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第1話 漫画みたいな話(1)

 四月一日。
 入学おめでとう! って書かれた黒板が目立つ教室には、新しいクラスメイトたちのにぎやかな声が響きわたっている。
 キャラメルみたいな色のブレザーに、深緑色っぽいチェックのスカートとズボン。胸元に羽根をイメージしたエンブレムが縫いつけられた制服は、はばたき学園のものだ。
 
 ……まさか合格してたなんて。入学式が終わった今でも信じられない。
 だって、はばたき学園って――。

「部活。救助ってのは決めてるんだけど、海か山か、どっちにするか迷ってるんだよな」
「うーん、かけもちもありなんじゃねえ? ……俺? 消防部」
「わたしは調理部のスイーツ系グループ! 一流のパティシエになりたいの」 

 聞こえてくるのは『部活』の話ばかり。
 それもそのはず、はばたき学園は「なりたい自分になるための」場所。放課後、部活として職業訓練が行われている特別な高校なのだ。
 医療やレスキュー関係、スポーツや音楽、アイドルの仕事まで学べる、大人気の難関校。受験で面接が重視されるっていうのは有名な話なんだけど……。

(あんな受け答えをしたのに、どうして合格できたんだろう?)

 入学したからには司法部(法律関係の仕事を目指す部活のこと)に入るけど、嘘をついてるみたいでなんだか気まずい。

(にせものの夢……。私、本当は弁護士になりたくないのかな)

 自分の気持ちがよくわからない。

「……はあ」

 部活紹介の分厚い冊子をめくりながら、自分の席で思わずため息をついた。これから、私たち新入生は興味がある部活の体験入部に参加することになってる。

(こんなにモヤモヤした気持ちなの、私だけだろうな)

「ねえ。泉ちゃんは、何部に入るの? まだ聞いてなかったなあと思って!」

 すぐ近くで聞こえた、お菓子みたいに甘い声。クラスメイトでルームメイトの愛来あいらちゃんが、うしろの席からひょこり顔を出した。

 はばたき学園は全寮制で二人部屋。どんな子と同室になるのかすごく緊張してたけど、愛来ちゃんは初対面で明るく話しかけてくれたからほっとした。
 両耳の上でつくったお団子に赤茶色のリボンをつけてて、大きな目とぷっくりした唇がすごくかわいい。声優志望なんだって。

(部活の話は避けてきたけど、さすがにもう限界だよね)

「司法部に入るつもりだよ」

 振り返って答えると、愛来ちゃんはきょとんとした。

「しほう部って? どういう字?」
「司る、法律……で司法部」
「あー、なるほど。それで? 泉ちゃんは何になりたいの?」
「……弁護士……かな」
「弁護士!? 泉ちゃん、大人っぽいし賢そうだから研究系かなあって思ってたけど……弁護士……すっご~い!」

(……賢そう、か)

『夢咲さん、エリートだもんね』

 小学生のとき、クラスメイトが楽しそうに話す陰口を聞いてしまった。成績がよくて将来の夢が弁護士で、アイドルやアニメの話に加わらない私は、周りを馬鹿にしているように見えていたらしい。

 会話に混ざれなかったのは、お父さんがニュースやドキュメンタリー以外のテレビ番組を見せないようにお手伝いさんたちに言いつけてたからだったのに。
 なかには「ないしょで見ますか?」って聞いてくれるお姉さんもいたけど、約束を破るのは悪い気がするし、お姉さんが怒られたらかわいそうだから断ってた。

 テストでいい点をとるたびに、図書館で本を読むたびに、もっとエリートっぽくなっていくのがわかった。だけど、イメージをどうやって変えればいいのかわからなくて……。
 そのまま中学生になると、みんなが私に遠慮しているのがわかった。先生たちからは信頼されていた気がするけど、クラスメイトたちからは「夢咲さんは特別だから」「私たちとは違うから」って一線を引かれていたように思う。
 無視されたりのけ者にされたりすることはなかったけど、修学旅行の班決めはメンバーの足りないところに混ぜてもらう……そんな感じの三年間だった。

 部活も、在籍しているだけでいいようなところで、放課後は塾や習い事に行く……。ようするに、いてもいなくてもいい存在だった。

 高校では変われるのかな。
 ……変わりたい、のかな。私。

(……とりあえず、愛来ちゃんに嫌な思いはしてほしくない。同じ部屋で過ごさせてもらうんだから、もっと愛想よくしないと)

「目指してるだけだからすごくないよ。それに、大人っぽくも賢そうでもないし」

 大失敗。
 冗談っぽく返すつもりだったのに、ニコリともできなかったのがわかる。

(今のじゃ、ただの嫌みっぽい人だよ……)

 だけど、愛来ちゃんは全然気にしてないみたいだった。

「え~? サラサラ黒髪ロングに、すっきりした目元。プラス、右目の下の泣きぼくろでしょ~? クールビューティーって感じでめっちゃいいよ! 前髪、わたしも斜め分けしたいんだけど、結局いつもぱっつんにしちゃうんだよね~」

 本心で言ってくれてるのが伝わってくる。

(……愛来ちゃんとなら、友達になれるかもしれな……)

 バタン!

「失礼しま~す!」

 教室の前の扉が開いたかと思うと、ゆるーい声が聞こえてきた。
 入ってきたのは、イマドキっぽい男子生徒だ。ほどよくふわっとした茶髪は美容室帰りみたいにキマッてて、背が高くてすらっとしてる。
 ネクタイが赤だから二年生。つり目で唇の端がきゅっと上がった、猫っぽくて綺麗な顔をしてる。

(……どこかで見たことあるような……)

「だれ!? めっちゃイケメンじゃない!?」
「スタイルいいし、モデル志望かなっ?」

 近くにいる女子たちの、ヒソヒソしきれてない声が聞こえてくる。
 そんな教室のざわめきなんておかまいなしに、先輩はチョークをひょいと手に取ると黒板にでかでかと文字を書いていく。

『二年A組 羽岡はねおか天馬てんま ヘアメイクアップアーティスト志望
 サロン・エスポワール営業中 ここ!』

 矢印の先にざっくりした地図を書くと、先輩はくるりと私たちに向き直った。

「みんな、合格おめでとう」

 口元をゆるめただけの笑顔が、なんだかすごくお兄さんっぽい。
 ズキュン! って女子みんなのハートに矢が刺さったのが見えた気がする。この人、すごくモテるんだろうな。

「男子も女子も大歓迎。グチでも悩み相談でもなんでも聞くから、いつでもおいで。アイドル並みにかわいい二年が待ってるぞ~」

 羽岡先輩がカットを含むヘアメイク、もうひとりの先輩がネイルとアロマで癒やしてくれるらしい。

(なるほど。お店の宣伝だったんだ)

 はばたき学園には、部活の他に「グループ活動」っていうものがある。
 気が合う仲間同士でお店を開いたり、番組や雑誌をつくったり。学生事務局に相談して認められると、店舗や活動場所を準備してもらえるのだとか。

 ちなみに、学園では「ウイング」っていうお金を使って物を買ったり食事したりすることができる。全員が自分の口座(金融関係志望の生徒が、本物の銀行員と一緒に管理してくれてる)を持っていて、部活やテストを頑張ると給料として入金されるのだ。

「いきまーす!」
「カット無料ですか~?」 
「まさか! きっちり千五百ウイング払ってもらう。学園内の最低料金だから、よーく覚えておくように」

 あはは! って教室中に笑い声が溢れて、一気に明るい雰囲気になる。

 そのかわいい先輩、彼氏いるんですか~? とか、付き合ってるんですか? とか、みんながワイワイ盛り上がっているなか、私は部活紹介冊子に視線をもどした。

(気さくな先輩なんだろうけど、私にとっては遠い世界の……)

「そこの黒髪ロング、クール系女子」

(ん?)

 まさかと思って顔を上げると、羽岡先輩とはっきり目が合った。

「サロンのイメージにぴったりすぎる……というわけで、アシスタントに採用だ!」
「……え?」
「かけもちオーケー。これで断る理由はないよな?」

 ずんずん、先輩がこっちに向かって歩いてくる。
 しかも、なぜか自信たっぷりな笑顔で。

(な、なんなの……!?)

 席に座ったまま固まっていると、先輩は教師みたいな口ぶりでこう言った。

「Stand up, please.」
「い、yes……」

(じゃない! 発音がいいからつい答えちゃったうえに、立ち上がっちゃった!)

「おー、案外ノリいいじゃん。というわけで、体験入部に来るように」
「え? で、でも私……」
「百聞は一見にしかず。習うより慣れよ。案ずるより産むが易し。あとは……論より証拠? ……ちょっと違うか」

 先輩は私の鞄を机のフックから取ると、自分の肩に掛けた。

「ええと……」
「ようするに、来ればわかるってこと」
「!?」

 急に手首を掴まれたかと思うと、ぐいっと引かれた。先輩が走り出すのにつられて、私の足も動く。

「きゃー!」
「え? なに? 少女漫画じゃんっ!」

(え……え? なにこれ……!)

 思い切って大声を出したり踏ん張ったりできなかったせいで、注目を浴びながら教室を飛び出すことになった……! 

 ざわざわ……。

 すれちがう生徒や先生の視線を集めつつ校舎から飛び出した先輩は、駐輪場でようやく私の手を離した。黒いオシャレ自転車を引いてやってくる。

「うしろに乗って」

 自転車には荷台がついてる。ここに座れってことだよね……?

(そんな、なんか……付き合ってる人たちみたいな……。……こういうのって日常的にあることなの? 私、身構えすぎ? ……いや、無理無理……)
 
「やっぱり私、帰りま……」
「今教室に戻ったら、質問攻めになるんじゃない? そういうの嫌いそうだけど。どう?」

(うっ……)

「……乗ります」
「よくできました」

 自転車にまたがった羽岡先輩がにっこり笑う。
 だけど……あの、本当にわからない。

「……これ、どうやって座ればいいんですか……? 自転車の二人乗り、したことなくて……」

「あー。正面向いて座ってくれたらいいよ。横だと落ちそうだし」

(落ちそう……? まさか、スピード出すわけじゃないよね?)

「……わかりました」

 大人しく言われたとおりにすると、こっちを軽く振り返った先輩がありえないことを言った。

「俺によくつかまって。腰んとこ、しがみついていいから」
「……え、大丈夫です……」

(密着するとか無理)

「……あの、そんな嫌そうな顔するのやめて? 傷つく……」
「! すみません……」
「掴まんないと落ちるからね? マジで」
「……はい」

 おそるおそる腰に腕を回すと、正面を向いた先輩が笑った気がした。

「んじゃ、出発するぞ」
「は……きゃっ!」

 先輩がペダルを踏み込んだ瞬間に、グンッ! て身体が引っ張られた気がした。両脇に植えられた桜の木の枝が大きく揺れて、ぶわあって花吹雪が起こる。

(ものすごいスピードなんだけど……! しゃべったら、舌かんで死んじゃうかも……!)

 私は先輩の背中にしがみついて、唇をぎゅっと結んだ。
 ビュンビュン変わっていくのは、大きさも色もちがう建物が並んでるカラフルな景色。私の家がある町よりずっと栄えていて、これが全部学園の中だなんて信じられない。

 はばたき学園はひとつの街をイメージして作られていて、授業を受ける校舎や図書館、寮のほかに、放送局やレストラン、救急センター、コンサートホール……職業体験をするための施設がそろっているのだ。

 やがて先輩が自転車を停めたのは、小さな橋のすぐ手前にある建物の前だった。
 レモン色の壁に茶色い屋根と玄関扉。ほっこりした雰囲気で、ひし形の窓がおしゃれ。屋根裏部屋つきの2階建てだ。

「とうちゃーく。はい、降りて」

 あれだけ爆走したのに、先輩は息ひとつ切れてない。
 
(きたえてる……のかな? 美容関係志望だけど、オシャレ男子のたしなみ……みたいな? ……って、そんなことはどうでもいいの! わたしにアシスタントなんて絶対に無理だよ)

 司法部うんぬんの間に、私は人と話すのが苦手なんだから。
 気に入ってくれた(のかな……?)のは嬉しいけど、仕事を手伝ったりだとか、お客さんの案内をしたりだとか、うまくできるわけない。

「申し訳ありませんけど、お断りしま……」

 って、先輩もう歩きはじめてる!

(……仕方ない。中に入ってすぐに断ろう)
 
 カランコロン

 玄関扉が開くと、木琴を叩いたみたいな音がした。扉を押さえてくれてる羽岡先輩に小さく頭を下げて、とりあえず中に入る。

(わあ……本格的……)

 縦長の大きな鏡に向かって置かれた、肘置き付きの椅子。近くにはくすみカラーのワゴンが置かれてて、クロスの下からドライヤーが覗いてる。
 シャンプー台の向かい側にはひし形の窓があって、そこから差し込む光に照らされてるのは、白いテーブルセットだ。
 たぶんネイルをするときに使うのかな。テーブルには引き出しがついた収納ボックスが置かれてる。

(席がひとつだけなのも、隠れ家サロンって感じで素敵。それに、なんだかいい匂いがする……棚に並んでる小瓶はアロマの……って、うっとりしてる暇はないんだってば!)

「めぐるー。連れてきたぞ」

 扉を閉めた羽岡先輩が、隣にやってきた。
 何も言い出せないまま、部屋の奥にある扉が開いて……。

「おつかれさま」

 まるで妖精みたいな美少女が出てきた。ふわふわした栗色のロングヘアに、大きなたれ目。ネクタイが赤だから、羽岡先輩と同じく二年生だ。
 皮製の茶色いウエストポーチが、ブレザーの下から見えてる。

(……お肌ツヤツヤ……まつげ長い……透明感……)

 思わず見とれていると、すぐに目が合った。やわらかく微笑みかけられてドキッとする。

「ようこそ、サロン・エスポワールへ。キミには今日から……」

(アシスタントなんて無理ですからね? それにしても、『キミ』って……不思議な話し方をする……)

「ヒーローになってもらうよ」

 ……。

(……え!?)


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