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茶吉庵さん・築280年の空間 (大阪府 八尾市)

大阪府八尾市・恩智にある築250年のお屋敷。
オーナー萩原家は代々「茶屋 吉兵衛」の屋号で、名産品・河内木綿の問屋業をいとなみました。
現在は、茶吉庵 (ちゃきちあん)となり地域のランドマークになっています。
(1736文字)



茶吉庵 (ちゃきちあん)さん

茶吉庵(ちゃきちあん)さん
大阪府八尾市恩智中町3-1
萩原家住宅・登録有形文化財

もより駅は……
●近鉄南大阪線恩智駅…徒歩約7分。


茶吉庵さんの施設と概要

■■ 施設 ■■
■ゆくるカフェ■美術ギャラリー■
■中庭テラス■レンタル■
■陶芸教室■カルチャー倶楽部■など

近鉄・恩智(おんぢ)駅より恩智神社をめざして坂道をのぼる。東高野街道との交差点にある、むかしのたてもの。それが茶吉庵さんです。

近鉄・恩智駅かいわいは、のんびりしたまち。あれっ、この新鮮な感じ。
はじめてかもしれない。


外国人がいない静かさなんて。


かなり、おおきなたてもの。古民家というより、お屋敷。
「ゆくるカフェ」を内包した、ぜいたくな空間。
萩原家住宅・国登録有形文化財。
今回は、たてもの中心のおはなし。


かつて河内国(かわちのくに)とよばれた八尾市・恩智。すこしむかしをのぞいてみましょう。




  八尾市の名産・河内木綿(かわちもめん)

 ●八尾市は、どんなところ

八尾市公式サイトより引用しました


河内国・恩智村。
かつて農村地帯で、木綿(もめん)を産出。正確な綿作・織作のはじまりは不明です。
戦国・慶長のころには、綿の良品・名産品として河内木綿(かわちもめん)とよばれるように。

江戸時代、古代より水害の多い大和川をまっすぐにする改修工事・川の付け替えがおこなわれる。
そして河川あとの空き地にも、木綿(もめん)の栽培を開始、河内木綿のさらなる発展となりました。


  茶屋 吉兵衛(ちゃや きちべえ)さん

綿をつくる綿作。農村の農閑期のしごととして、綿打(めんうち)・糸つむぎ・はたおり、などの綿織(めんおり)。また染める工程もあります。

茶吉庵さんパンフレットより


いろいろな作業をたばね、諸国の商人に売る綿問屋。
恩智で河内木綿の問屋・織元業をしていたのが萩原家。山根木組(やまんねきぐみ)・屋号を「茶屋 吉兵衛」といいました。

八尾の木綿問屋 ほかには
「綿屋 吉兵衛」西岡家
「木綿屋 庄兵衛」木村家
「木綿屋庄右衛門」 萱村家
など

『河内木綿史』武藤善人著
p217より引用しました
茶屋吉兵衛

河内木綿の特徴は、厚地で丈夫。

河内木綿は単に着尺地(衣類用の反物)や布団地などのほか、暖簾・幟旗・半天(纏)・雲斎・厚司(厚くて丈夫な平地の木綿織)等にも賞用されたが、主要な生産はやはり着尺・布団等であり、当初は主に無地木綿の農作業着や仕事衣として特に重宝がられた。

『河内木綿史』武藤善人著
p75より引用しました



国登録有形文化財

【茶吉庵 施設内map】

河内木綿・はたおり機は「チョンコ機」「バッタン機」とよばれる足踏みの手織り機を使用していました。
明治になり外国製・はたおり機が輸入され、廃業する織屋も増えます。


明治末期に新式の機械織りで機屋(はたや)を始めた萩原家。
時代とともにあゆんだ「茶屋 吉兵衛」は19代目までつづきましたが、1993年に撤退。 

おおきなお屋敷。地元では「茶吉さん」と親しまれて現在にいたります。
りっぱな調度品の展示。

萩原家19代目オーナーさん、一時は屋敷の解体を考えたそうです。地域のひとびとの応援もあり、国登録有形文化財として再出発。

ゆくるカフェさん メニューより


改修して地域おこし・芸術家の発表・カルチャー倶楽部・活動の拠点として開放されています。

約30講座あり
ゆくる珈琲

ゆくるカフェさんで購入のドリンク・フードは中庭テラスでいただくこともできますよ。

手ぶらBBQ(バーベキュー)など各種パーティ―も開催可能。

写真撮影はOKですが、ほかのお客さまが入らぬように。
動画撮影の際は、貸し切りでどうぞ。

レンタル・予約、くわしくは、茶吉庵さんサイトをごらんください。


ステキな空間です。いつまでも。



【参考文献】
『 河内木綿史』武藤善人著

【参考サイト】
大阪府八尾市公式サイト
茶吉庵公式サイト



いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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