いま思うとすごかった能力(IQ高めの人)

書くきっかけ

なんとなく世間が「IQ」ブームな感じがあるので、高めの私が「できたけど病気や加齢で失った、いま思うと人並み外れていたんじゃないか」と思うことを書いてみる。

IQはWAISで全体115、言語120くらい。2回受けたのと誤差を考えても「高め」でいいだろう。あと、私はこのことを全くうれしく思っていない。「普通だけど運動能力が高い」ほうが絶対にいい。

世間から浮いているし、周りが馬鹿に見えるし(失礼だが、数値が上位なので、私から見て世間は効率悪く動いている)それを表に出すと、当たり前だが嫌われるし疲れる。おまけにガンで腹を切ってから半寝たきりなので生きてて苦痛だ。…キッカケと関係ないことまで書いてしまった。

できたこと1

何度か書いてるし、過去の栄光にすがるみたいでみっともないが、これを読むのはほとんど新しい方ばかりだと思うので、何度も書いていいと「自分に許可」する。(完璧主義だったので、もっと厳選したり徹底しないと気が済まない性分なんだが、ただの趣味であるnoteにそれをすると生きてられない)

私は小学校までの授業は「先生の言うことを聴いて全部その場で理解した」ので、予習復習をせずほぼ満点だった。「ほぼ」なのは、たとえば国語で理屈上オカシイこととか、「筆算」のメモが汚くて自分で誤読したりとか。

国語で「あったかい」と答えたけど先生がOKくれず(いま思うと先生も困ったろうけど)「暖かい」が正解だったとか、ああいうのは教育としておかしいよな。これは授業中の話だが、何がいいたいかというと「絶対的な正解ではなく相手が求めているものに合わせた答えが必要」なのが日本の学歴社会なので、大前提から破綻している。脱線した。

話が飛ぶが、私はいったん「正確に」理解したことは完全にこなせる。これは今でもそうだ。全盛期(新卒ごろ)はC言語の入門書を読んで実行し、本一冊、頭に入れたりしていたので、そのまま全部使えた。(子供時代に)ファミコンの取説とかも全部読んで頭に入れてたので、ふつう知らないようなレア機能も使いこなしていた。それが当たり前と思ってた。

話がなげーな。。。ファミコンついでに、縦スクロールのアクションRPGがあって。友達の家で、攻略本を見たあとでプレイした。上に進んでアイテムを掘るやつなんだけど、どこに何があるか「全部わかる」ので、自分でも不思議だったが、さっき見た攻略本のマップをどうやら「写真記憶」していた。自然にやってたのだが、今は意図してもできない。

できたこと2

なるべく時系列に思考しないとやりづらく、かつ、脳の悪癖で、連想ゲーム脱線しやすい。なので私は本当に言語に関する知能が「数値上は」高いけれど、といって私の文章は読みやすくない。(理解しやすいように書く訓練をしてないからだ)

大学のときに初めて、短期の語学留学に行ったんだが。オーストラリアのシドニーにも行った。帰国後しばらく「脳内グーグルマップ」みたいなことができた。どういうことかというと、自分が見たものは録画されたように細部まで記憶しているので、街を行ったり戻ったりができた。当然、見てないものは記憶されない。

2001年に1年弱、LA(ハリウッド)に住んでたんだが、帰国後しばらくも、ハリウッドの街を記憶内で自由に往来できてたぽいので、30歳前半までこの機能が私にはあったようだ。あ、いま48歳。

ハリウッドに居たのは、プロの音楽家になろうとして、その学校がそこにあったからで、金が惜しいんで下調べもVISAも飛行機も、あらゆる準備を自力でした。エージェントとか使ってないし、SNSも無いし、Webはあったけど、今おもえばその実行力も「すごかった能力」だと思う。

あれに比べると現代の人のほうが恵まれてるよな。

で、当時、音楽ばかり聴いていて、「ある歌手が別の曲を歌うとこうなりそう」みたいなものを頭の中で再生できた。これは完璧に全部とまではいかないが、曲のサビくらいまではできた感じだ。

そして、奇しくもさっきYoutubeで「フレディ・マーキュリーがウェルカム・トゥ・ジャングル(ガンズの曲)を歌ったら、をAIでやってます」ってのがあってビックリした。AIがここまで違和感なく人間ボカロを再現できるようになってたのか。また脱線した。ともかく、AIが今やってることを私は頭の中で少しできていたのだ。

加齢で落ちたけどまだギリできること

加齢というか、頭おかしくなって通院し、睡眠薬つかったり、ギャンブル依存になったり、まともに頭をつかわなくなったせいかもしれんが。脳が破損して、できることの「精度」がそうとう落ちた。

ただ、たぶん、知る限り、IQが普通くらいの人には、上述した私のできた「超能力的スキル」はあまりできんのではないか?それとも皆あえて言わないだけで、写真記憶とか普通にできるもんなの?

幼少の私は「自分ができることは他の人も同じようにできるもんだ」と思い込んでいたので、周りがなぜ百点を取らないか不思議だった。ガイ◯なので高校生くらいまで同じような感覚があって、さらには近年、発達障害というのが啓蒙されてきたのでようやく違和感の正体が見えてきた。

話を戻すが、今でも脳の基本機能として「録音」はある。イヤーワームと呼ばれるらしいが、聴いていた音が意図せず延々と流れていたりする。最盛期はある程度、制御できたが今はあまりできない。

興味深いのは、英語のリスニングができない状態で、どれくらいの「精度」で洋楽を録音できているのか?たとえばギターの音は原音そのままで頭に鳴るし、人の声質とかもそのままだ。ただ聞き取れない歌詞はどう記憶されているのか?なんか今試してみたら(何度も聴いてるやつは再生できる)リスニング能力と精度が比例している。声質とかはそのまま鳴る。

音に関しては、聴覚過敏だし、いまだにある程度は録音されているっぽい。ただ引き出す機能が壊れかけている。理屈上、脳のニューロンとやらの仕組を考えても、入ってる情報量が増えると、引き出しづらくなる気がする。(タンスにモノが詰まっていて探すのが大変なのと同じ原理だね)

動画や写真記憶は、ほとんどできない。ただ、数字の暗記はそこそこできる。

あと、「仕組を調べて、頭に入れさえすれば、ある程度のことを自力でなんとかできる」という機能は、いまだにギリ保っている。これじゃピンと来ないので説明する。

私は「成人してかなり経ってからバイクに興味持った」(一般にバイク乗りが学生や青年期から初めて詳しいのと異なり、遅い)のだが、近年のデジタル化されてない古い水没バイクを、調べまくって原理を理解し、実働するまで直すことはできる。Macbookとかも(Webに情報さえあれば)電子回路までは無理だけどバッテリとか液晶交換などはするので、「特殊装置(顕微鏡的なアレ)や専門知識が必要とされる」レベルでなければ、人並みよりはかなり何かをできるほうだと自覚している。

雑にまとめ

他に言いだしたらキリがない。書いてて疲れてきたのでそろそろ締める。

こういうのが「すごい」のかどうか分からないし、健常者様たちは「できるけどあえて言わない」だけかもしれない。ので、読者に、自慢しているように取られて不快感を与えるとイヤだな、と思うんだが、今回「自分のIQが高いゆえではないか」と思うことの、裏付けとして、事実を羅列している。自慢とは取らないでいただきたい。べつに必要だからやってるだけで、誰にも褒めてもらったりしないし。

何が言いたいかというと、私なりに世間を観察した感じでは、たとえばバイクいじりを長年やっている専門家がそれをできるのは自然なことだが。そうでない私が成人後に急に初めてもそれなりに理解できるのは、たぶんIQの高さによる能力であると思う。他の音楽だの、記憶に関することも、思考に関することもそうだ。

(バイクについては、私より長年、若い頃から乗り物大好きでいじっている友人が驚いたり、認めてくれたので、簡単にできることではないと想像する)

狂ったり、病気になったりする前は、Webエンジニアを職業にしていたんだが、他人と関わるのが疲れるので、職場を転々としていた。で、体感だが、10名に1名くらい、私と対等なスキルがある。が、他の人達は効率や理解力が低く感じる。(だからといって、根気がよくて細かいことを延々と手伝ってくれたりとか、感謝していることもある)で、IQの分布をみると、私は上位1割くらいらしいので、体感とも合致している。一回、自分よりスキル下の方が「あなたのプログラムは読みづらくて分からない」ってんでイヤミで「雑に早くやればいいんですね?そうします」と言ったことがある。

おまけ(重要)

テーマとして「できる・できた」を書き連ねたのだが。自慢話だと思われたらイヤなので、むしろ「こっちが本題だよ」ってことを書く。私は虐待されて育っているので、自己肯定感がほぼ無い。上に書いたことは、能力としてはたぶん人並みより少し上なのだが(東大・京大卒の人と話すと自分よりすげえなと感じる)、だから良いとは全く思ってない。これから書くことができたほうが、私にとっては重要であり、そっちが得意だったほうが良いと思っている。


「できない・苦手」を書いておく。私は、勉強が苦手な子たちが自然にやるように、野球ゲームの球の軌道が予測できない。数学も「立体」が出てきてからすごく苦戦した。(中学レベルはギリ、無理に詰め込んだから、努力で補足していた)どうやらデジタル・2次元までが私の脳の得意分野らしく、3次元はきつい。

あとご多分に漏れず身体操作そのものが苦手なので、球技やスポーツは苦手だ。(ただスキーやってたのと、体が軽く柔らかいので、乗馬などはできる)

「人と関わる」も本当にイヤだ。人に関心が無いということは全くない。むしろどうみても、私は好奇心ゆえ、他の人のことを、健常ガイジたちより興味を持って生きている。あ、ガイジと書いてしまった。面倒なのでもう伏せ字しない。

ただ、私が興味を持っても、「彼ら」は私の関わり方とは異質なコミュニケーションをするので、ある時期から面倒になって世間から身を引いてギリ生きている感じだ。例えばだが、大丈夫じゃないのに大丈夫です、というとか。

本当に思っていることを隠していたり、あと、仕事でいうと、嫉妬されるのが本当に疲れる。「できる」もんは仕方ないではないか。俺はべつに努力せずできる天才型ではない。ぜんぶ人並み以上に勉強したからできているだけだぞ。

ほかに、本稿を読んでもらっても分かるとおり「枝葉を端折ることができない(話が長い)」とかもある。訓練次第で治せる部分もあろうし、エッセイなんかも、プロとしてやるんであれば、何度も推敲したり削りまくればどうにかなる。

ただ「そういうこと」は音楽で懲りた。「自然体でなく、よそゆきの完璧主義」を続けていたら、メチャクチャ疲れてイヤになったり、病気になったので。

どうせ本稿もそれほど多くの目につかないのに、そんな努力をしたくない。これは長年、生真面目に、ものすごく人並みより精密に仕事してきたら、自分がおかしくなった結果、こうなってしまった。人間嫌いも同様。

もう疲れていて何を書いているか分からなくなってきたので、唐突に終わる。先にも書いたけど「いったん正確に頭に入れさえすえば」私は英数混合の自宅のwifiパスワードを暗記したりしてる。全盛期は友人全員の携帯電話番号も覚えていた。クレカ番号も暗記していた。なのでたぶん、脳機能の指標としてのIQはたしかに高いほうなんじゃないかと思っている。

同時に「他にとりえがないので」それをこうしてひけらかしているものの、そのことを「良かった」とは全く思っていない。スポーツができてかっこいい、と言われたほうが一億倍うれしい。←これがたぶんいちばん言いたかったことだと思う。

最後まで根気よく読んでいただけたらありがとうございます。

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