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君の神様になりたい。/カンザキイオリ【AT1選note投稿祭】

まえがき

此度はかんなぎさん(kαnnαgi|note)の企画、【AT1選note投稿祭】に参加させていただく形で筆を執らせていただきました。かんなぎさん、ありがとうございました。
企画趣旨は単純明快。
自らのボカロ曲AT1選について語ろう、というものです。
愛と真心と感謝を詰め込んで、誠心誠意、書かせていただきます。
よろしくお願いいたします。

序文、あるいは「あなたは私の神様だ。」

そんなに詳しく覚えてるわけではない。
なにせこんな人生の中でデカめの意味を持つ日だなんて思ってもなかったし、ちょっと衝撃が強すぎて日付を覚えるどころじゃなかった。でもHenceforthが投稿されるしばらく前、ぐらいの出来事のはずだから、おそらく2020年の夏休み中だ。

その日、命に嫌われている。を再生した。
その日、カンザキさんに出会った。ボーカロイドと会合した。
カンザキさんの曲を漁った。一気に5,6曲聞いた。
君の神様になりたい。を聴いて、泣いた。
その日、確かに救われた。

楽曲の基本情報

作詞・作曲・編曲:カンザキイオリ
歌唱:初音ミク
投稿日:2017年10月1日
1stアルバム「白紙」に収録

命に嫌われている。の直後の作品であり、件の曲が伸びたその当時の気持ちが綴られているという立ち位置の曲です。
概要欄では「無理でしたけど。」と語っています。
あとニコニコでは「カンザキです。ちゃっす。」とも。

以下からは歌詞の解釈を行っていきます。
極めてまっすぐな歌詞なのでわざわざ解説せずともほとんどの意味が理解できる曲ではありますが様々な背景のある曲なので、解釈をしたらしたでちゃんとまた新しい色が見える楽曲だとも思っています。
詳細な解釈が必要だと思う部分についてのみ解説していきますので、歌詞の一連の流れを覚えていらっしゃらない読者の方は、歌詞部分も一読しながら読んでいっていただければと思います。
また楽曲の性質上、「命に嫌われている。」についてはどうしても触れなくてはいけないため、未視聴であればそちらも視聴してからお読みになることをおすすめします。

歌詞解釈

「僕の命の歌で君が命を大事にすればいいのに」
「僕の家族の歌で君が愛を大事にすればいいのに」
そんなことを言って本心は欲しかったのは共感だけ。
欲にまみれた常人のなりそこないが、僕だった。


命の歌→命に嫌われている。
家族の歌→アダルトチルドレン
この当時(というか今も)、カンザキさんの楽曲で再生数1位と2位を記録していた曲、バズっていた曲ですね。またカンザキさんは、「アダルトチルドレンあたりから自分のありのままを表現し始めた気がする。」ともおっしゃっています。


苦しいから歌った。
悲しいから歌った。
生きたいから歌った。ただのエゴの塊だった。
こんな歌で誰かが、救えるはずないんだ。


・『ただのエゴの塊だった。』
「命に嫌われている。」は「エゴ」の曲とも言えるでしょう。
人間は極めてエゴで、命にも嫌われても仕方なくて。でも、そのエゴで僕たちは人に生きること願われて、自分のエゴで生きていく。
カンザキさんが歌ったのもやっぱりエゴなんです。自分が前作の開始1秒で否定したエゴの曲なんです。だから当然、誰も救えるはずなんてない。
でも。



だけど僕は、君の神様になりたかった。



うわあああああああああああああああああああああああああああああ


こんな歌で君のジュグジュグ腐った傷跡が埋まるもんか。
君を抱きしめたって、叫んだってなにも現実なんて変わるもんか。

がむしゃらに叫んだ曲なんて、僕がスッキリするだけだ。
欲しかったのは共感だけ。でも君も救いたかった。

僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。


ジュグジュグ。
本楽曲の2作後である「ロマンチック願望」には「『なぁなぁ、ジュグジュグってなに?』 もう、ダメ。自分に自信なんて一つもないんだ」という歌詞があります。



ボロボロに落ちて落ちて落ちてかさぶたになった傷で
誰かと喋ってみたかったんだ、馬鹿みたいな話。


おそらく本楽曲中唯一の抽象度が高い歌詞ですね。
僕もここの読み取り方は絞り切れていませんが、自分なりの解釈をいくらか載せておきます。

・『ボロボロに落ちて落ちて落ちて』
普通に受け取るなら、「転落人生」というような場合に使われる「落ちる」でしょうか。身も心もボロボロになって、転げ落ちていく。ただ直後の『かさぶた』へは若干飛躍があるようにも感じますね。この読解をする場合、時間とともに傷は癒えてかさぶたになった、という感じでしょうか。
一方でもう一つあり得る、思っているのが「涙がボロボロと落ちる」という解釈です。つらくてつらくて、とうとう決壊した涙がボロボロと流れてきて、止められない。でも思いっきり泣いた後って少しすっきりするものです。雨降って地固まるとも言います。少々強引な感じもしますが、こちらの方が「かさぶた」には綺麗につながる印象です。

・『かさぶたになった傷で 誰かと喋ってみたかったんだ、馬鹿みたいな話。』
ここまでの流れからは結構唐突にも思える一節ですね。
傷が治った未来で、バカみたいに友達と笑いたかった(けどそれは叶わなかった)、という風にも読み取れますが、かさぶたって結局傷口が一応閉じただけで、傷であることには変わりありません。
「傷で喋る馬鹿みたいな話」とはなんなのか。
ということを考えた時に、やはりこの歌詞も「命に嫌われている。」を指しているのではないかという見方が出てきます。

カンザキイオリ:

 東京で暮らしていくうちに、地元での生活すべてが悲しかったわけじゃないと気付いたんです。手を差し伸べてくれた人とか、優しくしてくれた人たちも確かにそこにはいて。

 そういう人たちに向けて、何かしらの感謝を伝えたいという想いが漠然とわいて、それで書きはじめたのが『命に嫌われている。』でした。

紅白歌合戦で披露「命に嫌われている。」は“死んでほしくない大切な人”のために作られた。カンザキイオリが語る“生と死と音楽” | ニコニコニュース オリジナル (originalnews.nico)

詳細は上記記事に任せますが(読むとまた深まるのでよろしけば…!)、
本人曰く、「命に嫌われている。」は実体験をもとにしているとのこと。

「すべてが悲しかったわけじゃないと気付いた」=傷にかさぶたができた。
その傷で誰かと喋ってみたかった、「命に嫌われている。」を書いたのはそれだけの理由だ。
というのがこの歌詞の本意と考えています。

以下は特に注釈すべき歌詞が無かったので垂れ流しです。
カンザキさん、大好き。


「あなたに救われました」と「生きたいと思いました」と
ああそうかい、変わったのは自分のおかげだろ。よかったな。

子供の頃は自分も素敵な大人になると思っていた。
ていうか素敵な大人になって自分を救いたいっておもってた。
時が経ち僕が成すのはボロボロの泥だらけの自分で
生きるのに精一杯。

ゲロ吐くように歌う日々だ。

何度だって歌った。かさぶたが剥がれるほど歌った。
生身の僕で、君の神様になりたかった。

こんな歌で君のジュグジュグ募った痛みが癒せるもんか。
君を抱きしめたって、叫んだって君が苦しいことは変わらないや

グラグラで叫んだ曲なんて、僕も実際好きじゃないや
欲しかったのは共感だけ。それじゃ誰も救えないや。

僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。僕は無力だ。

生きた証が欲しいとか、誰かに称えて欲しいとか、
そんなのはさほど重要じゃない。どうせ落ちぶれた命だ。

誰かを救う歌を歌いたい。

誰かを守る歌を歌いたい。

君を救う歌を歌いたい。

無理だ。

君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる。

こんな歌で君のジュグジュグ腐った傷跡が埋まるもんか。
君を抱きしめたい、叫んであげたい君の傷跡も痛みも全部。

でも所詮君は強い。君はきっと一人で前を向いていくんだ。
それならばいい。だけどもし涙がこぼれてしまう時は、

君の痛みを、君の辛さを、君の弱さを、君の心を、
僕の無力で、非力な歌で、汚れた歌で歌わしてくれよ。
僕は無力だ。僕は無力だ。僕は神様にはなれなかった。
僕は無力だ。僕は無力だ。無力な歌で、君を救いたいけど。

救いたいけど。



以下、発狂パート

…わかります?「命に嫌われている。」に救われた後に聴くコレの破壊力。ついさっきまで絶望していたであろう人間にはあまりにまっすぐで力強い肯定、承認、抱擁。現在進行形で自分を救ってくれている人から「君の神様になりたい。」って言われたら、人は泣きます。(オタク特有のデカい主語)
さらにはリアルに干渉して抱きしめようとまでしてくる始末。なんなんだよこの人。救世主か?無限に背中押してきます。
ひたすら「君は強い、君は飛べる、大丈夫、僕は味方だから」そういう趣旨の言葉をかけ続けてくれます。
君の神様になりたかった。」とかいう最高のワード引っ提げて。

ラスサビもやばい、ひとことひとことの重みがすごい。
結局自分は君を救うことができない、でも、君の傷を歌うことなら、できるから、僕に歌わせてほしい、神様にはなれないけど、すこしでも、君の力になりたい。
はぁぁあああああ~~~~。
ああああだいすきだいすきああああああああああああああああ
だいすきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい泣泣

あとね、あとね、カンザキさんこの曲のこと、とっっっても大事に思ってくださってるみたいなんです。

こちら、カンザキさんの2ndワンマンライブ
「別れなど、少年少女に恐れなし」の一幕です。
カンザキさん、このワンマンでの歌唱をライブ中継で3曲(アーカイブ削除済み)と切り抜きの動画で4曲、計7曲を無料公開してくださってるんですけれど(なんでだよファンへの愛デカすぎだろ一生ついてく大好き)、カンザキさん、この曲を歌ったときだけ2回もミスってるんですよ。
しかもラスサビの「君の心を」を飛ばすとかいうそうそう無い間違え方してますこの人。
他の7曲ミスなかったのにこの曲だけ急にコレなんです。
え、じゃあこの人この曲にどれだけの感情込めてたの?
この曲歌う時どれだけ緊張してたの?
命に嫌われている。よりも少年少女よりもこの曲に重みを感じてたの?
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(爆発)

「命に嫌われている。」の冒頭では「そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな」と言ってたカンザキさん。
そのカンザキさんが自分の弱いところ全部さらけ出しながら「こんな歌で君は救えないかもしれないけど、君の味方でありたい、君の力になりたい、君のそばにいたい、君を救いたい気持ちは本当なんだ」って、ああ、あああああああ、、、、
そうなんです、カンザキさんって、人間なんです。
極めて弱い、ただの1人の人間。神様になんてなれないんです。
僕らと同じ、ただの1人のボロボロの人間なんです。
「生きてりゃそのうちいいことあるよ」なんて無責任なこと言えない、なんならその言葉でおそらく傷ついてきた、僕らと同じ人間なんです。
だからこそ、この人の「生きろ。」に僕らの心はついつい呼応してしまうんです。自分の中にある、ほんのちいさな「生きたい」が、ぎゅっと抱きしめられるんです。
理由なんてなくていいんだ、ただあなたに生きていて欲しいんだ。その先は大丈夫。今がどれだけつらくても、周りがどれだけ恐ろしくても、君は自分の力で前を向いて歩いていける。
っていうメッセージを同じ目線の人から繰り出されるの威力が高すぎるんですね。

っていうかずるいところとして、この人「命に嫌われている。」でちょっとだけ前を向けた直後の人間に「君自分で前向けたね!強い!!だから大丈夫だ!!!」とか抜かしてくるんですよ、カンザキさんが前向かせてきたくせに。でもカンザキさんは「自分は何もできなかったんだ」「変わったのは自分のおかげだろ」の一点張り。計画的犯行だろこれ。
でもなー、これで僕らは文面にちょっとだけ惑わされた末に本当に「自分は強い」「自分で前を向けたんだ」ってそんな気がしてきちゃうんですよね。前向ける気がしてきちゃうんですよね。ずるいよカンザキさん。
まあわかりますけどねカンザキさんの言い分も。「あんたらが自然に前を向いただけだろ?」「あんたらが自分の生きたいって気持ちに気付いただけの話だろ?」「僕はなんもやってねえよ誰も救ってねーよ僕は」
うん。

でもそのきっかけになったのはあんただろふざけんじゃねーよおらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

僕は!!あんたに!!!!救われたんじゃい!!!!!!!!!

はぁ…はぁ…はぁ…

そうですね、許せないですよね。カンザキさん本人が一貫して悲観的なの。
んでもまあカンザキさんは多分このスタンスは崩してくれないでしょう。
だから最後に、独り言を言って終わろうと思います。

勝手になにもしてないとか宣っといてください。僕も勝手にあなたに恩を感じておきます。
あなたに救われました。
あなたに救われました。
あなたに救われました。ありがとうございます。

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