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投稿のために言語化する

昨日今日と月の明かりが凄まじい。
ギラギラに光っている。
子供の頃はよく、明るい月を見かけると望遠鏡を覗いて月のクレーターを見ていた。
外は寒いけど、部屋の窓を開けて寒さを部屋に入れながらも数十分眺めてた。
今は望遠鏡で月を見ることはなくなったけど、部屋に望遠鏡があれば見たい気持ちでいっぱい。
月が明るいから見える夜空は、暗い中にもほのかな明かりがあってきれい。


抽象的な話題を取り上げてそれについて自分で考える力が、この頃減っている。
概念的な話をあれこれ考えることが以前は多々あったけど、時間も体力も仕事で使ってしまうと、概念的抽象的なことを考えることができなくなった。理由が仕事かどうかは定かではないが、学生の時よりも暇な時間が減り、自分の日常と遠いことについて考える時間は減った。
概念的抽象的なことを考えていた学生時代は、具体的なことを考えて語れることに憧れていたしそうなる必要があるとも思っていた。
ただ、いざ概念的抽象的なことを考えなくなると、それはそれで恋しくなる。

いや、バランスが大事だ。
頭をカチカチにしてしまうこともよくないし、快感ばかりにしてもよくない。(具体的じゃない状態は、頭だけをカタクしてしまうと思っている。)
ちょうどいい塩梅を探しながら「こうしたいああしたい」と語り誰かに伝えて、日々を過ごす。毎日を過ごしているうちに悩むコトが出てきて、その悩んでいる時間が記憶に残り「こうだったああだった」と記憶がつくられていく。つくられた記憶や経験をもとに「これかあれか」と次のいい塩梅を探していく。

毎日違う日々を過ごしているし、新しいことが日々降り注いできて楽しい日々を過ごしているけど、つまるところ毎日同じループを過ごしているように感じる。


未来を語り(思い)
現在を過ごして(思い悩み)
過去(思い出)をつくる


あえて言葉にしてみたから、上のような発想に今回なった。わざわざ言語化しなければこんなことは考えなかったかもしれない。文字にしてみることで意図して頭を使ったような感覚になっている。

なにをしててもなんでもいいんだけど、常に何かをしていたい自分。寝ることも非常に大事。
寝て食べて身体使ってちょっと楽しんで。


疲れている時に頭を使うのはできればやめたほうがいい。いい発想と判断ができない。
その場しのぎの中途半端なものしか生まれない。今日のブログのように。
投稿するために、頭を動かして今日のことを言語化しようした結果が今日のブログ。

果たして明日また今日の文章を読んだら、なにを感じるだろうか。


2023.10.29

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