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18_すごく大きなテーマは、すごく身近なところから達成しなければいけない

サントリー1万人の第九」の本番を終えて、帰りの高速バスの中で書いている。やっぱり本番は楽しかった! まさか第九のあとに一万人で「六甲おろし」を歌うなんてことは思ってもみなかった。さすが寅の年。「六甲おろし」を完璧に歌い切った自分にもびっくりだわ(『おはようパーソナリティ道上洋三です』を聴いて育った人です)。

ベートーヴェン作曲 第九交響曲 合唱付き。レッスンが始まった10月半ばから今日まで、たくさんの気づきと学びの1ヶ月半だった。歌詞はドイツ語。耳慣れたメロディーだけどぜんぜん簡単ではない。ソプラノパートは普通の合唱曲には出ない高音域が頻繁に登場する。つい力んでしまって呼吸が浅くなる。本番では初めてマスクを外すことができて、これまでで一番よい声が出た。気のせいかもしれないけど、自分史上最大のブラボー!!

佐渡裕さんからのメッセージ

シラーの詩とベートーヴェンのメッセージは、今の時代にもズンズンと響く。総監督・指揮をつとめる佐渡裕さんによる楽曲解説の始まりと終わりにはこんな言葉があった。

Bruder(兄弟たちよ)すべての人は支え合ってひとつになれるー200年前にベートーヴェンが未来におくったメッセージが、予言のように胸に響きます。これから第九を歌おうとするみなさんと共に、全世界の友だちに生きる歓びを届けたい。音楽と人の力をひとつに。さあ、我々の第九を創造しましょう。
〜(楽曲解説)〜
第九を合唱することは、さまざまな考え方、さまざまな幸せのあり方を認め合い、ともに生きていることを実感すること、人の絆の尊さに感謝すること。それはどんなに時代が変化しても、立ち戻ることのできる真の「歓び」です。世界中の友だち、そばにいてくれる家族や仲間、100年200年後の世界を生きる人にも届くよう、歌い継ぎましょう。

SCORE BOOK(サントリー1万人の第九事務局 発行)

今回「第九」に応募したのは9年前に受けたレッスンをもう一度受けたいと思ったから。特に、佐渡さんのレッスン。9年前は溢れ出る涙をおさえることができないほど、音楽以上の何かを受け取っていたから。なのに…待ちに待った佐渡さんのレッスン日に、なななんと佐渡さんが発熱。欠席。
がーーーーーーーん。

佐渡練 @尼崎総合文化センター

代打の池田先生のレッスンも楽しかったけれど。やはり佐渡さんのレッスンが受けたくて3日後に振替レッスンへ。今回のnoteのタイトル「すごく大きなテーマは、すごく身近なところから達成しなければいけない」は、その時の佐渡さんの言葉。

皆それぞれが「不思議な力」を駆使し、70分間でともに創造的なものを創ることにこそ意味があるのではないか。それがもっと大きなところで「歓喜(Freude)」につながっていくのではないか、今はそう思っています。

https://www.kateigaho.com/article/detail/152682

今年の第九合唱団の参加者は、21世紀生まれの人たちの割合が1割を超えていた。under25枠が初めて設けられたことで小学生の姿もたくさん見かけた。EXILEのTAKAHIROさんと「道」「Choo choo train」を歌ったのだけど、そのステージにはスーパーキッズオーケストラの子どもたちと大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部の生徒さんも登場。音楽を次世代につなげていかねばならないと佐渡さんが熱を込めて話されていたのが印象的だった。大人だけでつくる世界ではなく、子どもたちも一緒につくる音楽。6歳から94歳までが手を取り一緒に歌える第九。

評価されるための音楽ではなく、身近に思える音楽を

学生時代、わたしは2つの合唱団に所属していた。一つはコンクールの全国大会で金賞をとる合唱団(混声)。もう一つは大学の合唱部(女声)。この2つの合唱団での経験は、都度立ち返る場所になっている。

コンクールの全国大会常連だった混声合唱団の練習は、毎度とても勉強になった。ラテン語の宗教曲や現代音楽、混声ならではの楽しい編曲に触れる機会も多かったし、作曲家の委嘱演奏もしていた記憶がある。合唱曲を通じて多くの詩にも触れた。求められるものが高く「声を出さない」ことでつくられる安心もあった。指導者の先生がいなかったらあんなに素敵な音楽や響きはつくれなかっただろうと思うし貴重な学びの時間ではあったけれど、子どもたちとつくりたいのは、こういう場ではない。

もう一方の合唱団(部活)は自分たちでやりたいことを好きなだけできる場所だった。廃部寸前だったので、まずは団員を集めることから。そして定期演奏会を復活させようと、近隣の店舗や人に呼びかけてカンパを募った。会ったことがないOGに連絡を取って演奏会への出演を依頼し、OG合同ステージを企画。ピアノ伴奏はピアノ専攻の先輩にお願いした。演奏会のパンフは美術科のメンバーがつくり、衣装は自分たちで縫った。確か、当時の部員が9名。メチャクチャだったけどめちゃくちゃ楽しかった。存在感を出そうと近隣の老人ホームやホテルにも出向いてステージを持たせてもらったりもした。おばあちゃんやおじいちゃんが涙を流して喜んでくれて、歌を届けることってできるんだ!と思えた経験は当時のわたしにとっては何かがガラッと変わるすごく大きな出来事だったと思う。あまりにも昔のことでうまく思い出せないけれど。

両極端の合唱団、そして今回のようにたまたま同じ日に集まった1万人で歌う合唱団。いずれも人の評価だけが目的になると、しんどい。自分たちがつくりたい音楽の手前には、一人ひとりの音楽がある。すごく感覚的なこと、でもすごく大切なものを「第九」を歌いながらたくさん浴びた。

1万人が押し寄せる大阪城ホールの前(前日リハ)

第九の歌詞に「Alle Menschen werden Bruder(すべての人々はきょうだいとなる)」という言葉がある。日常生活で1万人を体感できる機会って、そうそうない。だから、今回の第九に参加できてよかった。一つの音楽をつくりあげるために大切なのは、「隣の人と手をつなぎ、感じる」ということ。わたしたちは一万人で手をつなぎ、肩を組み、声を合わせた。それがどんなにすごいことか! 総監督の佐渡裕さんは、全身の細胞で音楽をつくってください、とも言った。からだ全体で歌うのだと。

部分と全体、過去と今と未来を行き来しつつも、一万人で成し遂げるものごとの起点は一人ひとり。