとにかく悪くなったりして、とにかくどんよりムードだったよね、あの頃。ゾンビ映画のようなパンデミックではなかったにせよ、似たような質感というかさ。


一方ぼくはコロナの給付金で一人一律10万円が配られたのをいいことに、HELIXというすごくいいエフェクターを買って、結構テンションが上がっていた。現在進行形でレコーディングに使うと大助かりな逸品なのだけれど、そのエフェクターはいま石栗が勝手に使っていて、ようやく今年の4月に返してもらえることになっている、早く返せ。


ところで、終活クラブのマネージメントをしてくれているクラブリバーストの小林さんという人がいる、マネージャーという呼ばれ方があまり好きではないらしいので「マネージメントをしてくれている人」という謎に遠回しな呼び方を割とずっとしている、「レーベルのボス」とか、「ひろあきくん」とか、呼び方は多岐に渡るんだけどね。


何気にすごく長い付き合いになるのだけれど、小林さんは昔、わりと恐い人だった、だってそういうオーラ出してたんだもん。恐い人ってもれなくそういうオーラ出すじゃん。なので当然ぼくは、きっと仲良くなることはないだろう、この人とは...と思っていたが、仕事をやめて無職になったタイミングあたりで、無職とかおもれえ、と思っていたであろう小林さんがキャンプに誘ってくれたことで一気に距離が縮むことになる。


「お前、普通は年々音楽やる気なくなっていくのに逆に年々やる気出してくるよな」と小林さんは笑っていた、誤解してたけど、この人はあんまり恐い人じゃないんだなあ、と、そこでようやく思ったのだった。


ここで話は今回のはじめに戻るのだけれど、リバーストがコロナ禍でバー営業ばかりしていた頃、ぼくはしょっちゅうガラガラのリバーストに行っていた、わりと暇だったからだ。小林さんとはなんだかんだ毎回長いこと話をしていて、とっくに話すことも尽きていたので、少年あああああの話をして曲を聴いてもらうことにした、あわよくば小林さんのノウハウのようなものを盗みたかった想いもあったからね。


「めちゃくちゃいいじゃん、絶対バンドやった方がいいでしょ、バンド組みな」と言う小林さんに、ぼく、思いました。


「なんて無責任な」と。


そこですでに酔っ払っていた小林さんに「やったら面倒見てくれるんですよね?」と聴いてみた、我ながらなかなか良いカマし方だった。「あー、うん」というまあまあ100パーセントではない返事を間に受けて、カランカラン、始まりの鐘は鳴り、少年あああああバンドのメンバー集めが始まるのだった。


それに、薄々ぼくは思っていた、これは人生最後のチャンスなのかとしれない、と。


〜バンドメンバー集め編へ続く〜

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