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死を意識するとパフォーマンスが向上するという研究やエピソード

個人的に、人生の早い段階で「死」に考えをめぐらすことは大切なことだと考えている。正確に言えば、そうした”きっかけ”に気づく経験が大事だと思っている。

自ら積極的に考えにいくというよりも、例えば日々のニュースを見て「どうして毎日どこのだれかもわからない人の死亡事故が報道されるのだろう」とか、家族に言われるがまま参列した遠い親戚の葬儀で「どうして普段は関わってなかったのに、死んだときはわざわざ集まってその人について語り合うんだろう」とか、純粋な疑問からでいい。

他にもきっかけは色々転がっている。「通学時間に大人の人が横断歩道で小学生を見守るのはどうしてだろう」「あおり運転とか言って、大の大人が怒鳴り合うのはどうしてだろう」とか。日常にあふれる場面だが、その裏側には意外と「死」が隠れている。

道路や歩道での見守りやいざこざは大体、”死んでしまわないように”行われていることだ(一部のバズ狙いやお金関係を抜いて)。冒頭で例に出した死亡報道や葬儀も色んな解釈があるだろうが、一つは”死を忘れないように”行われていることと解釈することができる。

われわれはやがて死ぬ。現時点では人類史上誰一人として、この自然の摂理を免れた者はいないとされている。なんだ、死ぬってことは別に特別なことじゃなくて当たり前のことなんじゃないか、ということがわかる。

当たり前のことなのに、われわれは死を避けがちである。死亡事故現場はブルーシートで覆われ、テレビでは規制がかかり、日常生活で死をテーマに話し合うなんてことはほとんどない。

その結果どうか。

それまで経験したことがないような苦難と対面したとき、ふと頭をよぎる。「人生の意味」「何のために生きるのか」。しかし、そんなことを真剣に考えるのは初めてである。乗り越えられそうにない直近の困難。どうにか乗り越えられたとしてもその先も続くであろう人生。とてつもない絶望感が襲い掛かる。諦めたい。投げ出したい。楽になりたい。人に迷惑はかけたくないけど、もうどうしようもない。誰か助けてほしいけど、頼り方もわからない。

そうして可能性と笑顔が少なくとも一つ、この日本から消えていく。

「死」というワードは強烈さを秘めている。そのあまりのセンシティブさに、生半可な気持ちで言葉にしたくない。非常に危険である。しかし、先のような事例を放置したくない。

結局、何が問題なのか。それは、死ぬことや生きることについて考える機会が不足していることではないだろうか。

人は”慣れ”の動物だとよく言われる。地球の目まぐるしい環境変化に適応してきたからこそ、今の人類がある。そう思えば、目前にそびえたつ障害や困難も、今は絶望感を生み出す存在でしかないかもしれないけれども、それに”慣れる”という世界線もあるかもしれない。

前置きが長くなったがタイトル回収である。死について意識を巡らせると、短期的・長期的スパンいずれにおいても、ある変化が見られるというエピソードである。

【例1】
バスケットボールの試合前に、「いずれは誰もが死を迎えること」をほのめかされた選手は、そうでない選手よりもシュートの成功率が高く、より多くの得点を稼いだ──これはスポーツ心理学の学術誌『Journal of Sport and Exercise Psychology』に掲載された研究結果である。

研究チームは、こうした死のほのめかしによる「激励」の効果は、「恐怖管理理論」(terror management theory)によるものだと仮説を立てている。この理論は、人間は「死の恐怖」に直面してそれに対処しようとする際に、自尊心や意義、不死を象徴するもの──そしてこの場合では優れたアスリートになること──を追求するというものだ。

「死をほのめかされると、その恐怖に対処する必要性が生じます。その結果、作業により熱心に取り組むことが多くの研究からわかっています」。研究論文の共同執筆者で、アリゾナ大学で心理学を研究するジェフ・グリーンバーグはニュースリリースでそう述べている。

研究チームは実験に先立ち、バスケットボールの選手を集めた。そしてまずは、論文の筆頭執筆者コリン・ゼストコットと1対1の試合を2回続けてやってもらうことにした(ゼストコットもアリゾナ大学の心理学研究者だが、選手たちには別の被験者だと思わせていた)。

1回目の試合のあと、被験者をランダムに2つに分け、半数には試合の感想を書くアンケートに、残りの半分には自らの死についてどう考えているかを書くアンケートに回答してもらった。

すると、死に関するアンケートに答えた被験者は、もう1つのアンケートに答えた被験者と比較して、2回目の試合でのパフォーマンスが40パーセントも向上したという。試合の感想に関するアンケートに答えた被験者は、1回目と2回目の試合でパフォーマンスに変化は見られなかった。

2つ目の実験は、1分間でできるだけたくさんのシュートを行うゲームだった。被験者はコイントスで2つのグループに分けられ、それぞれ30秒の個人指導とルールの説明を受けた。その際、半数には普通の姿の研究者が、残りの半数には「death」という単語を組み合わせて描かれた頭蓋骨がプリントされたTシャツ姿の研究者が指導した。

その結果、頭蓋骨がプリントされたTシャツを見た被験者のほうがシュートを多く成功させ、別の研究者に指導を受けた被験者より成功率が30パーセント高かった。

研究者たちは、スポーツのコーチのなかにはこのような方法で選手のやる気を喚起している者がすでにいるかもしれないと語り、さらなる研究によって、人々が抱く「死に対する恐怖」を活用する新たな方法が開拓されるかもしれないと示唆している。そして、そうした手法はスポーツに限らず、仕事などにも応用できる可能性があるとも述べている。

https://wired.jp/2016/11/08/death-performance/

【例2】
水野敬也:『夢をかなえるゾウ4』では、冒頭で主人公が余命3ヵ月を宣告されます。「3ヵ月」という設定は、物語的な要請から生まれたものです。期限があったほうがストーリー性が生まれるなかで、3ヵ月という期間は、短いながらもギリギリ「何かできるかもしれない」と思える期間だといえます。

僕自身、物語を綴るにあたって、「自分自身が余命3ヵ月を宣告されたらどうするだろうか」と考えました。いろいろと想像してみたのですが、結論としては、『夢をかなえるゾウ』の続編を最後まで書き続けるだろうと思ったんです。これは自分でも意外でした。僕という人間が生まれた理由を突き詰めていくと、それ以外には考えられなかったのです。

https://diamond.jp/articles/-/246448

【例3】
Journal of Research in Personalityに掲載された新しい研究が説明するのは、死と有限性を意識することほど、自分の人生に広い視野を与えてくれるということだ。

この研究では、自分もいつか死ぬことを意識する人は、YOLO(「you only live once」人生は一度きり、だから意味があろうとなかろうと何でも好きなことをやれ)という考え方を拒否しながらも、高潔で充実した人生を送ろうとする意欲を持つことが示唆されている。

心理学者のスーザン・ブラック、エミリー・ムロズ、キアナ・コグディル・リチャードソンの3人は、私たちの死について「私たちが人生をどのように生きるかの、唯一とはいわないまでも、最も重要な動機づけだ」と述べている。

彼らは「大人は命に限りがあることを理解しており、そのことを意識することが、良い人生を求める動機になるのです」と説明する。「もし死がなければ、『いまここ』での人生を最高のものにするための動機がないことになります」。

研究者たちは、有限性が人々の人生におよぼす影響を調べるために、人々が内面化した人生の物語、すなわち「ナラティブ・アイデンティティ」を調査している。ナラティブ・アイデンティティは、自分の人生がこれまでどのように見えてきたのか、そして将来どのようになるのかについての統一された感覚として理解することができる。

研究者は、研究参加者を3つのグループに分けて、それぞれの最も内面的な自己を規定する記憶(self-defining memories)を語ってもらった。

  1. 最初のグループは、現在の自己を規定している記憶を語るよう求められた

  2. 2つ目のグループは、一般的な自己を規定する記憶について語るよう求められた

  3. 3つ目のグループは、死後どのように記憶されたいかについての例を挙げてもらった

そこから次のことがわかった。

  1. 参加者は、自分がどのように記憶されたいかについて語るように言われると、自分を高潔な人物だと表現する自己規定記憶を語る傾向があった
    2.一方、参加者が現在の自己を規定する記憶だけを語るようにいわれた場合には、高潔な自己規定記憶を語る傾向は少なかった

この結果は「YOLO」的な生き方とは一線を画すもので、むしろ「eudaimōn(エウダイモン)」的な幸福、つまり(良く生き良く行為することで)名声や遺産を残すことに重点を置いた生き方を強く示唆している。

https://forbesjapan.com/articles/detail/48967

上のことからも分かる通り、死に対する向き合い方というものは「技術」と呼べるのかもしれない。いかにうまく使えるか。その目的は人により様々だろうし、様々であるべきだ。

私はただ、一人ひとりが自分の人生に満足感を得ることができる社会づくりのために、できる範囲で、その機会を生み出し続けることに集中しようと思う。

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