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文科省が「教育」分野の専門性を否定するのならば、いっそのこと教員免許制度を廃止すべき


教員特別免許の新指針

文部科学省がアスリートなどの各分野の専門性の高い人材に「特別免許」を与える制度のを都道府県の教育委員会に通知した、というニュースが話題になっています。

教科全体に関する専門知識がなくても授与できることを明確化しており、文科省担当者は「積極的に活用してほしい」と話している。
(中略)
新指針では、教科全体の専門性が必須ではないことや、他の教員と同レベルの指導力を過度に求める必要はないことなどを明記して活用を促す。

教員不足が全国的に問題になる中で、専門性の高い人材が教育業界に入りやすくなるように参入障壁を下げる目的のようです。

専門家=教育者?

こうした政策の発想の大本は専門家、専門性の高い人間であればその分野の教育は可能である、という思い込みです。

もちろん、専門家がその分野のエキスパートであり、専門領域の知識において学校の教員とは比較すべくもないことは事実です。しかし果たしてそうした専門分野の達人は教育を行うことに長けているでしょうか。

小学校の場合を考えれば分かりやすいでしょう。小学校に高名な数学者を連れてきたとして、彼が小学校の算数の内容を小学生たちに優れた教育を行うことが可能でしょうか。どう考えてもその場の子供たちに伝わる表現で説明をすることは不可能です。大学において、学生相手に講義をしていても言語不明瞭、意味不明な講義をする専門家は少なくありません。しかしそれは相手が大学生であり、自身で勉強することが前提であることで成立しているのです。これが全国規模で小中高で発生したとして、教育のレベルが向上するとは到底思えないでしょう。

この手の思い込みの原因は何でしょうか。おそらくは「教育」という分野の専門性の軽視が存在するように感じます。

教員が児童生徒に話をしているのをはたから見ると、大人と話すのと同じように指示を出しているように教育関係者以外は感じるのかもしれません。しかしその教員は言葉遣いや語彙、表現言い回し、論理構成などをある程度意識しながら、生徒の発達段階に応じた指示ややり取りを行っています。そのあたりが可視化されていないために、専門知識があれば教えることは簡単だ、と安直な思考になっているのでしょう。

教員免許制度など廃止してしまえ

正直、こうした発想が文科省から出ること自体が日本の教育制度の崩壊の状況を如実に示しているように思います。

本来ならば「教育」という専門性を研究し、その成果を還元することに注力すべきである文科省自身が「教育」の専門性を軽視しているからです。そのくせ、教員不足のボトルネックの一つとなっている教員免許制度だけは維持し、教員養成課程などの許認可権に関しては手放そうとしないその姿は醜悪そのものです。

いっそのこと、教員免許制度そのものを廃止してしまうべきでしょう。実際、公立の場合は自治体ごとに教科の専門試験も行っているし、私学の場合をたいていは独自の試験を課しており、実務上の問題は乏しいでしょう。

少なくとも今回の「専門家」に教員免許を特例で与える制度と比べれば、公平性という点では幾分マシなのではないでしょうか。


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