自分のせい
僕は自責思考が強いほうだ。
自責思考とは、何かがあった時にその物事の原因を自分に求める(自分のせいとする)考え方のことだ。
某著名な方の「雨が降っても自分のせい」という考え方もこれにあたると思う。こちらは、僕が考えているよりも、もっともっとずっと深い意味があるとは思うので、こんなふうに並べて書くのは大変恐縮なのだが。
実は以前はあまりこのような考え方をしていなかった。
誰かが原因となって自分に都合の悪いことが降りかかった時、「そんなのは原因となることをした人が悪いに決まっている、自分は被害者だ」と思っていたからだ。
しかし歳を重ねるにつれ、いつの間にかこれが腑に落ちるようになったのだ。
もしかしたら、生きていて色んな理不尽や困難にぶつかるうちに、自然と身についた僕なりの知恵(自衛方法)なのかもしれない。
立派な口ひげを蓄えた赤いおじさんが冒険するあの有名ゲームを想像してみて欲しい。
僕らはゲームで敵から火の玉がポイポイ飛んできた時、おじさんをジャンプさせたり、屈ませたりして避ける。
多分ここで延々と火の玉に向かって怒り続ける人は、あまり居ないと思う。
なぜなら、火の玉に怒りをぶつけても弾道は変わらないからだ。
だから僕らは頭を使いながら、うまくかわして道を進めて行く。
僕は自分に降りかかる問題を、この火の玉ように捉えている。
「自分のせいにする」という事は、決して自虐でも悲観的な考え方でもないと思う。
「自分のせいにする」というよりは、「自分にも原因があるのだから、こちら側が捉え方を変えて対応する」と表現した方がいいかもしれない。
僕は、
自分以外のものを変えるなんていう可能性の低い事に力をさくよりも、自分の身の振り方を柔軟にコントロールした方が、受けるダメージは小さくできるし、得られる可能性は無限大になると思っている。
時には周りの人に「そんなのあなたのせいじゃないよ」と言われることもある。
でもそう考えるほうが僕にとってはより良いと僕自身が思うから、それでいい。
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漫画のような話だが、僕は以前、道を歩いていて手元を誤ったおじいさんにペンキを掛けられたことがある。
その時に相手を責めたり、クリーニング代を請求しなかったことについて、後から周りの人におかしいと随分言われたが、僕の感覚ではそもそもそんな発想すらなかったのだ。
ちなみに、おじいさんの家の外壁と同じ色の、淡いグレーのペンキが飛び散った革鞄は、見ようによってはオシャレな気がするので今でも愛用している。
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