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『音の胎児(指、指、指、坂本の耳に指が生え)』

器官はその受容する対象との官能の中で生まれ、
そして育つ。

音の胎児、坂本龍一は、
まず耳から生まれた。

その耳へと注ぎこまれる音階を持つ音の連なり、
あるいはまた事態は反転されて、
耳の吸引によってその磁場へと引き寄せられていく
音の連なりになっているのかもしれない。

音から音へ、
そしてまた音から音へ。

音から音へと、たとえそこに休符があろうと
それによって中断されることはなく、
なぜなら休符もまた音の豊かな一部であるのだから、
音から音へと連続することで編まれた羊水の中で
彼はこの世界を
音で成立しているものとして認識する。

わたしたちの器官もまた、
人工孵化によって
ガチョウを親として慕うハイイロガンの雛のように、
ローレンツの目前で腑化したために
彼を追うようになった雛のように、
自らを導いてくれる働きを限定と感じることなく、
ただひとつの世界との関係を明示する光として感じ取る。

坂本龍一には、世界は音でできているのだ。
もちろん、世界だけではない、
人間も物質も、雲も太陽も、
海も、それはすべて音でできている。

それは、彼にとっては語る必要もないほど
自明なことであるのだから、
もちろん語られることもない。

高村光太郎ならこう語るところだ。
「僕は生まれてから彫刻で育った。
僕の官能はすべて物を彫刻的に感じて来る」

すべては音でできているのだから、
もちろん自分も音で出来ている。
坂本は音でできており、
龍一も音でできている。

彼が自分の文法で並べかえた音の連なりや重なりも、
すべて音でできている。

耳でさえあればよかったものを、
彼は不幸にも伝達のためにと指を必要とした。

坂本龍一という耳に指が生える。
耳から伸びた指。指、指、指。光る両耳に指が生え、
鍵指が生え、指には顔が生え、顔がしだいにほそらみ、
顔の先より華奢な腰が生え、テンポを数える腰が生え、
かすかにゆれて。

かたき両耳に指が生え、掌にまっすぐ指が生え、
まっしぐらに指が生え、鍵盤を探してりんりんと、
五線譜のもとに指が生え、
指、指、指が生え。

[セルフ解説]
いつか書こう、いつか書こうと思っていてずっと書けずにいた坂本龍一論。音楽を音楽として捕捉しようとしても掴めるはずもなく、このままだと、ホントに書けないままで終わってしまう、なにか書けることを基本とした方法論を考えつかなければ、と思案している途中で、「散文で、論理的に書こうとするから書けないのでは」と、書けないでいる理由を発見しました。

他のひとが、音楽について語っているものを読んでも、音楽そのものについて語っている部分なんてほんのひとつまみほどしかありませんよね。

ということは、音楽を分析することは自分には難しすぎてできないが、坂本龍一がなにを考えてこのような音楽を作ろうとしたかというのは、知ることができるのでは。で、それを「散文と韻文とを混淆して、閃くままに書きなぐればいいのでは」ということになり、「それ、詩なんじゃねぇの」と、一回ぐるっっっっっと回転してきて、論理的に追跡することはできないけど、梱包するには大きすぎて手に余るけれど、葉っぱを繁らせていって輪郭を描くことはできるのではということになりました。

ということで、書いたのが、この『音の胎児』であり、これが「序」となります。

次回からは、テープに録音してきいていたが伸びてしまった『エスペラント』の曲に誘発されて書いた詩をお届けします。ではでは。

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