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【題未定】新年度を迎えた入学時期の春こそが最もモチベーションが下がりがちな教員【エッセイ】

 春、桜の時期はやる気に満ち溢れている人を多く見かける。真新しいリクルートスーツに身を包んだ新入社員、明らかに幼さの残る表情で電車に乗って通学をする学生など、緊張しつつもやる気がみなぎっているのを遠目で見ても感じるほどだ。高校においても春は新入生が入学をする時期だ。サイズの合わない制服に身を包んだ彼らの姿には高校2、3年生には無い希望に満ちた表情と目の奥に輝く光を見て取れるだろう。彼らを見るとこちらの身も引き締まるように感じるのは決して嘘ではない。

 しかし、一方で私はこの時期、著しく仕事のモチベーションを下げている。おそらくすべての時期の中でも最も仕事の意欲が低下する時期と言っても過言ではないだろう。こうしたことを書くと「教師は聖職なのだからそういうことを言ってはいけない」、「教員はいつでもやる気に満ちた表情をみせるべきだ」、「教師たるもの常に意欲満々で生徒の前に立つべきだ」といった魚のえさにすらならない不要のアドバイスを書き込む輩がいるのだが、そうしたノイズは削除するので読者の方はご注意されたい。

 さて、ではなぜこの時期にモチベが下がるのかというと、端的に言えば新入生の顔や人となりを知らないからだ。私はどうやら教員という職業、教育という仕事に対し、社会的意義や抽象的な教育論を燃料とする人種ではないようだ。そのため、教育対象、授業の相手のことが分からずにやる気を出すことができない。個人的な感想に過ぎないが、私のように感じる教員はそれなりに存在するようで、実感としては4割程度は比較的同意する傾向があるように感じている。私の中での教員の仕事は、あくまでも目の前のある程度見知った相手、生徒の向上や進路実現であり、社会事業たる教育へ参加することではないということなのだろう。

 一方で逆のケースもある。これまた主観だが、主に教育論について一家言ある教員は対象の生徒がどうであれ、教育活動を行うことそのものに意義を見出し、意欲を高めているように感じる。実感としては6割ぐらいの教員はこの手のタイプのようで、そうした人にこの時期の私の感覚を話しても同意されることはほとんどない。言うまでもないことだが、仕事自体に関してはきちんと実行している。手を抜いて準備や授業を行うことはない。あくまでも内心においてやる気に火がついていないというだけのことだ。

 教育だけでなく、「仕事」において重要なのはモチベーションにいかに依存させないかだろう。人間は生きた存在であり、体調の悪い時期やプライベートな問題を抱えることも少なくない。そんな時にモチベを高く維持することは不可能である。大事なことはモチベの低い状況においてもきちんと同じ結果を吐き出すことのできる仕組みを自身の中に作ることだろう。これは受験勉強などでも同様で、生徒にも同様のことを伝えている。

 とはいえ、こうした時期は長く続かない。新学期が始まり、授業が進めば顔と名前が一致し、多少なりとも顔見知りとなっていく。そうすれば誰のために授業をするのか、仕事を行うのかは自ずと見えてくる。その時期まであとひと月、一先ず踏ん張るとしよう。


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