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家庭崩壊のシナリオ

家庭崩壊の始まりは毒父の不倫だった。
毒母と知り合う前に付き合っていた女との不倫だった。
この女、毒父と別れて大手出版社社員と結婚したのだが、結婚後に夫が焼身自殺で亡くなった。
それがきっかけとなり、毒父とよりを戻すように不倫に至った。


女には亡夫の子が2人いたが、毒父が「新しいお父さん」として同棲するようになった。
毒母は家庭裁判所に訴えたが、不倫をするような連中が法を守るはずがない。
慰謝料や養育費など、まともに支払われなかったようだ。
それらのことから、離婚調停もとん挫したままだった。


更に毒父は当時小2の私と保育園児の弟を奪いに押し掛けてきた。
幼い弟は善悪の判断が付くはずもなく父に付いていったが私はとどまった。

毒母から不倫だと聞いていたから…
その時、毒母から「アンタまで私を置いていくの?」と言われたから…
だから自分の中の正義感に従った。

だがここからが本当の地獄の始まりだった。


母は生活保護を受けながら私と暮らしたが、次第にストレスを私にぶつけるようになった。
気に入らないことがあると
「お父さんとこに行けばよかったのに」
「アンタなんか産まなきゃよかった」
など暴言を吐くようになった。
程度は軽いが叩かれることも頻繁にあった。


私は混乱した。
毒母に「アンタまで私を置いていくの?」と言われたから残ったのに…
自分の中の正義感に従ったのに…
なぜ怒られるのか解らなかった。

しだいに精神的に追い詰められるようになった。
小学生が飛び降り自殺をしたニュースを観て、自分も同じように自殺しようと思うようになった。
だが実際にマンションの屋上に上がると、足がガタガタ震えて出来なかった。

やがて毒母は生活保護に嫌気がさして水商売に出るようになった。
そして頻繁に外泊するようになった。

小2の終わりごろには、家に独りぼっちの状態になっていた。
だが奇跡的に引きこもりにならなかった。
むしろ学校に居る間は嫌な事を忘れられた。
ただ家庭環境がバレるとイジメの対象になるので徹底的に隠し続けた。

不幸中の幸いというか、スラム地区だったので教師や住人も無関心だった。
両親共稼ぎという理由だけで家庭訪問さえもスルー出来た。


生活費はたまに帰ってくる毒母が置いていった。
毒母はネグレクトがバレないように光熱費支払や銀行引出しなど子供が行うと不自然な行動をとらせないようにしていたようだ。
ネグレクトを周囲に悟られないように周到に考えていたようだ。

私も毒母が居ないほうが気楽で食べ物はスーパーで買って帰って食べた。
家事はメディアで学んだ。
洗濯物は外に干さない、小さいボリュームでテレビやラジオを付けておく
など独りぼっちを悟られないように神経を遣った。

特に防犯には神経を遣った。
小3ごろから毒母が1か月スパンで外泊するようになった。
現金を持った子供が家に独りだと悟られると、強盗などに狙われるリスクが高い。
だからラジオや照明つけっぱなしや「ただいま」の挨拶など、メディアを参考に知恵を絞った。

お金は畳の下に隠して、買い物をするとき以外は絶対に持ち歩かないようにした。

本当に大変だったが、お金があったことは不幸中の幸いだった。

(続く)

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