〔期間限定公開〕山田裕嗣氏に聞く――「アイデアはどうすれば降ってくる?」
小田裕和(以下、「小」) アイデア出しの方法論はたくさんありますが、それを使えばアイデアが出てくる、生み出せるというわけではありません。
たくさんのアイデアを出すことによって、自分の中にアイデアが「やってきやすい」状況を構築することが本質ではないでしょうか。
これに通じるのが、國分功一郎先生の著書『中動態の世界』で説かれている「中動態」という考え方です。「私」から出発して「私」の外で完遂するようなものが「能動態」で、一方、自分が起点だけれども、結局は過程もすべて自分の中にあるというものが「中動態」だとしています。
これは、自分の外側にあるものに目を向けるのが能動態、自分の内側に目を向けるのが中動態、と捉えることができます。つまり、アイデアを「出す」のか、アイデアが「やってくる」のか。
アイデアがやってくると言っても、何もないところにパッと降りてくるのではなく、自分の思考を外に出して整理していくうちにやってくる。例えば、付箋を使ってアイデア出ししたりすると思いますが、「アイデアを100個出したら1個ぐらいはいいのがあるよね」というのではなく、100個出すことで、その間の関係性がぼんやりと生まれてきて、そこに何かが見えてくる。
山田さんとは、中動態について夜中まで語ったりして(笑)、たくさん対話を重ねてきましたよね。
山田裕嗣(以下、「山」) 毎回必ず、中動態というキーワードが出てきますよね(笑)。
小 山田さんは、「ソース原理」という考え方についてトム・ニクソンという方が書かれた『すべては一人から始まる』(英治出版)という本の翻訳・監修を務められています。今日は、ソース原理を踏まえつつ、どうすれば中動態を大事にする組織になれるのか、一緒に考えていければと思います。
山田さんは、令三社という会社を立ち上げて、組織のあり方などを探究されていますね。
山 そうですね。もともとは、大企業の人材育成などを外からお手伝いする仕事をしていたのが、ご縁があってITベンチャーの創業メンバーに入りました。そこを退任したあと、フレデリック・ラルー著『ティール組織』(英治出版)という本が出る前後ぐらいから、「日本において新しい組織づくりはどうなっていくんだろう」という問いを持つ知り合いが増えていき、一緒に議論するようになったんですね。
それで今、令三社では、世界で起きていることを日本に紹介し、逆に日本で起きている変化を世界にもっと届けたいと思って様々な活動をしているのですが、その一環として、日本には「ソース原理」を扱う本がなかったので翻訳したわけです。
ソース原理の提唱者はピーター・カーニックという方で、たくさんの教え子の一人であるトム・ニクソンが書いたのが、『すべては一人から始まる』
です。
小 「ソース」というのは、組織において価値をつくっていく上で中心役を担う人、という理解で合っていますかね。
山 そうですね。まず、ティール組織とソース原理はスタート地点が違う、というのを理解しておくといいかなと。
『ティール組織』は、ラルーが世界中の新しい組織をたくさん見てきた結果として抽出した、新しい組織の進化形を「ティール組織」と名づけている。基本的には、組織モデルを扱っています。
一方でソース原理は、あくまで個人に焦点を当てています。結果的に見ている世界観はティール組織と近いものの、それ自体は全く組織論ではないんですよね。
ソースたる人は、まだ存在しない未来を思い描いて、それを現実化させる人間の素晴らしい力を発揮する存在、創造力をもって何かをつくり出す人です。
子供が粘土をいじるのも、大人が絵を描くのも、人が何かをつくり出す営みは、すべてソースとしての活動です。何も芸術的な活動に限らず、カーニックは、「晩ご飯を作るんだってソースがいるんだよ」と言うんですよね。あらゆる創造的な活動が、ソースを起点としている。
先ほどソース原理は組織論ではないと言いましたが、例えばジブリ作品で言うと、ソースはおそらく宮崎駿さんで、そこからすべての創造活動が生まれています。ただ、作品は一人でつくるわけではないですよね。宮崎駿さんが自分のつくりたい世界観を描き、作画する人、作曲する人、プロモーションをする人などがそれを実現する。
ソースとつながり、「私もつくりたいものがそこにあるので、一緒につくります」と参加する人は、この本では「サブソース」と呼ばれています。
小 ソース原理は組織論ではないが、こうしたソースとサブソースの関係性は扱っていると。
山 そうです。だから、ソース原理で人のコラボレーションを語ることはできます。
ソースとサブソースの関係には自然な秩序があって、サブソースは、宮崎駿さんがスタジオジブリの会長だから従属するのではなく、宮崎さんがつくりたいものの一部を引き受けたいからそこにつながる。
ただ、その秩序はその作品の中だけの話で、例えば作画する人が「ジブリのみんなでパーティーをやりたい」と言って、ソースとしてパーティーの主催を引き受け、宮崎駿さんにサブソースとして何かを頼むことはできる。その場合は、作画する人がソースで、宮崎さんがサブソースになる。
小 新規事業で言うと、提案者がソースになって、そこにいろいろな人たちがサブソースとして関わっていくわけですよね。
アイデアの種を「受けとりやすい」状態になる
山 ソース原理の源流は、提唱者のカーニックが「マネーワーク」と呼んでいるものにあります。もともと彼は金融系のコンサルタントで、マネーワークとは、自分の内面を探究するものです。
彼はコンサルタントとして、30年くらいいろいろな人の内面に向き合ったところ、本人が本当につくり出したいものを素直に創造できている場合と、そうでない場合があることに気づいたと。そして、無意識に追いやられている自分の「とらわれ」が、お金というものに投影されていることが分かったんです。
お金がないと自分が脅かされるという不安がある人は、お金をどんどん追い求めていく。それにとらわれている限り、ソースとしてクリエイティブに何かをするのではなくて、お金が欲しいから何かをする、という方に偏ってしまう。
そうしたとらわれがない状態で、ソースとして本当につくりたいという衝動に従って行動したとき、初めて本当にクリエイティブなものができる。
そう考えると、自分にアイデアがやってきやすい環境をつくるためには、エゴやとらわれを一旦とり除いてみる必要があるのかもしれません。
「お金が欲しいから」とか「人に承認されたいから」といった欲求から生み出そうとすると、アイデアがやってくる状態を自分のエゴによってねじ曲げてしまう。アイデアの種を受けとりやすい状態をつくるというのがもともとのマネーワークであり、素直にアイデアを受けとれるほど、クリエイティブな人になれる。そのあたりが、とても中動態っぽいと思いました。
小 新規事業開発の現場では、「自分がやりたいことが分からない」という悩みをよく聞くんですが、大人になればなるほど、「こうやって生きなければいけない」とか、家族がいるなら「家族を守らないといけない」など、いろいろな制約が課されるわけですよね。
ましてや、大企業で新規事業開発をやると、既存の事業部との関係性による制約も出てくるし、自分の仕事が上司に評価されるという前提もあるわけで、いろいろなしがらみがあるなと。
ここが、大企業で事業をつくる人と、ゼロからスタートアップを起こす人の明確な違いだったりするんですよね。一人で事業をつくり始める人は、自分の周りに何もなかったというケースが結構多いと思うんです。
「これを大事にしたい」というものから事業をつくるにしても、大企業の中にいると、そこにたどり着くまでにいろいろなものをとり除かなければいけないという前提がまずあるんだろうなと感じました。
子供は、しがらみやとらわれがなく、「これやりたい」「あれやりたい」と素直に言えるけれど、大人になればなるほど、心が動きにくくなっていくというか。いろいろな制約がとり除かれたときに、純粋に自分の心が動くものが、やっと見えてくるんですよね。
「何がしたいか」に目を向けやすくする
山 また、「あなたはどういうものを世の中につくり出したいの?」という問いを投げかけられること、それを考えることなどに慣れているという環境は結構大事だなと思います。
人間はやっぱり環境に影響されるので、「私は本当は何をしたいのか?」という問いに向き合いやすい環境設定ができているかどうか。
小 その話は中動態とすごくつながると思いました。
新規事業がなかなか生まれないという組織の方から相談されるとき、「うちの社員、なんか熱量がないんですよね」とか「自分のやりたいこととか、あんまり言わないんですよね」という話が出ることが多いんです。それって、自分のやりたいことが自分の内側から湧いてくるという前提ですよね。
中動態という考え方のベースには、スピノザがあるんです。要は、自分が「これをやりたい」という気持ちは、自分の中でゼロから湧いてくるわけではなく、何かから影響を受けて発露するものだという考え方です。「やりたい」という気持ちは、外からやってくるものだという発想が根本にあるわけです。
山 組織文化をどう扱うかはすごく難しいと最近よく思うんですが、基本的には、今持っている勝ちパターンの再現性を上げられるのが強い組織文化ですよね。
言語化されていないにしても、「こういうのがいい振る舞いだよね」という共通認識がその組織内に生き残っているということは、それに何らかの合理性があるはずです。
「うちの社員に熱量がないんですよ」というのは、悪い言い方をすると、「いいから黙って言うことを聞け」という文化の方が、これまでは会社として成功しやすかったという可能性がありますよね。
イメージだけで言ってしまいますが、例えば金融系の大きな会社だったら、ミスがなく、つつがなく、同じことを繰り返すことで、結果的にお客さんも喜ぶ、事業も続く。だったら、そういう文化を強化した方がいいわけです。
「中動」ではなく「受動」を引き起こしやすい環境設定があったら、「やってくること」に目を向けようとはしないですよね。
「価値観が強い」と「価値観が深い」
小 さっきのソースとサブソースの関係につながるんですが、「価値観が深い」と「価値観が強い」を分けて考える必要があると思うんです。
「価値観が強い」というのは、価値観が固まっている状態ですよね。一方、「価値観が深い」場合は、いろいろな考え方を許容できる。だから、ソースに引き寄せられた人たちは、ソースの価値観と照らし合わせながら自分たちの価値観を発露させられる。
「価値観が強い」状態だと、自分自身の価値観などいらなくなってしまう。その違いがあると思うんですよね。人を制約する価値観なのか、人を引き寄せる価値観なのか。
山 人を引き寄せられるかどうかは非常に重要ですよね。最近、日本全国いろいろな会社にインタビューをして回っているんですが、特に地方のおもしろい会社に行くと、とにかくどう人を採用するかという話に帰結しがちなんです。
未来の事業をつくっていくとなったときに、その事業をどうつくってお客さんに選んでもらえるかという話の手前に、能力が高くて、自分から何か事業をつくってくれる人にこの会社は選んでもらえるのかという問題がある。そこがクリティカルではないかと最近よく思います。
小 人を引き寄せる力のない組織は、AIを活用したり、人をロボットのように働かせたり、ロボットを使ったりするしかなくなる。そのような形でやっていけるかもしれないけれど、「何かやりたい」という人は集まってきませんよね。
山 いろいろな会社をじかにインタビューしていて感じるのは、やっぱりおもしろいところは思想が明確なんです。
こだわっている想いがあって、その想いや哲学に沿った試行錯誤をしているから、それが積み重なっておもしろい挑戦につながるんです。
それに、たいていたくさん失敗しているんです。一貫した思想のもとにチャレンジを積み重ねて、結果的にユニークなものが生まれている。
創業者の第一歩に立ち返る
小 人の心の中に、「考えてみたい」とか「試行錯誤してみたい」という気持ちを「やってこさせる」ような深い思想は大事だなと改めて思いますね。どの大企業に行っても、そういう創業者の精神があるんですよね。そこにもう一回立ち返らないといけないんだろうなと。
山 ソース原理で言えば、ソースが最初にイニシアチブを引き受けて一歩踏み出した瞬間、何がそうさせたのかを考えるのは大事だと思うんです。
小 「なぜか」ではなくて、「その気持ちがどこからやってきたのか」と。
山 まさに、「Where」の問いです。
最近、大阪にある平安伸銅工業さんという突っ張り棒の会社や、佐賀にある和多屋別荘さんという旅館など、3代目の方々が経営されている組織のお話をうかがう機会がたまたま続いたんです。
今の経営陣にとって、創業者はおじいちゃんだったりするので、身近な存在として知っているわけです。その上で、折に触れて「なんでうちのじいちゃんはこれを始めたのか」と問うて、創業者の踏み出した一歩をたどり直している。その問い方は、ソースとしての創業者に触れることですし、その結果としてすごくユニークに生まれ直している感じがするんです。
小 自分なりに再解釈して、それを自分の想いと結びつけ直して、現在の形になっている。
山 平安伸銅さんは、日本に初めて突っ張り棒をヒットさせた会社です。大量生産・大量消費の時代は、機能性が高くて安いものをいかにたくさん売るか、ということを追求していれば良かった。ただ、事業を引き継い40代の経営陣からすると、「かっこ悪いものは自分の家に置きたくない」という感覚も持っていた。
それで今の時代に合ってデザイン性があるものを作ろうと言って、ブランドを新しく立ち上げて、業績を戻したんですよね。
でも、根底にあるのは「人の暮らしを豊かにすること」であるというのは変わっていない。それこそが、「ソースが踏み出した一歩に立ち戻る」ということだと思うんです。そこはずれていないから、同じイニシアチブで新しいものをつくれるんですよね。
小 「強い」ものではなく、「守るべきもの」でもなく、人々の心が動いてしまうような哲学やパーパス。それを自分なりに咀嚼し直すことで、自分のやりたいことが見えてきてしまう。そういう環境をデザインしていくということが、新規事業施策において大事だなと改めて考えさせられました。
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