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これらの記録が秘める力は

 「ピカソになりたい」と綴ってからというものの、速攻翌日に書かないで寝てしまった。なぜ文章をまた書き続けようかと思ったかというと、一つには自分の文章が褒められたから。
 昨年10月ごろに、会社の人事に提出するとあるレポートを書いた。そのレポートは海外研修に行くための意気込みを示すためのもので、営業本部長も読むようなレポート。人事部の部長もそのレポートを読んでいたのだが、先週の金曜日にその部長さんと食事をする機会があり、その時に「君の文章よかったよ」とまあまあ酔いも回った段階で言われたのだ。トイレから席に戻ると同期に自分が褒められていることを伝えられ、自分がいない場で褒められていたこともうれしかった。
 ここからは私の感覚だけど、その部長さんは誰にでも褒めているようには感じなかったから、なおさら書いた文章が褒められたことが嬉しかった。たしかに自分のレポートを思い出すと、読み手が読みやすくなるためにストーリー仕立てでレポートを作った記憶がある。それもこのnoteで綴ってきたような文章と、きっと似たような書き具合なんだと思う。もちろん仕事で書いた文章だから、多少堅い表現が多かったかもしれないけど、それにしても読み手が読みやすい文章はどんな文章なのか、リズムよく読める文章はどんな文章なのか、どの単語を使えば伝わりやすいだろうか、ということを意識して書いたはず。そんなことが詰まっていたレポートを数ヶ月後に褒められたのだから、きっとお世辞ではなくほんとうにそう思ってくれていて、食事をした時に思い出して言ってくださったのだろう。完全な推測をつらつら書いたけど、嬉しかった感情があるから、また同じようになりたいと思って文章を書き始めた。「ピカソになりたい」という発想もあってだけど、生成AI用のプロンプトを作るのも文章だし、やはり人間の基本的な伝達手段は言葉や文字なのだろう。
 もちろん写真や映像や音声や身体的リアルな表現で、意志を表現して示せることもとてつもなく魅力的だと思う。なんなら羨ましい。でも、このアカウントだけでも3年間断続的に文章を書き続けているのだから、自分は書くのが好きなはずだ。
 だいたい1日の終わり間際にこのブログを書いている。1人の時間でないと書くのがなかなか難しい。ゆえに、もしこの世界が80億人いようと自分1人なのだとしても、この時間だけは目の前の文字という2次元だけど、多元的な表現をできる世界に集中できる。この文章もそうだし、これから書かれて表現されていく文章や言葉や発想は、自分が書くことに集中したことの想いが込められていて、書くことでどうにかもがいている姿が映っていると思う。
 宇宙を漂う宇宙船の中で、遠いのか近いのかもわからない漆黒の彼方を横目に見ながらこの記録を読んだら、なんておもしろいだろうと思う。そこに書かれているのが自分以外のことであればなおさら笑えるし、泣けるし、目の前がカラフルになると思う。

2024.02.07

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