明の3 「ロマンスⅡ」(09)

 人を殺害する方法の中でも、絞殺は特に命のぬくもりを感じる殺し方であった。命が消える瞬間を、私ははっきりと認識することが出来るのだ。人の命を三枚におろしてやり、それに舌鼓を打つのが私である。
「遺伝子情報は残ると面倒なんだ」
 私は食品工場で使われる作業帽子をかぶる。粘着カーペットクリーナーで自分の毛を丹念に掃除した。普段であればオールバックにしてジェルで固めてあるので、それほどの丹念さが求められないが、香山の曰く、女性からの心象が悪い、とのことで、美容室に行ってから長かった髪を切り、ワックスとヘアスプレーでセットをしてもらっていたために、私は二十回通りほど床を掃除した。だがそれでは掃除は終わらない。すでに手袋のままの長い作業で、手は汗まみれである。
 何度かKと接吻を交わしてしまったため、Kの口腔内を掃除する必要がある。自分の唾液に含まれる遺伝子を不活化させるべく、ハイターを口の中に入れて、吐かせる。ハイター独特の匂いが目と鼻を刺激する。これに耐えながら、この作業を三十回。どんな仕事でも忍耐は重要な能力らしい。
「警察は物取りを熱心に捜査しない」
 私は小川を流れる笹船のようにKの鞄を自分の鞄に入れた。Kのポケットに何も残されていないことを確認した。もうすぐ仕事が終わる、と思うと報酬のことを連想して胸が高鳴った。
 私は締めの作業としてKの死亡を確認した。Kの爪をペンチで剥ぎ、Kの表情が変わらぬ様子がカメラに収まるところでビデオカメラを回収した。このカメラの目的は、依頼人への証明ではない。香山へ仕事を行ったことを証明である。彼は往々にして私の計画性を疑うため、こうして指示通りに作業を行ったことを証明せねばならないのだ。Kの遺骸の前、私は仁王立ちをした。観察すれば、Kの首には紐の跡と、苦しみから逃れようと引っ掻いたと思しき傷があった。目が開かれて乾燥が始まり、間抜けに開かれた口から前歯が覗けた。
 部屋に入ってからは、殺害と後始末のことしか頭になかったため、部屋を観察する機会がなかった。何度かこういった施設を個人で利用することがあったが、毎度のように行為の後になると相手の女性がぺちゃくちゃと済んだはずの話を繰り返し始める。その時間がたまらず退屈で、私は徐々に性欲への興味を失っていった。同時に私は恋を忘却の彼方へ追いやってしまった。
 さて、ようやく仕事が終わった、という快感で気分が良かった。ようやく、生活の心配がなくなった。鼻歌を小さく歌いながら私は部屋を後にした。もしかしたらとんでもない大きな鼻歌になってしまっていたかもしれない。廊下に出て、作業帽子を脱ぐと、鞄に入れた。廊下の照明、エレベーターのボタン、靴擦れの痛み、手袋の中の汗、冷たいアスファルト、街灯で消え失せた星の光のすべてが私の味方であるように思われた。
 夜の中州川端駅と天神駅の間に位置するラブホ街には二人組の男女がちらほらといた。誰も私に気付く感じがない。香山は実際に同じ方法に則って起こった事件を参考に今回の策を練ったらしい。結局、誰が殺されても、誰もそのことに手を打とう、などとは思わない。私は金をもらって人を殺めている。きっと私は底なしの闇でうごめく悪党だろう。だが、それを自覚しない者どもこそが、人間が成敗すべき悪党なのだ。
 その中に一人、中洲川端の風俗街の方向へと歩く男がいた。背広姿で素面。そして何ものにも関心を向けない態度だった。右耳にはピアスとairpods。両手に指輪がぎらぎらと光を持ち、たまにこすれては音を鳴らしていた。キャッチだろうと予想がついた。これから仕事をするらしい。反対に仕事を終えたところである私は、彼の無関心を仕事終わりの自分の気分を高める道具と見なしながら、ラブホ街を抜け出た。

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