香山の13「夏の魔物 Ⅰ」(20)

 私は、お宮の話を聞きながら、自分が依頼されて、直接ではないにせよ殺害した女性Kのことを思い出していた。依頼に従い、明が彼女を絞殺したことは知っていた。その事実は、ニュースで確かめた。
『今日午前二時ごろ、福岡市内の宿泊施設にて、女性の遺体が発見されました。女性の身元は、現場から遺留品が持ち去られていたために、未だ明らかになっていません。なお、福岡県警は、金品を目的とした強盗殺人とみて捜査を進めています。警察の発表によれば、目撃者はおらず、捜査は難航する模様です。過去にも同様の手口による犯罪が起こっており、対策を怠った施設側……』
 私は、なぜかすぐにテレビの電源を落とし、ベランダへ出て煙草を喫んだ。
 そして今、彼女と交際し、彼女を大切に思っていた人間が、私達を怨敵とみなして暗躍していることが明らかになった。
 他人の命を食い物にして自分の利益を得る。こんなことは、以前から繰り返し行っていたことだった。人の金を浪費して、好き勝手に暮らす。金が、命や時間に置き換えられただけで、この置換が自分にとって何か重大な意味などもたらすはずはない。ただの置換だ。私は、自分がそれを必要だと感じたから他人や、その人の資産を利用している。そこに正義も悪もない。
 ……私はそう思い込めば、それでいい。
 私が感じているこの感情は、エゴイズムの受容を拒否しようと、私の未熟さが生み出したものだ。世界中の難民を幸せにする、環境問題を食い止める、なんて願望はどこかで埋めて見えなくしてしまわねばならない。一体、世界の人口の何パーセントに世界を救う力があるというのだろうか。そして、それが自分であるなどとは自分の認識不足も甚だしい。
 しかし、そう思うたびに私の脳をよぎるのは、人が泣いて、悲しむ姿ばかりであった。
 貸倉庫は、福岡空港の近くにあり、私がこのように人を痛めつける際に使えるように借りたところだ。時折、飛行機の離着陸で轟音が倉庫内に響いた。本来なら備蓄の用途を想定して設計されているため、こうして何もなければ、大変に心細さを与える広さだった。高い天井にはライトが並び、中の様子は鮮明に照らされていた。鉄柱の錆が、ふと気になった。なぜあんなものに注目したのかは分からない。しかし、錆は照明のせいでどす黒く見え、だんだんと錆が柱全てを覆いつくすような感覚に駆られた。
 目の前にはお宮が耳から血を流し、顔面に傷を負って椅子に捕縛されていた。今は、この呵責を片づけている場合ではない。彼は気を失っているようだった。
 私は、明にかねてからの質問をぶつけた。
「明、お前、その顔面の負傷はどうしたんだ。お前のように屈強な男が、みすみすと相手との差を理解せずに傷を負うとは考えにくい。もしかして、貫一にやられたのか。貫一は、それほどまでに手ごわいのか」
 私は、自分がお宮に襲撃されたことから連想して、明が貫一から襲撃された可能性を考えていた。明はばつの悪そうな顔をして言った。
「別に。集団にリンチされただけだ。一対一だなんて決めつけないでくれ。途中で勝負をほっぽり出して逃げたことは、俺も気にしているんだ。あまり余計な詮索はよしてくれないか。これでもあんたと三年働いて、俺はあんたを信頼している」
「お前、嘘はついていないだろうね」
 と、私は彼への不信感を口にした。
「ついてないさ」
 ばつが悪そうに顔を背ける明。彼は失敗を悔いているように思えた。彼の言う通りであった。彼は、私と三年も共に働き、彼なりにしっかりと仕事をこなし、成果を上げていた。推し知ることのできない内面を無視して表面を見れば彼は、私のために役立とうとしてくれたのだ。私がこれ以上彼の詮索をするのは、彼の行為を無下にするという点において、私の不道徳の表れである。私が今日彼を会食に誘ったのは、彼の信頼を得て、彼を信頼に足る人間だと確認するためである。互いに命を崖の上に置かれた今、極限まで達した緊張の中で、お互いを信頼する他ないのだ。むしろいい機会である。私は無礼を謝罪した。
「そうか……分かった。うたぐるなんて、恥ずかしいことをした。面目ない」
「そういえば、airpodsを探すアプリ、あったかな」
 彼は話をそらそうと話題の転換を図っていた。
 彼に今後の策を説明したところ、彼はどこか腑に落ちないようだった。
 すると、お宮のスマートフォンが電話を受信したので、私はその画面を確認した。表示されていたのは、『貫一』の二文字だった。何の偽装もなかったためにほんの一瞬だけ私は逡巡したが、自身の端末にまで細工を施す可能性は低いと見積もり、出てみることにした。

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