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25_わたしの言葉を〝みんなの言葉〟にしていく道のり

新年度が始まって1ヶ月。
今年度の先生方との顔合わせは広野小学校から始まった。神領小学校は今年度から地域関係者との座談会を開催するはこび(5月初旬)。
高校の社会人講師は継続。まめのくぼへ行き、着任された先生方と一緒におにぎりと味噌汁(生徒が開発したオリジナルソーセージ入り)を食べた。なんてよい時間。

まめのくぼ:神山校が2019年から借りている圃場の呼び名

変わり続ける景色

まめのくぼで2019年から栽培している「神山小麦」は、栽培エリアを少しずつ広げている。昨年度は生物多様性活動認証(県内の高校では初)を取得し、今年度は有機JASの認証取得を目指している。毎年神山小麦を使用した商品開発を手掛ける生徒がいるので、神山小麦のレパートリーも増えてきた。当初は夢物語だったことが、行動すれば実現する、という1段階進んだ夢物語になっていく。自分たちの手でつくっていける。農業や環境への関わりを通してそんな実感が持てる場になっているなぁと、この景色を見ながら思う。

神山小麦は花ざかり(4月中旬)

今年度もこの「まめのくぼ」をフィールドにした2年生の農業科の授業を担当することになっている。昨年つくったルーブリック(評価規準)と、目の前の生徒たちの活動と、彼らが毎時間記す振り返り(記録簿)とを行ったり来たり。

水路の整備、畑の耕運、草刈りなどそれぞれの作業に勤しむ生徒たち

教育の効果や成果は目に見えづらいものだけれど、まめのくぼの定点観測写真を見ると、その場に力を注いだ生徒たちの顔が浮かぶ。高校生のバトンパスが続いている場所。

生徒たちには、授業初回のオリエンテーションでまめのくぼの開墾(2019年)からの変遷を示しつつ、これから先の何十年、何百年と続いていくリレーのバトンを、今、受け取っているのがあなたたちだと伝えた。高校の3年間よりずっと長い、はるか先へと続いていく時間軸を感じながら手を動かしてもらいたい。農業や地域の環境、それから今ある暮らし、もっと遡ると「いのち」は、先人が積み重ねてきた長い時間軸の上に成り立っているものだということを、分からなかったとしても伝えたい。

場を持つ強み

フードハブ共同代表との定例ミーティングで「場」の話題になった。
アリス・ウォータースさんが始めた Edible Schoolyard が始まって約30年。今では世界中に広がっているその取り組みを再度アメリカで見てきた真鍋さんは、「場」がある大切さを感じたという。

Edible Schoolyard 視察時のインタビュー(2017年)
農具小屋にかけられた軍手や生徒たちが制作した野菜の名札はカラフル

NPOが「場」をつくるとしたら…?という目線でEdible Schoolyard を訪問した際のインタビュー動画(2017年)を聞き返してみた。
公立の中学校に併設された学校菜園では鶏が自由に駆け回り、果実が実り、ハーブや季節の野菜が育てられている。キッチンが併設され、キッチンの隣にはコンポストも備えられていた。11歳以上の生徒が週に1時間、この場所でEdible Education の授業を受けていて、この場所の設計やデザインには生徒の声が反映されている。
学校給食とは別プログラムとして運営されているという点で、日本の学校における「食育(食に関する指導)」とは成り立ちが違う。

話を日本のわたしたちの活動に戻す。
現在、わたしたちは借りた畑と学校の畑を使って公立小学校の食農教育プログラムを実施している。日本では、学校給食を「生きた教材」として取り扱えるよう給食食材の地産地消を推進し、食に関する指導を学校全体で進めていきましょう、という流れがある。より一層の「食育」の推進を目指して栄養教諭の配置が2005年から始まった。栄養教諭という名称があらわすように、栄養指導に手厚いのが日本の食教育の特徴とも言える。
神山町内では、子どもたちが暮らす「場」が生まれている。2022年に開校したオルタナティブスクール「森の学校みっけ」は、そのフィールドで豊かな学びと暮らしが展開している。
神山校の学生寮「あゆハウス」の生徒たちは小屋を建てて鶏を飼い、次はピザ窯を作ろうとしている。
活動が蓄積していく「場」を持つことは、地域の人と周囲の環境にかかわるとても良い方法だとつくづく思う。

小学校の食農教育、森の学校みっけや神山校のフィールドまめのくぼの様子、さらには神山まるごと高専の給食づくりまでを網羅している「スクールフード・フォーラム」(2023.10開催)のダイジェスト映像が完成した。2日間のプログラムを10分間にまとめてる、と聞くと10分が短く感じられるかもしれない。見てね。


わたしたちの言葉をつくる

すべての子どもに食農体験の機会を。そんな願いを持って町内の公立小中学校での体験機会をつくってきた。人は経験していないことを認識しづらい。そんなふうに自分自身が感じているからこそ、生きていく上で欠かせない食の営み、第一次産業やそれらを支える資源の循環を子ども時代に経験してほしい。

メンバーと「なぜ食農教育?」「なぜ学校と?」「どんな未来を描いてる?」など、ざっくばらんに話している。昨年の調査を通して学校給食の仕組みがおおよそ理解でき、メンバーとの共通言語が増えた。結果として地に足ついた話ができるようになった。
半年前に参画したメンバーに、NPOに関わる人たちが使える言葉が必要だよね、と言われてその言葉づくりのプロセスに熱心に関わってもらっている。樋口個人の言葉ではなく、メンバーが使える言葉、まちの人が話せる言葉にしていくのが「まちの食農教育」になることだと聞いて、その通りだと思った。とても根気のいる作業だし、時間がかかる。設立当初からずっとやってるし、あぁまだ終わってないんだ…とまた思う。NPOの方位磁針をもつために必要な道のり。今日は「食農教育はあくまでも手段だ」という話で終わった。

当たり前の経験が、芯になる

数日前、地方の教育に関心があるという20代の女性と話す機会を得た。彼女はいわゆる過疎地域の小中学校、そして高校を卒業後、進学を機に都市部へ出て、そこで初めて周囲の友人たちとの「違い」を感じたそうだ。「田舎で育ったことに引け目を感じた」とも言っていた。でも、他地域に出て背景の異なる人たちに触れて、初めて自分や生まれ育ったまちの良さや都会にはない地域の豊かさに気づけたという。自分の中に当たり前と思えることがなければ他との違いにも気づけない。「子ども時代の当たり前って、すごく大事なんですよ!」と話す彼女が、食農教育を受けて大人になった未来の子どもたちと重なった。

新緑の季節は空気が一段とおいしい気がする。空の広さ、草木の匂い、夕暮れどきの空色の変化、何本も走る飛行機雲。足音が聞こえると吠える犬、逃げる猫、いつものんびりしている牛舎の牛、その匂い。

中村桂子さんにお話を伺ってから、生き物への関心が右肩上がりで高まっています。