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都会からの一方的な視点でしか価値判断ができない人たちが地方高校の進路指導を「国公立至上主義」と揶揄する多様性の無さが目に付く


プレジデント記事より

少し前にプレジデントで地方高校の進路指導を「国公立至上主義」と揶揄する内容の記事が話題になっていました。

記事の内容としては以下のような進路指導が行われている、ということに対する批判と、それを鵜呑みにしてはいけないという保護者や受験生への警鐘という構成になっています。

  1. 総合型選抜入試で難関の私立大学を受験したいという子どもに、国公立大学受験を迫る。

  2. 「特進クラス」や「選抜クラス」の子どもには指定校推薦や学校推薦型選抜入試を受けさせず、一般入試で難関大学に挑戦させる

  3. 「早慶よりも地方国立大学のほうが上」だと指導する

  4. 生徒全員に大学入学共通テストを受験させる

  5. 大学入学共通テストの点数が良かった場合、国立大学の前期日程だけでなく、後期日程でも受験させ、国立大学合格者数を水増ししようとする

  6. 大学を併設している私立の中高一貫校の場合、外部受験(他大学受験)に何らかの制約を設ける

この記事に関してオンライン塾などがYouTubeで動画の話題として扱っているものもあるようです。

記事内の問題点に関しての考察

地方、九州の一般的な進学校で教員として勤務する私の個人的な考え、あるいは地方における共通の意識を含めて記事内で問題とされるトピックに対して答えていこうと思います。

1.総合型選抜入試で難関の私立大学を受験したいという子どもに、国公立大学受験を迫る。

こうした事実は多くの学校で存在する、ということは間違いありません。私の勤務校でもそうですし、近隣の学校は公私を問わずそうした指導をしている傾向はあります。

ただ、このことに関して、生徒側からの「学校側が国公立の合格者数を稼ぎたいだけだろう」という邪推だけで語れる問題ではありません。

そもそも総合型選抜は合否の基準が不明確で、現時点での学力が合格を担保するものではありません。その上準備に時間がかかり、それが受験勉強の時間を圧迫することを考えれば、順当に合格を勝ち取りやすい一般入試を勧めるのは決して悪手ではないのです。

2.「特進クラス」や「選抜クラス」の子どもには指定校推薦や学校推薦型選抜入試を受けさせず、一般入試で難関大学に挑戦させる

これも同様で、上位生徒であれば最後まで勉強して挑戦してほしいという気持ちが指導者側には存在します。もちろん学校によっては推薦を中位生徒から優先するケースもあるのかもしれませんが、可能な限りその大学に進学を希望する生徒を合格に導きたいという考えが決して間違いとは言えないのではないでしょうか。

さらに言えば、特進クラスと普通クラスとでは成績基準が異なるため、規定の評価基準の場合は普通クラスの上位生の方が優先されるケースは少なくありません。

3.「早慶よりも地方国立大学のほうが上」だと指導する

これに関しては難度で言えば間違いなく早慶が上であることは否定できません。しかし、卒業生の就職や満足度の点ではどうでしょうか。

都会に進学をする場合、渡航費用、一人暮らしのコスト、私立大学の学費と多くの負担を強いられます。これは平均所得がそもそも東京と差がある地方の場合、これに耐えられる家計を維持する家庭はそこまで多くありません。

したがって多くの場合、地方の国公立や自宅通学可能な私立を勧める方が生徒や保護者のニーズに合っていることになります。もちろん少数派である東京進学希望者を無理やり国立受験へ変えさせるような無理な指導をする教員の存在は否定しませんし、個別対応ができず一律な指導を通そうとすることに対しての批判は致し方ないでしょう。

しかし、多くの場合、そもそものニーズに合っているのが実際のところなのです。

また就職に関しても、確かに関東での就職は地方よりもベースの賃金は上がります。しかし、地方出身者が都会で結婚、子育てをすることが困難なことを進路指導者は知っています。一方で地元進学、就職者は実家の支援を受けながら子育てをすることも可能です。(そして多くの教員もそうした恩恵を受けている)それを考えた時、果たして収入の高さやステータスだけで都会の私立が優れていると判断するのはあまりにも早計でしょう。

加えて言えば、理系の場合は大学院進学が前提となっており、入学難度の低い国立であっても早慶に伍する就職が可能な大学は少なくありません。

4.生徒全員に大学入学共通テストを受験させる

そうなるとこの点に関しても全員に共通テストを受けさせることは決して否定できるものでもない、ということになります。もちろん強制性がどこまであるかでニュアンスは変わりますが、共通テストを受けていたために第2、第3志望まで不合格だったが公立大学に滑り込んだということもあるのです。また、私立大学の後期では共通利用形式が穴場になっているケースも存在することも付け加えられるでしょう。

もちろん、昨今の難化した共通テストとなると全員受験の呼びかけの是非も変わってくるかもしれませんが、少なくとも大人が語るかつてのセンター試験は受験しておいて損がないという考えは決して間違いではないのです。

5.大学入学共通テストの点数が良かった場合、国立大学の前期日程だけでなく、後期日程でも受験させ、国立大学合格者数を水増ししようとする

これに関しては個別にその学校や指導者を批判すべきで、一律に行っているものはありません。少なくとも私自身や周囲の教員は水増しだけを目的として受験をさせたことはありません。

6.大学を併設している私立の中高一貫校の場合、外部受験(他大学受験)に何らかの制約を設ける

そもそも大学併設の場合、その内部推薦要件には「専願」が含まれているはずです。そのために指定席を一席空けておくわけですから、当然ながら制約があってしかるべきです。

外部進学を考える場合は内部進学に関しては推薦を受けないというのが常識ではないでしょうか。

都会人の「グローバルスタンダード」という「ローカルルール」の押し付け

こうした記事で常々感じるのは東京中心主義者たちの「ローカルルール」の押し付けです。

彼らの多くは東京近郊(あるいは関西圏)に住んでおり、その世界観があたかも「グローバルスタンダード」であるかのように認識しています。

有名私大に進学し、有名企業に就職するというのは東京近辺では成功の一類型なのかもしれません。しかし地方から進学した若者がそのレールに乗るのは教育環境の違いからただでさえ難しい上に、結婚や出産、育児が重なったときに都会の人間と同じ生活が担保されるわけではない、という認識に欠けています。

九州という地域は全国と比較して地元への進学率が高く、人口減少も他地域と比べると緩やかです。もちろん、福岡や各県の県庁所在地への集中が進んでいることは事実ですが、そこには「東京ドリーム」とは異なる生活スタイルや幸福感が存在しています。地方に住む少数派の極論という批判も存在していますが、九州という日本全国の1割の人口を抱える地域の実情をマイノリティとして下に見ることは多様性とは相反する世界観でしょう。

町村役場の職員や地方有名企業での就職はその典型的な例で、そうしたモデルを望む生徒、保護者は決して少なくないのです。そしてそれを受けた上で地方高校の進路指導も方向付けされているのです。

もちろん望まぬ進路を強制するような指導はあってはならないし、そうした指導を行う不届きな教員の存在に関しては教育業界や個々の教員が大きく反省すべきですし、改善をする必要はあります。

しかしこの手の批判の多くが、地方における一部の個人のミスマッチと都会人の無意識の地方蔑視という差別意識の融合なのではないか、と感じるのは私の気のせいではないと思うのです。

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