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原体験が無くて悩んでいる人へ

原体験:人の生き方や考え方に大きな影響を与える幼少期の体験

学生時代、ボランティア活動をしていた時によく聞かれたのが、「昔からこういうことをやってたの?」という質問です。

私のこの質問に対しての回答は「特に原体験と言えるようなものは無い」なんですが、そう答えると「えっ、そうなの?」とか「そんなことは無い。何かあるはず」という言葉が返ってきます。
そう言われて「小さい頃から、子ども会とかの地域のイベントはよく出ていました」という答えをひねり出すと、なぜだか質問された方は満足されます。「やっぱりね」と言って。

皆さん、ボランティアやNPOなどの社会貢献活動をしている方は何かしらの原体験を持っているという認識なんでしょう。特に原体験の有無など気にしていなかったのですが、こうまで聞かれると「原体験が無いとダメなのかな」と思ってしまいます。

確かに、自分の原体験がきっかけでそういう活動をしている方もいらっしゃると思います。例えば、自分が親に虐待されていたから今はそういう子ども達を支援しているとか、自分がセクシャルマイノリティで悩んでいたので…とか。

でも若い世代と関わっている中で感じるのは、ボランティア活動がずいぶんとカジュアルになっているなぁと。「ボランティアくらいやるでしょ?」みたいな気軽なものになっている気がします。
ちゃんと聞いたわけではありませんが、おそらく彼らの大半は原体験は無いでしょう(あっても、「昔から学校でボランティア活動していた」ぐらいでしょう)。

原体験の有無によって、それらの活動の価値が変わることなんてありませんが、その理由を聞かれることは多々ありますし、その中でたいした原体験が無いことに悩んでいる人もいるかと思います。
そういう方に向けて、私なりに原体験について思うところを書いてみましたので参考にしていただければと思います。

なぜ人は原体験の有無を気にするのか

そもそも、なんで原体験の有無を人は聞いてくるのでしょう?
私が思うに理由は3つあると思います。

一つは、社会貢献活動は特別な理由が無いとしないものという認識があるのだと思います。

ふだんの生活の中でボランティアすることってあまり無いですよね。しても、学校の行事とか地域のイベントとしてという理由付きでするものばかりだと思います。なので、一般には自分から進んでするものではなく誰かにさせられるもの(「volunteer」の意味とはかけ離れますね…)だったり、自分から進んでしている人は変わり者か何かしらの理由があるものと思われているんでしょう。
こういう考えは、私よりちょっと上の人に多いかもしれません。今ほどボランティアやNPOが活発ではなく、かと言って町内会活動等が活発ではない間の世代の人は、こう考える人が多いのかなぁと。肌感ですが。

二つ目は、自分がそういう活動をしていないことを正当化するためだと思います。

ボランティアの活動は、一般的には肯定的に受け止められることが多いものです。困っている人や地域の課題に対して活動していることは素晴らしいことだと思います。
ですが、そうは思っていても、なかなか時間が取れなかったり、興味が向かなかったりして、行動に踏み出せていない方もいらっしゃいます。そういう方々からすると、ボランティアをやっている人たちには、何か特別な理由があってほしいと思う人もいるんじゃないでしょうか。それを聞いて、「自分にはそんな強い動機が無いしなぁ」とか「自分から進んでやる人っていうのは、やっぱりそういう背景を持った人なんだな」と、行動していない自分を安心させたい気持ちがあるんじゃないかと思います。

三つ目は、単純に会話のネタが無いからというものですかね。3つと言ってみたものの、特に思いつきませんでした(笑)

「自分、実はボランティア(NPO)の活動をしてまして…」と切り出されたら、聞くことの選択肢なんてそんなに多くないですよね。普段からそういう活動に興味ある人ならまだしも、その分野に疎い人には会話の糸口が見いだせません。そうなると、「よくテレビで見る人たちは、強烈な原体験がある人たちだよなぁ」というイメージがあって、質問してくるんだと思います。

原体験が無いとダメなの?

冒頭でも書いたように人からよく質問されると、「原体験が無いとダメなのかなぁ」と思い始めます。本人からすれば無くても特段問題ないのに、「何で持ってないの?普通あるでしょ」的な感じで来られると揺らいでしまいます。

こういう活動でもビジネスでも、よくメディアで見る人や活躍されている人は、幼少期が恵まれていなかったり、ハンディキャップを克服してきた人が多くいるように見えます。だから、原体験が無いという人も不安なんですよね。だから、質問されると揺らいでしまうんだと思います。

確かにある方が良いこともあります。その活動をしていることの説得力もありますし、その方が発するメッセージも強まるでしょう。
でも、それはすごく勇気のいることだと思います。自身の辛い原体験を元に活動をしていると嫌でもその時の感情が蘇ってきます。それときちんと向き合う強さを持っていないと、とてもじゃないけど活動なんてできないと思います。そういう強さを感じるからこそ、彼らがより魅力的に見えるんだと思います。

ここまで読むと、「やっぱり原体験が無いと…」と思うかもしれません。それでも、原体験が無い人だからこそできることもあると思うんです。

原体験が無いからできること

「何かを始めるのに”揺るぎない意志”とか”崇高な動機”なんて無くていい。成り行きで始めたものが少しずつ大事なものになっていったりする。」
(「ハイキュー!!」より)

原体験が無い人って、どうしてその活動を始めたんでしょう?

「なんとなく」
「友人に誘われて」
「少し興味をもった」
・・・

私はそれで十分理由になると思います。(ちなみに私は「先輩に誘われて」です。)

活動を続けていくと、いろんなことに気づいていきます。それは楽しい部分もあれば、目を背けたくなったり怒りを感じたりする部分もあるでしょう。あなたが感じた、気づいたそれらの体験がとても大切なことなんです。

世の中の誰もが強烈な原体験を持っているわけではありません。そういう人たちはどちらかというと少数派で、大多数はあなたと同じ原体験の無い人たちです。そして、社会を変えていくのにはその大多数を動かさないといけません。

人を動かせる力の一つが「共感」です。原体験を持つ人たちの生い立ちや経験はメッセージ性が強く、聴衆の心を動かすでしょう。でも、それは「共感」ではなく「同情」です。

あなたが活動をしていく中で感じたこと、気づいたこと。社会の大多数と同じ視点を持ったあなたが発するそれらのメッセージは、大多数の人に「共感」を呼ぶことでしょう。原体験の無い、大多数の人たちと同じ感覚を持つあなただから、彼らが共感できるメッセージを発信することができるんです。そして大多数の共感が社会を変える力になります。

冒頭でも書きましたが、原体験の有無によって社会貢献活動の価値が変わることなんてありません。たいした理由が無くても、あなたの行動は社会を変える力を持っています。
悩みながらも手を動かし活動しているあなたを、私は応援します。


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