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【題未定】趣味は精神的な充足だけでなく、最も効果的な学習方法でもある【エッセイ】

 桜が方々で散り始め、山々は新緑の時期を迎えつつある。私の人生の中でこうした感想抱いたことが何度あっただろうか。数えたことはもちろん無いが、おそらく片手で数えるほどだろう。しかし今年はそうした感想をこれまでの人生と同数ぐらい抱いている。毎朝、毎晩通勤路を車で走っているとときでさえ、立体感のある木々の緑が目の前に迫ってくるように見えている。飽きるほどに通った道で、見慣れた景色でしかないその風景があたかも初めてのような経験として感じられているのだ。

 この理由は明確で最近になってカメラと写真を趣味とするようになったからだ。カメラで写真を撮るという行為は被写体を探す行為でもある。花や木々などの自然を選択的に見るようになったためにこうした変化があったのだろう。昨今は人が住まなくなった廃墟などにも関心が広がっていて、そうした建造物を見て哀愁を感じるとともに、栄枯盛衰をフレームに収めようと画角を意識した視点を持つようになった。

 写真を趣味とすることで起こったのは精神的な変化だけではない。その趣味を通して得た知識も多い。例えば写真に関して、原始的なカメラの仕組みの説明を行うための物理学の知識や、カメラの構造などを理解するための高額的な知識はそれにあたる。またフィルムカメラを触ることで現像その他に関しての基礎的な知識にも触れることができた。

 こうした知識は写真を趣味としなければ得られなかったものだろうと思う。私の四十数年の人生の中で生活に必要とするものではなかったのだから、残りの半分で必要となる可能性は低いだろう。もちろん理科の学習という意味でのレンズや光の最低限の知識は持っていたのだが、それをカメラという機械や写真という生成物に結びつけることはなかった。美術で習った一点透視や構図の取り方を実際に活用する場は無かったし、知っているだけで活用できる知識として成立してはいなかった。

 振り返ってみると、似たような経験はガジェットや自動車など、自身の趣味の中で度々起こっている経験かもしれない。PCやスマホが好きで興味があるために、携帯キャリア各社の通信規格や5Gなどの仕組みの知識を手に入れたし、メタル線電話網などに関しても人よりも詳しくなった。自動車やドライブが好きでエンジンや内燃機関、ハイブリッド機構の仕組みに関しても詳しく調べた。高校時代は学校の近くの図書館に行って、2サイクルや4サイクルのエンジンの構造などの本を読み漁ったものだった。現在もカメラの仕組みの本などを何度も読み返している。この学習効果は極めて高く、義務的な勉強では考えられない速度と定着率で頭に入ってくる。

 好きこそ物の上手なれ、とはよく言ったもので誰しも好きな物には時間を惜しまず、労力をかけても負担にならない。必然、学びが深まり知識や知見をそうでないものに比べて多く獲得できるとは物の道理だろう。教員をしているといかに生徒に学習に前向きに取り組んでもらうか、という命題を常に抱えることになる。この命題の解はシンプルで、学習を趣味にしてしまえば解決するのは間違いない。事実、過去指導した生徒の顔を思い起こせば、それが正解であると主張する証拠がいくつも上がってくる。

 とはいえそれこそが難しい。仕事が趣味にならないのと同様に、学習行為を趣味化できる人も稀である。しかし、逆に考えればこれが仕組み化され、普遍的な再現可能な技術ともなれば、教員という職業はいよいよ無用の長物となり果てる日もそう遠い日のことではないのかもしれない。

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