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【私の感傷的百物語】第三話 真夜中の海鳴り

中学生の頃の僕は、夜釣りに対する強い憧れがありました。誰もが寝静まっている真夜中に、一人、黒い水面に向かって釣り糸を垂れるという行為が、たまらなく魅力的なものに思えたのです。

ある時、いよいよ夜釣りを決行しようということになり、布団の中でうだうだと時間を潰しながら、零時くらいになるのを待ちました。家人が全員寝静まった頃、コソコソと懐中電灯をつけながら、釣り道具を持って家を出ます。僕の家から道路を渡り、松林の道を五分くらい歩くとすぐ海なので、最初はワクワクしながら道路を渡ったのですが、松林の外れが見えてきた辺りで、思わず足が止まってしまいました。

松林の道を歩いている最中は、街頭の明かりが周囲を照らしていてくれていました。しかし、海への入り口である階段の部分からは明かりが一切なくなり、そこから海鳴りがゴオオ、ザアア、と聞こえてくるのです。かすかに風が吹いているらしく、松の木々は微妙にその枝を揺らし、まるで海鳴りの音にもてあそばれているかのようでした。真っ暗な空間から、原初的な低音が途切れることなくこちらに向かって響いてきます。まるで理解不能な言語で何事かを訴えているかのようでした。

この海鳴りに初めて接した時、僕は完全に肝を潰してしまい、家に逃げ帰ってしまいました。それからしばらくして、ある夜に意を決して再び松林を抜け、海鳴りに逆らって暗闇へと飛び込んだのですが、階段を上りきってみると、砂浜を見下ろせる堤にはあちこちに街灯が立っていたのでした。海も真っ暗ではなく、沖合にある岬には建物の明かりが見え、海面にも漁を行っているらしい何艘かの船が、電球の明かりを輝かせていました。こうした闇にきらめく明かりの数々は、深夜の海辺に、なんとも幻想的な薄明の空間をつくりだしているのでした。

今でもごく稀に、夜釣りをすることがありますが、海の近くまでやってくると、きっと海からやってくる水の音が、真っ先に耳に響いてきます。夜に聞く水音というのは、正体が分かっているにも関わらず、なんだか浮世のものではないような調べを持っていると思うのです。


家の前の松林の道。今となっては夜歩くのも心地よい。

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