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ないものねだりの繰り返し

僕の家は母子家庭で、兄と2人兄弟。
当時不憫に感じていたことはあったかもしれないが、もう何も覚えていない。それどころか今欲しいものを、昔の僕は持っていた。

今日はそれについて。

僕の少年時代は、the弟と言わんばかりの兄のおさがり服、ゲーム機。最悪の場合、共用の持ち物。

その点、周りの友達が羨ましかった。兄弟それぞれの服、ゲーム機を持っている。

当時の僕は母親の気も知らないで、文句ばっかり言っていた。

でも、そんな僕も稀に自分だけの物を買ってもらえたこともあった。

今でも良く覚えている。家から1.5kmくらいある道のりを母と歩いて買いに行った、ゲームボーイアドバンスのポケモンのカセット。

買ってもらった帰り道、「1日1時間しかしない!」「学校の勉強頑張る!」なんてことをひたすら豪語していた。もちろんそれらは建前で、最初のポケモンはミズゴロウにしよう、バッジを友達よりも早く集めよう、友達に自慢したいetc...そんなことばかり考えていた。そこには限りないワクワクが広がっていた。


そして、その感覚は今では味わうことのできないものでもある。


2022年、学生から社会人になった。
実家暮らしから1人暮らしになった。

お金も自由も今までの人生の中で1番ある。知能だってそうだ。行動を起こす前に思考が異常に働く。

新しいゲームを買っても、恐らく途中で辞めてしまう。いつから飽き性になったのか。自由が効く分ある程度したいことが叶う、すぐ他のことに逸れていくのが目に見える。

僕には昔のゲームを貪る趣味がある。
何を求めているって、多分あの頃の感動との再会だ。

確かに昔のゲームで取り戻せる感動は多少あるが、そんなの一瞬。

今ならよくわかる。
母親がなぜあの頃の僕に、お下がりしかくれなかったのか。

そしてこの理解が意味するのは1つ、
僕も大人になってしまったということ。

大人になれば、価値がどうだコスパがどうだと、安定ばかりを求める。それはそうだ。生きていく上でお金が必要。お金がないと、この世界では生きていけない。

仕方がない、が勝つ。

ワクワクが欲しい、得るための答えも出ている。
けど動けない。

特別な存在だと思っていた自分も、不特定多数の1人だった。

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