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【題未定】ホワイト意識の広がる若者文化が重視する職業の透明性【エッセイ】

 先日も記事として書いたが、教員採用試験の倍率低下が止まらない。教育実習を体験したことでむしろ教員を諦める学生も半数近く存在するという。まさに教育崩壊の危機は間近に迫っている。いや、むしろすでに崩壊は始まっているのに、茹でガエルのように多くの人たちが気づいていないだけなのかもしれない。

 こうした話を聞き、その分析記事などを読むと若者が教員の働き方の忙しさにしり込みし、かつての教員志望者のように我武者羅に働く気概を失っているという視点が少なくない。自分の時間を大切にする傾向が強い若者が増えているため、教員という仕事との相性が悪いという分析も多い。確かにその傾向は間違ってはいない。しかし同時に果たして本当に現代の若者はそれほどまでに自分時間を大切にし、仕事に時間を費やさない人間ばかりなのであろうか。

 大卒者の人気職種ランキングなどは毎年発表されているが、その中でも最も人気なのは公務員である。またそのランキングの上位にはコンサルや公認会計士などの職業が並んでいる。これを見て感じるのは、仕事に対して無気力で自身の余暇時間ばかりを意識しているわけではないということだ。

 公務員は安定性が高いことは否定しないが、昨今は激務であることが知られている。またコンサルや会計士は収入が同世代と比べても極端に高いが、その業務量は給与に比例している。仮に彼らが自分の余暇の過ごし方にしか興味がないのであればそうしたところを希望することはないだろう。

 これら、人気の職業における特徴はその職業や業務の透明性だ。公務員はコンプライアンスを厳守することが求められるし、労基法の原則に関して極端に逸脱することはない。また、コンサルなどの場合、ある種脱法的な働き方は存在すれども、その分が給与として見返りが得られる。現代の若者が求めるのはこうした求められる業務に対するリターンが明確であるというものではないだろうか。

 翻ってみれば、私の経験した平成期の教育や就職はある種の忖度が多分に存在するコミュニティだった。学校でも先生の機嫌を伺ったり、職場で上司の機嫌次第で白と黒が入れ替わるケースは決して少なくなかった。一方で今の若者の見る世界では、そうしたものが否定され、公的にコンプライアンスが重視された環境が幼いころから整備されている。大人は感情的に暴力を振るわなくなったし、個人の意見は可能な限り尊重され、嫌なことを黙って消化するケースは減少した。不登校の増加と社会の許容やLGBTQへの意識の高まりなどもその一環に近いだろう。

 昨今の若者はそれがその行為が所属組織や集団において正しいかどうか、損得よりも、コンプライアンスが守られているか、曖昧さや忖度ではなくルールが明確で透明性があるかを重視する傾向があるように感じる。実際、この十数年で高校生の空気感も大きく変化し、明確にルールを示したことに対しては許容性が高いが、理不尽や暴力に対しては潔癖的な生徒が増加している。

 もちろんそれは社会が成熟した証であるし、他者を尊重するだけのゆとりと豊かさが担保されているからなのだから、好意的に受け止めるべきことではある。しかし、一方で多くの大人がそうした社会を理想として作り上げてきたにも関わらず、自身が馴染めていないケースが散見される。そして、私もまたそうした大人の一人でもある。

 しかし社会をかつてに戻すことはできないし、戻すべきでもない。今のありようはある種の過去夢想した理想形でもある。毎日の生活の中で新しい価値観に袖を通し、おろしたてのスーツが体に馴染むのを待つように生活をすることしかできないのだろう。今度のスーツはあと何年で馴染むか、待ち遠しいものだ。


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