見出し画像

天狗になったけど質問ある?

こんにちは。ゆる言語学ラジオサポーターコミュニティメンバーのしうです。

この記事は「ゆる言語学ラジオ非公式Advent Calendar2023」の9日目の記事になります。

このアドベントカレンダーという企画、面白そうだと思って軽率に参加しました。
執筆を始めた今、猛烈に後悔をしております。
大変すぎる…。

当方、作文の才能に恵まれておりませんので、大変お見苦しいかも知れませんが、アドベントカレンダーを次へ繋ぐだけの存在だと思って大目に見て頂きますと幸いです。

さて、ここからは体験レポを綴ろうと思います。私がとある田舎町で天狗になったお話です。

以下、学びのない文章となりますので、些少なりとも知的情報をお求めの方は、第四章「閑話休題。地元の祭りの説明。」をお読み下さい。

注意
※個人の特定に繋がりかねない情報は仮称など改変を行ってます。
※一部、脚色誇張も含みます。話半分に読んで下さい。

はじまり

「宮ン前の倅よ、お前、鼻高になれ」

 肌寒さの残る4月某日、父親の代理で出席した片田舎の町内会。開会の挨拶もなく始まったそれは、先の一言で幕を開けた。

 言うまでもないが、宮ン前の倅とは俺のことである。田舎にはよくある風習で、同じ町内の者は互いに屋号で呼び合う。先の命令を下したのは、この地域の大長老、笠屋のジジイだった。

「お前も知っとろうが、この町内も高齢化が激しい。今の鼻高をやっとる東大工屋のヒデも45になるが。世代交代を考える時期だらがね」
「は、はぁ…」

ここは島根県出雲市。だから、年寄りは悉く出雲弁で喋る。「鼻高」というのは方言で天狗の意味だ。しかし、ここでは毎年11月に行われるお祭りで奉納される神楽の配役のことを指しているらしかった。

この辺りでは、11月3日に祭りがある。
祭りといっても、夏祭りのような出店が出てドンチャンやるようなものではない。神を祀る、という性格の色濃い古式な祭りだ。
その祭りの最後に神楽が奉納される。
その配役が高齢化に伴って限界を迎えている、という話は以前からチラチラとは聞いていた。かく言う自分も、例年は鳴り物隊として笛を吹いているのだ。笠屋のジジイの言い分も、現物を見ているだけあって、まぁ分からんではない。

しかし、天狗をやれとは。
あまりに急な話だな。そもそも配役ってこんな決まり方するもんだっけ?

目の前に座っている狸みたいに恰幅の良いジジイは、イマイチ状況が飲み込めていない俺の顔を見てにんまりとほくそ笑んだ後、

「他の配役は例年通りで行く。今年から鼻高が宮ン前だ。異論あるもんはおるか?」

と周りを見渡した。
一瞬の静寂ののち、パチ、パチ、とまばらな拍手が上がった。異論なしということらしい。
十数人はこの場に居るのだが、聞こえる拍手はやけに小さい。それでも、耳の遠いジジイどもには関係ないらしく、決議ということでこの議案は終わった。

こうして俺はヌルっと天狗になることが決まった。
しかし、この時俺は天狗になるという意味を全く理解していなかった。
まぁ大概の場合、地獄の門は静かに開くもんだ。

隠された真実、知らない事実

町内会の数日後、一通のLINEが入った。
先代の天狗役である東大工屋のヒデちゃんからだ。

『町内会で神楽の配役決まったって聞いた。お前、正気か?』

正気も何も、お前が歳食ったから世代交代を頼まれたんだが?
さて、何て返そうかな…と思案していると連投が。

『今年の祭りのこと、鼻高のこと、説明あったか?』

いや、それはない。
ヌルっと決まってそれきりだ。
タプタプと文字を打って、返信する。
な、に、も、き、い、て、ま、せ、ん。…と。
暫くあって、ピロン。通知。

『分かった。たぶん、しうに要らん心配をかけないようにしようという気遣いだと考えることにしよう。だが、しうには知っとくべき事実が2つある。
 1つ、今年の祭りは30年に一度の遷宮祭と重なっとる。地域中の住民が来るうえに、規模が例年の比じゃない』

はあ?

『2つめなんだが。お前、鼻高の神楽を覚えるのに普通どのくらい時間かかるか知ってる?』

知らん。

5年かかる。それをお前は半年でやることになる』

はあ?

『配役はもう神社委員に提出されたから、後に引けん。練習は出来る限り付き合う。やるぞ』

待て待て、待て待て。
知らん情報が重たすぎる!
なんだそれは。正気か?そんな条件でやる奴いるのか?あ、俺か。いや、嫌すぎる。

『遷宮祭はとんでもない人が来る。地方局だけどテレビも来るぞ。頑張れ〜』

はあ?
そんで、なんでこんなに呑気なんだ、こいつは。
あ、自分がやらなくて済むからか!
…え、まじ?

衝撃のLINE通知

結論から言って、マジだった。
俺の抗議も虚しく、『たのみますよ〜』というツレない一言で片付けられ、たった半年で5年分の神楽修行を行うことが決まった。
ブルーマンもびっくりなほど青ざめている俺を嘲笑うかのようにLINE通知が鳴る。
ピロン。

『あ、俺、来週から長期出張でベトナムに行くから。練習は8月にならんと出来ん。よろしく』

お前さっき、練習は出来るだけ付き合う言うたんちゃうんかい!
今4月だぞ?8月まで練習出来ないって、それ間に合うの?
地獄の門が、完全に開いた瞬間だった。

シンプルにしんどい練習の日々

そういうわけで練習は、予告通り8月のお盆過ぎから始まった。
ここまで書いておいてなんだが、まっったく面白いトピックはない。

レポとしては、シンプルにしんどかった。以上だ。

簡単に何がそんなに辛かったのかを記すと、まず練習時間が問題だった。
日中仕事を抱える大人が時間を合わせて集まろうとすれば、当然それは夜になる。
なるべく練習時間を確保しなければならないという都合上、19時から23時の4時間で練習しようということになった。
そして、仕事に支障が出ないように朝早めに出勤しよう、ということで起床は朝の5時
炊事洗濯ゲームといった家事もこなしながらの生活なので、睡眠時期は3時間。
これを毎週水曜と土曜、3ヶ月間行う。

これだけならまぁ、許容はできる。…が、大きな問題がまだあった。
そもそも、何故、神楽の習得に5年もかかるのか?
練習が始まって、理由がわかった。
真相は至ってシンプル。踊れるだけの筋力をつけるためだ。

神楽に用いる衣装は、小道具含めて20Kg近くある。
そして、神楽の舞い方は常に中腰の姿勢を保持しなければならない上、演目によってはジャンピングスクワットの如く、とび跳ねる動きもある。
年を食うと舞手は勤まらないと言うだけの理由が確かにあった。

振りを覚え、セリフを覚え、立ち位置・姿勢を覚えたとして、圧倒的に体力が持たない。

そもそも振りを覚えることすら難易度が高い。
頭も使うし、体も使う。とかく、3分踊れば床で伸びてしまうほど、俺には体力がなかった。

体力がないならつけるしかない。練習のない日はジムに通い、基礎体力をつけることに専念。
もちろん、オーバーワークにならないよう休息日も意識し、プロテインやビタミンなど栄養面にも気をつけた。

この頃付けていた食事日記

もはや完全に部活動である。それも体育会系の。
神楽を舐めていた。もっと文化的なものなんだろうと甘く考えていた。

これからは、無形文化財に対してちゃんと尊敬するようにしよう。

異常なほどに体育会系な練習の日々…しんどい

閑話休題。地元の祭りの説明

さて、特に祭りに関する説明もなくここまで書き連ねてしまった。
僅かでも衒学みを足すために、ここら辺で地元の祭りの説明をしておこう。

11月3日に執り行われるこの祭り、地元では「トオネリ」と呼称している。
表記では頭練り、当練り、遠練りなど書くこともあるが、正式な漢字は不明だ。
いかんせん語源がよく分からない。

この地域では、毎年、神様が特定の家に降りてくるとされている。神の降りてきた家は「トオヤ」と呼ばれ、一年間、ポータブル式の神棚を預からなければならない。
そして、一年後、次のトオヤが決まれば神棚を渡す。
神棚が町内中をたらい回しにされていると言っていい。
これを太古の昔からやっている。
大昔は神社から空に向けて矢を放ち、矢の突き刺さった家に神が降りるとされていたそうだ。だから、トウヤは「当矢」と書くのが正しいのだ、と地元の古老は言う。まぁ、俗説の類いであろう。

今では矢を放つという訳にはいかないので、ある程度の順番が決まっている。トウヤの当たり年に不幸があれば順番が飛ばされる程度の認識で運用されている。

そして、トオネリとは、このトウヤのお披露目式のことである。
今年のトウヤはこの家ですよ、というのを町内に知らしめる役割があり、今年参られる神に対しての祈祷の意味もある。

しかし、トウヤに降りてくる神が何者なのかは浅学にしてよく分からない。
地元民の感覚としては、特定の神を祀っているという感覚はないので、歳神や祖先霊を祀っているという認識だ。
ここらの氏神だとすれば、須佐之男命(スサノヲノミコト)がそれなのだが、そんな偉そうな神に家に来られても困る。
やはり歳神なんだろう。

だいたいの祭りの流れは以下のようなものだ。

まず、神棚を宮司が事前に前トウヤから受け取り、お祓いをしておく。
そして、トオネリ当日、現トウヤに神棚の受け渡しがされ、トウヤの家屋内にて神楽の奉納が行われる。
次に、トウヤの当主を筆頭に、鼻高・番内・おかめ・ひょっとこ・獅子舞・鳴り物隊が連れ立って、町内中を祭囃子とともに練り歩く。
ここら辺がトオネリ(練り)と呼ばれる所以である。

町内の神社を巡った後、氏神である神社にて、再度神楽を奉納して、祭りは終幕する。

神楽はトオネリの中で二度舞われるが、町内でハレ事(例えば、結婚や成人式、出産)のあった家があれば、お祝いとしてその家で舞うこともある。
その場合は、キツイ踊りをほぼ一日中踊り続けることになるため、まさに体力がモノをいう。
やる側からすればたまったものではないが、町内としてはまさにハレの儀。異様なほどに熱量のあるお祭りである。

奉納される神楽の演目は以下のとおり。

1.三楽
2.弊串舞
3.剣舞
4.鈴舞
5.早調子

演目だけではなんのこっちゃだが、そもそも神楽と言いつつストーリー性のあるものではない。文中の表記が神楽、神楽舞、踊りと揺れるのはそのせいである。
やってる事は踊りそのもの。動きの異なる舞踊にバリエーションがあるだけだ。
踊り手も鼻高と獅子舞の2名だけ。非常にこじんまりしている。
恐らく、元々巫女が舞っていた託宣神事だったものが、明治時代に至って神職の演舞禁止令によって民間儀礼に置き換わったのだろう。
弊串・剣・鈴を小道具として舞う辺り、その名残が見て取れるように思われる。

3.剣舞の様子(動画切り抜きの為、画質荒くてすみません)

そんな中、唯一ストーリー性を伺えるのが最終演目の「早調子」だ。
4畳半の角から角へ逃げる獅子舞を、鼻高が追って捕まえるという演目である。
獅子舞は鼻高の捕縛をひらりといなした後、必ず嘲笑うかのように挑発する。一方、鼻高はいなされた後は必ず見失ったかのように四方を見渡し、獅子舞を見つけ出すというような仕草を取る。
8回程度の追いかけっこの応酬があった後、ようやく鼻高が獅子舞を捕らえて終幕となる。

5.早調子の様子

きっと嘗ては、前後にもストーリーを補足する演目があったのだろうと推測するが、今となっては完全に形骸化し、ただの鬼ごっこのような演目となったんだろうと思う。
なお、演目の「早調子」とは、この舞踊の間、徐々に曲調が早くなっていくことに由来している。

各演目は3分〜5分程度と非常に短い。
全体を通しても、30分足らずで終わる。
まぁ、色んな所で複数回踊ることが前提なので、そんなもんだ。
この短さ故に、町内会のジジイ共はいきなり配役を命じてもすぐ覚えて舞えるだろうと思ったに違いない。
実際はある種の筋トレと肉体改造なので、覚えたら舞えるとか、そんな問題ではなかったのだが…

おわりに

ぶーぶー文句を言いながらも練習には真摯に挑んだ。
無茶ぶりに近い配役決めではあったが、純粋に楽しさもあったからだ。
踊ること自体は好きだし、小さな頃から見てきた地元の神楽を自分が舞えることは少し誇らしくもあった。

そんなこんなで、徐々に体力もつき、11月に差し掛かる頃には2〜3回通しで踊ってもバテなくなった。
覚束なかった足運びも、踊りを体で覚えるにつれ安定した。
5年かかると脅されたものを、事実半年足らずで習得することに成功したのである。

迎えた当日、さしたるハプニングもなく、本当に無事に終わった。

地元町内中の注目に晒されようと、テレビ局が来ようと、それがどうしたと言わんばかりに練習通りのことをした。ミスったところでお面被ってるから誰かバレないという安心感が大きかった。

ここまでが天狗になった体験レポだ。

決して、もうこれ以上書くのがめんどくさくなったから筆を置くわけではない。断じて。

最後に。
小さな田舎町の、小さな神楽団のつまらないご紹介させていただいた。
ただ、冒頭のジジイの発言のとおり、この神楽団にも少子高齢化の波が津波の如く押し寄せている。
そう遠くない未来には、ひっそりと消えてなくなるだろう。
いつか消えてなくなったその日には、この記録がアーカイブとして残ればいいやと思う。

ここまで書き終えて、ゆる民俗学ラジオ案件だったな…と思わないでもないが、ゆサ民諸氏なら大概の事象は面白がってくれるので気にしないことにする。

長文駄文失礼しました。

P.S.
ずっと練習に付き合って下さったヒデちゃん始め神楽団のみなさん、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?