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今どきの若者はと言っちゃう人

私の子供の頃は仮面ライダーやウルトラマンが流行っていた。仮面ライダーごっこをすればライダーかショッカーかの二択、桃太郎的おとぎ話の現代版で勧善懲悪の二択である。

私の幼少期である50年も前の1970年代には善悪しかないのである。子どもの遊びに対しての幅も全く無い、AかBなのである。男の子、女の子の遊びというこの2択も存在している。

私が小学5年生時にアーケードゲームのスペースインベーダーが社会現象となり、高校生になるとファミコンでスーマリが大ブームとなり家庭用ゲーム機が一家に一台が当たり前となりました。

ドラクエやFFの1~3が私の大学生時であるがその時期の家庭用ゲームもかなりの進化を遂げた。私より一回り下の80年代以降の生まれの人は幼少期からこれをしているわけですよ。

私の幼少期はライダーかショッカーしか選べなかったものが、FFやドラクエの職業選択や転職システムで多様性を手に入れていくわけです。

加えてショッカーはシリーズを通しての親分がいてその回のメインとなる怪人がいて、その取り巻きである雑魚の戦闘員がいるわけでそれの全てをライダーが1人で退治していくわけだが、RPGゲームでは主人公+仲間で主人公が戦闘時にパーティから離れるという方向性になっていく始末。

組織論、ヒーロー像をぶっ壊してしまうので、価値観がそこを境に大きく違います。さらにはポケモンゲットだぜ、というやつで敵も味方もいつの頃から仲間で共同作業で我々とは全く違う考え方でも受け入れていく土壌が子供時代に構築されているのです。

ですから孤独で群れずに悪に立ち向かう、そのためには全てを顧みない的なものはジジイにしか通じない昭和の価値観なのです。

と、ここまでは神田昌典氏の理論理屈であるが私はどちらでもよい。

そんなことよりドラクエの職業の「遊び人」という入力コマンドを無視する役立たずの商売がありますが、この遊び人は今考えれば自分の好きにやっていく究極の職業です。

勇者だなんだと皆の力を使って何かを開放する使命に従わず、自分のありたいようにやる。人間の生き様は自分のありたいようにするのが理想、多様性の社会の中ではこれが結論。

子供の時からそう気付けた人がいるからこそ、今の世の中の若者はわけがわからんとジジイに言われるのです。世の中を救えるのは恐らくそういう人たちなのです。

でも本当は昔からそれが正解。

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