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大人になってしまうなよ

自分は少し前まで学生だったし、学生ってまだ子どもだし、なんて思っていました。
自分で生計を立てるようになったら大人、と定義すると私はすでにしっかり大人です。
そんな私は今月20代後半に突入します。

20年来の友人が誕生日をお祝いしてくれて、いやーー我々も大人になりましたね、なんて話をしたので、どんなときに大人になったと感じるのか、考えていたことを書きたいと思います。

「大人になる」とは

最近は友人と集まると、トークテーマはだいたい「幸せってなに?」に終結します。
結婚妊娠出産と嬉しい知らせを聞くことも増えてきた今日この頃、正解なんて絶対にないけれど比較はつきものです。

進学就職を経て疎遠になってしまった友人は元気だろうか。付き合いの続いている友人も、「ご飯行こうよ」以外の口実で誘うのが難しくなりました。誘っても仕事で予定が合わなくて、今月はやめよっかとなることも多々あります。

私たち昔はどうやって遊んでたんだっけ、と思い返して盛り上がりました。シール交換とかプロフィール帳とか、いまでも全然やりたいです。ぷくぷくした立体のシールめちゃくちゃ集めてました。捨ててないはずだけど、どこに行ったんだろう。

これから友だちが増えることはあんまりなさそうですが、それぞれ深い付き合いなので問題はありません。でも新たに友だちを作る方法が分からないなと思うたび、大人になってしまったんだなと感じます。

仲のいい人と会うのは本当に楽しいけれど、楽しい気持ちとはまったくの別軸で、疲れたなとか帰りたいなとか思ってしまう。この別軸が現れたのも大人になってからのことです。

恋愛でも好意を素直に受け取れずに深読みしたり、相手の言っていることが本心かどうか疑ってしまって一歩踏み出せなかったり。

人間として成長したのだといえばそうかもしれませんが、まっさらな気持ちで人と関わることが減っているのは、少し寂しいことだなと思います。

高校生のときなんとなくで決めていた文系理系、そのほか周りに流されて決めた多くのこと。
今はもう流してくれるほどの人数が周りにいなくなって、何事も自分で決めなくてはいけなくなりましたね(当たり前)。

大人として家族に加わる

年数回の帰省で親や家族に会うときも、自分の大人さ加減を実感します。

勘違いかもしれないけれど、自分が親の精神的な支えになっているのかもしれないと感じる瞬間が増えました。親から頼られるようになったのも、最近のことです。
頼ってもらえるのは嬉しいことですが、まだ慣れないなと思うときもあってちょっぴり複雑な気持ち。
1人の大人として親に意見ができたり、アドバイスのようなものをするようになるなんて、以前は考えもしませんでした。

夫婦としての両親のことや、家庭の経済状況の話など、「今だから言えること」なるものをここ数年でたくさん教えてくれるようになったのも私が大人になったからでしょう。いいこともよくないことも、子どものときにはまったく見えていなかった家族の一面や事情を知ったときは、大人になったなと強く感じました。

大人も悪くないけれど

デメリットみたいなものばかり書いてしまいましたが、大人になるのも悪くない。

こうなりたいこうしたい(容姿とか、手に入れるものとか、どこに行きたいとか)は子どものときよりずっと実現しやすくなりました。食の好みが広がってこの世の美味しいものの存在を知りましたし、知識が増えたので物事のおもしろさに気づきやすくなりました。自分自身への理解も深まっています。

それでも。見えているものがすべてじゃないのだとよくよく分かるようになったこともあり、子どものときに抱いていた純粋な気持ちを感じられることは二度とないんだろうなと思うと仕方ないような、でも寂しいような、なんともいえない気持ちになります。

手元のやるべきことや好きなことを楽しみながら大人をやれているので毎日充実していますが、仕事でもプライベートでももう少し遊び心を取り戻すことが26歳の目標です! 子どものときに思い描いていた夢はなんだっただろう。

以上、大人になるって寂しいな、というぼやきでした。

(編集部 松本)

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