藤村聖子 Shoko Fujimura

俳優/脚本/1991年生まれ/兵庫県出身/お転婆な気にしいです。

藤村聖子 Shoko Fujimura

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親友が元親友になった日

その昔、家同士が近所で小学校入学直後からとても仲の良かった【アキちゃん(仮名)】という友人がいました。 アキちゃんとは成長と共に徐々に疎遠になり、別々の高校に進学したのをきっかけにそのまま一度も顔を合わせることなく大人になったのですが、つい最近、別の友人からアキちゃんが私の連絡先を知りたいと言っているのだが教えてもいいか、という連絡をもらいました。仲良しだった聖子ちゃんが今どんな風に過ごしているのか近況が知りたい、とのことで。 私は悩みました。 実はアキちゃんと疎遠になって

    • 野球選手がみんな年下になっても

      テレビでインタビューに答える甲子園球児たちがいよいよ全員年下であることを認識したあの瞬間、結構な衝撃じゃありませんでした? 私今でも驚きますもん、え〜全員一回り以上年下なの〜?って。(いい加減慣れろ) 当たり前ではありますが、年々スポーツ選手がみんな年下になっていきます。 私は野球が好きでよく観ているのですが(大の阪神タイガースファン)、プロ野球に関しても結構な割合で自分よりも年下の選手によってチームが構成されるようになってきました。 未だ何者でもない自分のことを思うと、

      • やったことないけど多分できる

        私、昔から足がめちゃくちゃ遅いんです。 高校生のとき50メートル走のタイムが遅すぎて、友人から「え、50メートルの間になにしてたん?道草食いすぎやろ」と言われたことがあります。(関西人って面白いこと言いますよね) 足が遅いだけじゃなくて基本的に運動はあまり得意ではなく、部活にも入ってはいませんでした。人数が足りなくて試合に出られないからと、誰彼構わず部員の勧誘をしていたはずのソフトボール部の顧問の先生に、「お前だけはいらん。カマキリが立って走ってるみたいな走り方しよって」

        • 「思い出」と呼ぶにはあまりにも苦い

          先日、上京して最初に住んだ街の近くを訪れるタイミングがあったので、せっかくの機会だからと足を延ばし、14年ぶりにその街を見て回りました。 2010年、18歳から19歳の1年を私はその街の学生寮で暮らし、毎日大学に通い、初めてのアルバイトも経験しました。 訪れてみると、14年たった今でも当時住んでいた学生寮はまだあったし、駅周辺もおそらく大きく変わっている様子はありませんでした。 ただ驚くほどに、私はその街のことをなんにも覚えていなかったのです。 寮から駅までの道のりも、

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        親友が元親友になった日

          説教おじさん

          なんだか攻撃的なタイトルですみません。 きっと誰しもが出会ったことがあるであろう説教おじさん。 説教おじさんですらも、かつて説教おじさんに出会ったことがあるのではないかと思います。 私は昔からありとあらゆるおじさんに、簡単に説教されてしまうタイプでした。 仕事で会う偉いおじさんには、必ずと言っていいほど初対面でも説教されるし、若い頃はその辺の飲み屋で近くの席に座っただけの見知らぬおじさんからも、説教されることが度々ありました。今はSNSのDMなどで、知らないおじさんから「

          みんないろいろ事情がある

          幸せそうに見える人や、人生において苦労をしていないように見える人でも、実はぞれぞれに色々な事情を抱えているものであると、わかるようになったのは比較的最近の話です。 私が今よりももっと世間知らずだった頃は、極端なことを言うと‘‘自分以外の人はみんな楽な人生を歩んでいる’’と思っていたし、それゆえに‘‘自分ばっかり’’という被害者意識のようなものが強くありました。 自分にとって納得がいかないことが起こったときにも、相手にも事情があるなんて想像できなかったがために、私には【ゆるせ

          みんないろいろ事情がある

          なんでもいいから食べるのよ

          ちょっとおかしなことを言うようですが、私は子どもの頃から「食べる」という行為があまり得意ではありませんでした。 大人になった今でも、食べることに対して漠然と「向いていないなあ」という苦手意識のようなものを持っています。 子どもの頃は家で何時間もかけてご飯を食べることがよくあったし、給食も一番最後まで席に残って食べているタイプの子どもでした。 とにかく飲み込むのが下手で(あまりにも飲み込めないのでおそらく喉の構造が人と違うのだろうとすら思っている)、加えて胃下垂なので一度に

          なんでもいいから食べるのよ

          だって仕方ないじゃん

          年々苦手な人が減ってきたような気もするし、増えてきたような気もするし。 昔よりも人に嫌われたくないような気もするし、嫌われても気にならなくなったような気もするし。 皆さんもそうなのでしょうか。 年齢が上がるにつれて、なんとなく他人が自分に対して与える負の影響が少なくなってきたなとは思うんです。 「傷つけてやろう」みたいな悪意が相手にあったとしても、昔はいちいち反応して泣いたり怒ったりしていたのが、今はただただ「ふーん」みたいな。 「あなたよりも上に立ちたい」という競争心の

          だって仕方ないじゃん

          サヨナラが苦手

          まあサヨナラが得意な人なんていないのかもしれませんけれども。 私の場合は人との別れだけではなく、物の状態や環境が変化すること自体もあまり好まないようなところがあるのです。 例えば、電車の中で買ったばかりのワインボトルを落として割ってしまったおじいちゃんを見たとき、「ああ、あのワインはもう二度と買ったときの状態には戻らないんだな」とすごく悲しくなってしまったことがありました。 日常において【もう二度と前みたいには戻らない】が発生するのがとにかく苦手なのだと思います。 もちろ

          私は邪悪なのかもしれない

          知ってはいるんです。 大人というのは、本当に思っていることは滅多に口に出さない生き物である、ということは。 だけど、時々不安になるんです。 例えば、コミュニティの中にあまり仕事をしない人がいたとして、その人のせいで周りが迷惑を被るようなことがあったとしても、その人以外で集まって話すときには「あの人はちょっと要領が悪いところがありますもんね、、、」ぐらいにみんな留めるじゃないですか。 私は大抵そういうとき【いい加減にしろよクソがあああああああ!!!!!!】と、それはもう平手

          私は邪悪なのかもしれない

          最近なんかツイてる

          私のこれまでの人生といえば、 【不意に触った手すりはいつもベタベタ】 【目の前の人が改札に引っかかる確率は3割超え】 【毎日きちんと持ち帰っていた重たい教科書を、たまたま靴箱に入れて帰った日に限って先生に見つかって反省文】 【友人数名と釣りに行っても私だけ0匹】 【みんなやっていることなのになぜか私だけが許されない】 【選ばれたくないな〜と思ったことに関してはいつも選ばれる】 【選ばれたいな〜と思ったことに関してはいつも選ばれない】 そういう自他共に認める運の

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          人を馬鹿にするのは簡単だけど

          高校3年生のとき、学年トップの秀才と1年間席が隣同士でした。 彼の頭の良さはそれはもう群を抜いていて、もちろん高校卒業後はとんでもなく賢い大学に進学したのですが、私は高3の1年間そんな彼に苦手な数学を度々教えてもらっていたんです。 秀才である彼にとっては簡単であるはずの問題に対して、私がどうしても解けないからと永遠に質問を繰り返しても、彼は私のことを一度も馬鹿にすることなく、私が理解するまで毎回丁寧に教えてくれました。 当時はありがたいな〜ぐらいに思っていたのですが、よくよ

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          アサイーボウルを食べました

          やりました。 このほど遂に、アサイーボウルを食べてみました。 先に謝ります。 全世界のアサイーボウル好きの皆さん、本当に申し訳ありませんでした。 私はアサイーボウルを完全にナメていました。 「味がないものを食べたいという感情がわからない」 「結局は身体にいいとブームになっているから、みんな食べているだけだ」 「きっと本当に食べたいのは、フルーツでありアサイーではない」 などと、この前の記事でグダグダ話しました。 しかし、真実は違いました。 アサイーボウルめちゃくちゃ

          アサイーボウルを食べました

          世の中は理不尽なことばかりだから

          生きていると、理不尽だなぁと思うことにたくさん出くわします。 人によって態度を変えるおじさんや、わがままを無理やり通そうとするおばさん、自分が悪いのに怒り始めるお兄さんや、他者に対して自分と同じだけ嫌な思いをさせようとするお姉さん、同調圧力によって個人を黙らせようとする組織、でも自分だけはいい思いをしようとする偉い人たち…本当にたくさんの理不尽に出くわして(私は彼らのことを人や組織ではなく‘‘理不尽そのもの’’と認識している口ぶり)、毎度毎度嫌になります。 でも、皆さんも

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          【予定が入っている】というプレッシャーに私は勝ちたい

          また、ややこしいことを言います。 友人と遊ぶ予定があるとして、その予定が楽しみであることは間違いないのに、心のどこかで「中止にならないかなあ」と思ってしまう自分がいるんです。 楽しみなんです。嘘じゃないんです。でも、中止になってもいいという気持ちも嘘ではないんです。 行ったら楽しいんです。絶対に行ってよかったなって思うんです。でも、行く前だけはちょっとだけ行きたくないんです。 友人にこれを話すと、どういう意味!?と毎回言われてしまうのですが、おそらく私は、【予定が入って

          【予定が入っている】というプレッシャーに私は勝ちたい

          大人ぶってしまって(大雪編

          先日の大雪、皆さんお怪我などありませんでしたでしょうか。 大変驚きましたね。私も、何度も何度も窓の外を覗きに行ってしまいました。 あの日私は仕事をしていて、夜までの予定だったので無事に帰れるかどうか心配しつつも、どのくらい積もるのかなあなんて、心のどこかで非日常感を味わっていました。 すると、突然仕事仲間である20代男子が隣にやってきて、興奮気味に言うのです。 「僕、今めっちゃ雪に興奮してるんですけど!!!!!!!皆さんはそんなことないんですか!?!?!?すごくないです

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