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【エッセイ】神頼みしない人

尊敬する人がいる。ここでは、Aさんと呼ぶ。
以前から知っていた人だけど、最近人柄を深く知ってから完全に心を掴まれた。どこをどう掘り下げても深みがある。信念がある。そんな人。

Aさんと自分を比べたとき、私は今まで積み上げてきた物もこれから積み上げようとする物も無いことに気付かされる。人間としての差を見せつけられて、かなり凹んだ。

そんなAさんは先日、絵馬に「俺の夢は 俺が叶える」と書いていた。

カッコつけているだけかもしれないし、そういう“おもしろノリ”だったのかもしれない。まあ、そうだったとしてもブレない姿勢がなんか素敵だと思えた。漠然と、「あぁ、私も来年初詣で行ったら同じこと書こうかな~」なんて、イタいことを考えている。


合格祈願とかクソくらえ

ここで、私のこれまでについて書く。

私は田舎で生まれ育った。

とにかく娯楽がない。
最寄りの映画館は、隣の市のイオンシネマ。1時間に1本の鈍行電車に30分乗り、さらにそこからバスで20分揺られた先にある。車を運転できないと人権はない。
一応、市内にもイオンはある。徒歩40分、またはチャリで20分。市内の中高生にとって、唯一無二の青春を謳歌できるスポットだ。プリクラ撮って、ファミレスでドリンクバーで粘りながらひたすらダベる、それぐらいしかやることはないが。
そのイオンは昨年潰れた。

物心ついたときから、都会でキラキラした生活を送ることが夢だった。いわゆるマイルドヤンキーな兄2人とは違い、一刻も早く地元を飛び立ちたくてたまらない末っ子だった。

テレビや雑誌やラジオが好きで、ずっとなんとなくマスコミに携わる仕事がしたいとも思っていた。必然の流れで、大学は首都圏にあるところを目指した。第一志望は中3で決まっていた。

高校3年生のお正月。
センター試験を2週間後に控え、受験勉強も佳境。「今年はガキ使フルで見ません!」と宣言しといて、リアタイで全部見た。

我が家は、なぜか昔から初詣に行く風習がなかった。
クリスチャンというわけではない。でも兄の結婚式はチャペルだった。葬式は仏式。七五三の写真は残っている。毎年神社で行われるお祭りには積極的に参加していた、特に兄が。
つまり、「初詣に行かない理由」は「ただただ寒いから家でゆっくり過ごしたい」、ただそれだけだったんだと思う。あと、母は箱根駅伝が大好きなのも一因かもしれない。

そんな母が、受験生のその冬だけ「合格祈願でも行く?」と聞いてきた。
私は「行かない」と即答した。母は、娘の反応は予想通り、という顔だった。

テレビを見ていると、地元テレビ局のフラッシュニュースが流れた。お正月三賀日、初詣客でにぎわう県内の神社からのリポートだ。境内で手を合わせる人たち、レポーターにインタビューされる受験生、嬉しそうにお守りを購入している同世代らしき女子。

そして、「第一志望絶対合格!」と書かれた絵馬のインサートが映った。

私は隣にいる母にこう言った。

「受験生ならさ、初詣行く時間で勉強したらいいのに。
神様にお願いする前にさ、まず己で努力するべきでしょ。
しかもこんな人混みでさ、インフルでももらってきたらどーすんだろーね。」

当時の私はちょっと変に尖っていた。
生きとし生ける全受験生にマウントを取りたいだけの、今思えば恥ずかしい18歳だった。
母はそんな私の性格をよく知っているので、「あんたと違って、もう神に頼むしか救いがないような子なのかもしれないよ」と笑って返した。

私が通っていた高校は、実家から徒歩5分のところにある。偏差値50の、自称・進学校だ。

センター試験は過去最高得点をとれた。
第一志望である某国立大学の前期試験と後期試験に願書を出した。

滑り止めとして私立大学の願書は1校も出さなかった。理由は、意味がないと思っていたから。中3で決めた第一志望校に行く以外、人生の選択肢は無いと思っていた。

まあ、家庭の経済状況もある。母には「国立大学しか行かせられない」と刷り込み教育されていた。とはいえ、そこへの不満はなかった。

もし、第一志望校に前期も後期も落ちたら「1年間ここでバイトしてお金貯めて、東京行く」という、「いつの時代の夢追い人だよ」なことを本気で考えていた。浪人も視野に無かった。親に頼めば浪人させてくれていただろうとは思う。ただ、母に当時のことを聞いたとき「落ちる気がしなかった」と言った。私もそんな気がしていた。

センター試験後の面談で、担任には「獅子は本当に3年間頑張ったから、合格の喜びを味わってほしいんよ。だから、中期試験で〇〇大学を受けてみたら?お金がないなら、先生が受験料も旅費も貸す。大人になってから返してくれるのでいいから」と言われた。

行きたくもない市立や公立の大学をむりくり受験させて「国公立大学の合格率が93%!」とか銘打ちたがる、自称進学校あるある大作戦。第一志望校に受からないって遠回しに言われているのが悔しくて、職員室でケンカして、号泣しながら帰宅した。

第一志望校には前期試験で受かった。

合格発表直後に髪の毛を染めるという、田舎JKの通化儀礼を終え、春休み中の職員室に挨拶に行った。受験教科を持ってくれた先生・お世話になった体育の先生たちに褒められ、喜ばれ、最高にちやほやされた。部活の顧問には「これで好きなだけ球場に行けるな!」と言われた。担任とは目を合わすことなく、職員室をあとにした。

18歳の冬。
神様にお願いするよりも、自分で努力したほうが何倍も確実で信頼できることを知った。


もはや努力ではどうにもならない

大学生になり、私は新聞記者を目指し始めた。第一志望の新聞社には受からなかったが、記者にはなることはなれた。
行きたかった新聞社に受からなかったことはプチ挫折だったが、ここでもまた、努力は報われることを再実感する。

しかし、新聞記者になってすぐ、もう努力ではなんともならない世界があることを知った。

23歳とはいえ「自分の人生は自分の意思と努力で選んできた」という自負があったからこそ、新聞記者としての挫折は大きかった。

初心に帰り「東京でキラキラした生活をする」夢を打ち立てた。これもまたすぐ叶えて、雑誌編集者としての第2のキャリアを歩み始めた。
しかし、ここでもまたうまくいかなかった。いつのまにか、心も体もボロボロになっていた。


夢とか努力とか目標とか、社会の荒波の藻屑となって消え去った。25歳の冬のことだった。


今年はじめ、フリーになった。27歳の今は、とりあえずは順調に生きられている。

でも、未来の自分の可能性に期待するのはもう辞めた。自分の人生に諦めをつけたフシもある。大きな夢を掲げて、努力できる力も残っていないし、過去の自分の選択に悩まされる未来がまた来るかもしれないのが少し怖い。

そんなふうに思っていたときに、Aさんの絵馬を見た。

「俺の夢は 俺が叶える」

神様に頼らず、愚直に努力していた高校生の頃の自分を思い出した。
今の私とAさんは人間としての差はつきまくりだけど、高校生の自分なら張り合えていたのかもしれない。うぬぼれか。でも、それでもいい。3秒間だけ目を閉じて、心の中で微笑んだ。

「私の夢は 私が叶える」。

今は、叶えたい夢は何も浮かばない。

1つだけ思ったことは、何歳になっても、Aさんような生き方をしたいと思った。
仕事になろうがならまいが打ち込めることがある。自己研鑽を続けられる。その道のプロフェッショナルになる。自分の仕事に誇りを持つ。


神様には、家族の健康と幸せをお願いしようと思った。

▽▽なんとなく追記

実はこれでも、新聞記者になったことも、雑誌編集者になったことも、1ミリも後悔はしていません。強がりじゃないよ。
苦しみの渦中にいるときは生まれてきたこと自体後悔することもあったけど。今、本当の意味での後悔は全くありません。

DMで「転職や独立したこと後悔していないんですか?」ってよく聞かれます。ない。マジでない。
「後悔する瞬間はあるけど、本当の意味で後悔はしていない」=つまり、ない。質問者の方と考え方が根本的に違うからか、うまくこのニュアンスをわかってもらえなくてうずうずしちゃう。

今、転職やキャリアチェンジで悩んでいる人。家族がいる人は状況が違うので一概には言えませんが、未来に1思うかもしれない後悔のために、今感じる100億の苦しみに耐える必要はないよ~って、心から思っています。

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