21_一人ひとりが、一匹、一羽、一頭が大切にされている場所
長野県伊那市立伊那小学校の公開学習指導研究会へ。10年前に参加した時は「個」と「全体」のバランス、学級経営に関心があったけれど、今回は「生きもの」と人とのかかわり、それらを積み重ねた子どもたちの姿が見たかった。神山町で取り組んでいる「食農教育」につながる何かを得たいという気持ちを携えて。
参観して感じていることをメモで残しておきたい。
どの学年の内容も魅力的で、体が三つくらい欲しいと思ってしまう参観授業。3年生を参観。
授業場所である「湧水の森」まで徒歩で向かった。
冷たい空気で顔がヒリヒリ。到着する頃には体がポカポカ温まっていた。
担任の先生の心の内を後ほど聞くことになるのだけれど、頭で判断する前に思わず体が動くような場面に出くわした時の行動こそ、その人を表すのかもしれない。「いのち」に真摯に向き合う姿勢や、子どもたちのやり取りに見られるやさしさは、決して教えることのできないもの。ほんとうに大切なものを、大切にされていることが、子どもたちの生活を支えている。しあわせな気持ちになった。
「見取る」という言葉は学校教育の中ではよく使われる言葉だけれど、伊那小学校の実践を見聞きしてその認識をあらためた。「見取る」とは、児童の心の内を、価値判断せず、共感してありのままをわかろう(感じよう)とするもの。どのような理解の仕方をしているのか、どのように考えたのか、評価せず肯定的にとらえるということ。見取りの仕方を変えると、眼差しが変わる。(平野朝久さんの講演より)
協議会では、参加者から担任の先生へ各自が見取った児童の姿を根拠にいくつか質問が投げかけられた。担任の先生と子ども一人ひとりとの3年間の積み上げが想像できるような応答に、何度も涙が込み上げてきた。
研究協議会で畔上一康さん(信州大学)が引用されていた、矢野智司さんの体験の意義に関する記述。
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