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「思い出」と呼ぶにはあまりにも苦い

先日、上京して最初に住んだ街の近くを訪れるタイミングがあったので、せっかくの機会だからと足を延ばし、14年ぶりにその街を見て回りました。

2010年、18歳から19歳の1年を私はその街の学生寮で暮らし、毎日大学に通い、初めてのアルバイトも経験しました。
訪れてみると、14年たった今でも当時住んでいた学生寮はまだあったし、駅周辺もおそらく大きく変わっている様子はありませんでした。

ただ驚くほどに、私はその街のことをなんにも覚えていなかったのです。

寮から駅までの道のりも、駅周辺も、よく通っていたはずのコンビニも、なんなら寮の外観さえも、何も覚えていなかった。
「懐かしい」という感情すら湧いてくることはありませんでした。

思い返してみると、その街に住んでいた1年は、私にとって苦い記憶の多い日々でした。

上京してすぐに高熱を出して3日間寝込んだとき、同じ寮の子が心配して部屋を訪れてくれたけれど、そっけない態度で追い返してしまったこと。
寮の食堂で目玉焼きが出て、かけるものがお醤油しかなかったこと。(おたふくソースじゃないの!?という衝撃)
夜真っ暗な寮の廊下を歩いてトイレに行くのが怖くて、膀胱炎になってしまったこと。
アルバイトでミスをして落ち込んで帰ったこと。
部屋にゴキブリが出て大泣きしたら、隣の部屋の人に壁をドンドンされてしまったこと。
とにかくお金がなくて、頭の中で常にお金の計算をしていたこと。
たくさんの眠れなかった夜のこと。

きっと私はそんな当時の記憶を、知らず知らずのうちに住んでいた街の記憶ごと消してしまおうとしていたのだと思います。
人生で初めて親元を離れ、学生寮で見知らぬ人たちと暮らしながら大学に通い、初めてのアルバイトでお金を稼ぐことの大変さを思い知った、あの1年。

人間って不思議だな、と思いました。
記憶力はいい方なのに、そんな私でも嫌なことやつらいことは忘れようとするんだな。

でも単に「つらかった日々を思い出した」というよりは、「こんな風に振り返ることができるようになって良かった」という安堵感の方が強くありました。

きっとこの14年の間にも、その街を訪れることのできるタイミングはあったのだろうと思うのです。
でも、私は一度も訪れなかった。
そして今、久しぶりに訪れてみようという気持ちになった。

私はちゃんとあの日々から脱したんだな、と思いました。

あれからいろんな人と出会って、いろんな人の力を借りて、いろんな経験をして、もっとつらいこともたくさんあったけれど、今こうして穏やかに当時を振り返ることができるまでに至った。

そのことが、とてもとても嬉しかったのです。

まあ嫌なことやつらいことはこれからもまだまだあるだろうとは思いますが、この分だと結構忘れられそうなので大丈夫だな、となんとなく自信にも繋がりました。

14年経った今、あの街を、あの日々を訪れて良かった。
訪れて良かった、と思えるようになっていて良かった。

とはいえ、当時のことを「いい思い出」と呼べるようになるには、まだもう少し時間がかかりそうですけどね。

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