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人に与える印象の話 僕ーポンコツ=仙人?

今回は前回投稿した記事にいただいたある素敵なコメントと、それを読んで僕が思ったことについて書こうと思う。

まずはいただいたコメントの紹介から。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を作ろうと気を遣っているところ
欲はある
打ち上げ花火のような人生
決していからず
いつも静かに笑い
時には笑いが止まらなくなっている
一日に網焼き食パン2枚と
鍋で炊いたごはんと
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
それはもうよく聞き役に徹し
道を聞かれることはデフォルト
そしてひれ伏すほどの感謝も忘れず

“短い文章で表現する力”ハナさんのコメントより


まるで僕の記事のダイジェスト版だ。
また僕からすれば、こんな風に有名作品になぞらえて表現をするなんて、思いつきもしない発想だ。

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僕はこれを読んでありがたく思うのと同時に、あることに気がついた。

文章に出てくる事柄のひとつひとつは、過去記事から丁寧に拾われたものだ。それなのにこれを読んで思い浮かぶ人物像は、僕が自覚している自分自身のイメージとはなんだか違うと感じる。
そしてそうなる理由には、思い当たる節があるのだ。

それは今まで僕が、自分自身に関するある部分を記事にしてこなかったからだろう。


実は僕はポンコツだ。

僕は昔から、気が抜けている時にとんでもなく情けない失敗をおかす。
近しい人たちからは今までに何度となく「いつもはしっかりしてるのに、突然ポンコツになる時がある」と言われ続けている、正真正銘のポンコツなのだ。

しかしそのことをわざわざ記事にしたことなど当然ない。

そりゃそうだ。
なぜなら、僕が今まで巻き起こしてきた数えきれないほどのくだらない失敗を、あえてここで披露する理由がないからだ。
読んでもなんの役にも立たないし、ただの恥晒しにしかならない。

しかし冒頭のコメントを読んでいたら、
僕からポンコツという要素を抜いたら、仙人のように達観して見えるらしいということに初めて気づいたのだ。

だがそもそもこの印象を作ったのは、僕が書いた記事に他ならない。

現実世界での僕の印象は、こちらが意識的に発信する情報以外にも、普段の何気ない言動や、外見など様々な要素によって決まるが、
noteにおいては、こちらから発信する情報によってのみ僕の印象が決まるからだ。

今回そんな当たり前のことを、頂いたコメントから再認識したのだった。

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そして僕は今、悩んでいる。
note上ではこのまま『仙人』でいるべきか、
たまには本来の『ポンコツ』な側面も出していくべきかと。
なぜなら僕は仙人のような人間ではないからだ。

しかし
そもそもnote上での印象と、現実世界での印象が全く同じ人なんていないと思うのだ。むしろ同じでないからこそnoteを楽しめるのではないか。

こんなことをぐだぐだ考えている辺りがすでにポンコツなんだよ、と言われたらそれまでなのだが、僕は今そんなことを考えている。

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