#今週の週報(24.5月1週)
初めて、自分でワイパーを変えました。自己肯定感が上がりました。
今週の週報です。
1.子どもと接待トランプ
ゴールデンウィークに入り子どもといる時間も増えたので、一緒に遊ぶ時間も増えています。
トランプで「大富豪」とか「ぶたのしっぽ」とかやるんですが、普通にやると私が勝っちゃうんですよね。それで何回も勝っちゃうと、子どもが悔しくて泣き出す。
なので、少しハンデをあげることにするんですが、子どもはハンデをもらっても勝つと嬉しそうなんです。
これがいいことなんだろうかと思うわけです。
ハンデ無しの状況で勝ってこそ嬉しいものなんじゃないかと、私は思うんですが皆さんはどうでしょうか?
私としては、同じルールの中で戦って、負けて悔しいなら勝てるように努力してほしいと考えているんですが、「そう思う前にやる気を無くしたらどうするんだ」というご意見もありそうです。
どう相手のやる気や向上心を持続させるか、後輩の育成にも応用できそうなテーマだなと思います。
2.「聞く」と「聴く」を考える
今参加している勉強会でのテーマとして、『聞く』と『聴く』について考えています。
なんとなく、「聞く」よりも「聴く」の方がちゃんと聞いている感じがしますよね。
この前のディスカッションで出た中で面白いと思ったのが、「聴く」というのは相手の話をちゃんと聴いて自分の意見や感想など何かしらのアウトプットをするもの、「聞く」はただひたすら聞いて相手が何を考えているかをそのまま受け取るもの、という意見です。
この違いの根底にあるのは、自分と相手で共通の認識があるかどうかだと思います。
同じ前提、同じ言葉を使っているのであれば「聴く」ことができ、それについて何かしらアウトプットを出すことができます。ただ、相手が違う文化の人だったり宇宙人だったりすると、「このことを言っているんだな」という自分の認識が間違っていることもあります。そういう場合に登場するのが「聞く」です。
「聞く」は、「相手のことを自分はすべて分かっているわけじゃない」という前提に立って、ひたすら聞きます。「こういうことかな」と思った時は、「こういうこと?」と聞いて相手の言葉や感情を理解することに努めます。お互いの認識のすれ違いが起きないよう、ひたすらに相手の理解に尽力するのが「聞く」。
このディスカッションを終えて、「聞く」というのは相当タフな行為だなと思いました。
普段の会話の中では、自分の中の認識で「それは良かったね」とか「つらいね」とか言いますが、相手がそう思っていない可能性があります。そのすれ違いが「あの人は私のことを分かってくれない」という関係性の悪化につながります。
日常の中でどれだけ「聞く」という行為ができるか。少なくともスマホをいじったり本を読みながらでは絶対無理だなと思うわけです。
3.自己啓発への指摘を読んで胸が痛い
読書が趣味の身として、これまで何冊もの自己啓発本を読んできました。
最近読んだ本の中で、その自己啓発への指摘があり読んで胸が痛くなったので紹介したいと思います。
引用の前半部分は、一般的な自己啓発の効用ですよね。「もっと成長したい」「もっと強くなりたい」的な自分を鼓舞するというものです。
そして私の胸が痛くなった後半部分、、、「社会や組織にはいろいろ問題点があるんだけどさ、それぞれが頑張って何とか乗り越えてよ!自己啓発とかしてさ!」ということだと私は解釈しました。こういうことを言われたら「いや、あんたらのせいでこっちはいろいろ大変な目にあっているんだわ。こっちのせいにするな」と言いたくなりますよね。なのに、「自己啓発」というものがそれを言えなくさせている、もしくは気づかせなくさせているのだと、本書を読んで気づかされました。
なんかうまくはぐらかされて、いつのまにか頑張っていないこちらのせいにされているような感じになっています。これと似たような記述で、こんなのもありました。
なぜ苦労をかけられている側が頑張らないといけないのか。頑張る、または解決するために動くべきはそれを発生させている側にあるはずです。
末端の努力に頼るのではなく、源流にさかのぼって解決のアクションを起こさなければならないと感じました。
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毎日1つから2つ程度、今日起きた出来事についてメモをとっていたのですが、もう少し細かくログをとるようにしました。
この週報のネタにもなりますし、自己理解にもつながるかなと思います。こう考えるきっかけになった本はこちら。
皆さんも興味あれば、ぜひ手にとって読んでみてください。
ということで、皆さんの一週間はどうだったでしょうか?
今週の週報でした。