北極のフィールドアシスタント(下)
(インタビュー)北極探検家・山崎哲秀さん
その年の秋、北極探検家の山崎哲秀さんにお会いした。「フィールドアシスタント(極地の案内人)」というNPOに参加した以上、会っておかなければならない人だと感じたからだ。もう30年以上、北極に通い、研究者を案内し続けている。
「いよいよ極夜が明けます。明日(17日)には久々に太陽が見れそうですよ。」
日本時間2020年2月17日、山崎さんからメッセージとともに現地の写真を送っていただいた。一日中、太陽が地平線から顔を出さない「極夜」を過ごす北極圏の人たちにとって、極夜が明ける日の気持ちとはどんなだろうか。
山崎さんは今年も北極に出かけている。グリーンランド最北の村「シオラパルク」で空き家を借りて拠点とし、犬ぞりで北極海の上を駆ける。極夜の間は町の周辺に限られるが、極夜が明けて少し明るくなる3月から4月ごろになると、氷の上をはるかかなたまで遠出する。
シオラパルクはイヌイットたちが、かつて自給自足の生活をしていた時代に狩猟の拠点として栄えた町だ。山崎さんが初めてこの町を訪れた30年ほど前、この街には90人ほどが暮らしていた。それがいはま40人程度にまで減った。たった30年前まで、この町に電気はなく、人々はランプの生活を送っていた。だがいまはどの家にも大きな液晶テレビがあり、スマホを見つめている。
「彼らは貯金はないが、新し物好きで、周囲に追従するんです。現金生活の経験が浅いですし、狩猟民族なので、きっと蓄えるという習慣がないんです。この30年で、彼らの暮らしは本当にあっという間に変わりました。暮らしが変わる縮図を見せてもらった気がします」
狩猟で暮らしていた時代はもうここにはない。現金で物を消費する時代。イヌイットたちも現金収入が必要になった。狩猟ではそう多くの現金収入は見込めない。そのためイヌイットの子どもたちは一人、また一人と村を離れていく。アザラシではなく、魚をとった方がお金になると狩猟から漁業に移ったり、大きな町に現金収入のある定職を求めて移っていく若い人も後を絶たない。
「このままではシオラパルクが廃村になる可能性もあります。それは何としても避けないとだめです」と山崎さんは語気を強める。
山崎さんが受け継いだ犬ぞり文化の将来も危うい。
「イヌイットの子どもたちは今でも小さいころから3~4匹程度の犬ぞりで遊んで育っています。でもそれを職業に役立てるかというとそれは別。もう、犬ぞりは生活に基づかなくなっているんです」
今はまだ生活の中で犬ぞりが走る様子が見えるが、すでに専業の猟師はほとんどいない。この村に住み着いた日本人の先駆者・大島育雄さんが最後の専業猟師ともいえる。シオラパルクがなくなってしまったら、この村で受け継がれてきた犬ぞりや狩猟文化の伝統は途絶えてしまう可能性がある。犬ぞり文化を受け継げるチャンスは今が最後なのかもしれない。だが山崎さんはイヌイットの人たちにそれを強いる思いはない。
変わったのは人間の暮らしだけではない。この村を取り巻く北極の自然環境にも大きな変化の波が押し寄せている。山崎さんは、自らが通った30年の間にも、海の氷の凍り付きが悪くなるなどの環境の変化を感じている。
現地の人もはじめはその変化に戸惑っていたが、実は今はそうでもない。「彼らはうまく順応するんです。今そこにある自然に順応する。おそらくそうやって何千年も生き延びてきた民族なんですよね……」
海が凍らなければ、狩りに船を使える時期が少し長くなる。それはイヌイットにとって歓迎されている面もある。「彼らにとっても、犬ぞりよりも現代的な船のほうが楽なんですよ」
このまま犬ぞりの狩猟文化はすたれていってしまうのか。
山崎さんは「自分のように、好きで犬ぞりをしている人によって伝統文化が残っていくという道もあるのではないか。僕も後継者をさがしたい。できればそれは、日本から来てもらいたい。いま(作家で探検家の)角幡唯介さんが始めてくれている。でも、さらにもうひと世代若い人が来てくれれば」と山崎さんは言う。
山崎さんには夢がある。「いつかシオラパルクに家を持ち、そこを研究者のために提供したいと考えています。日本から研究者が一人でも多く来てくれれば、シオラパルクという村もつぶれることはないかなって思うんです。まだそこまでの予算はないんですが……」
その夢を実現させるためにも、さらに山崎さんが願うのが、グリーンランド北西部と日本の都市の間に姉妹友好関係を結ぶことだ。日本とこの極北の小さな村は不思議な縁で結ばれている。その縁を一つひとつ確実なものとし、より太く育てていくこと。それが山崎さんの願いだ。
「これはとても一人でできることではありません。でも夢を描くことは自由ですからね」
(完)
写真提供=山崎哲秀