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「多重人格」羨ましいについて

こんばんは〜玲です。前も書いたかもだけど何となく僕の考え。

まずね、僕はこの言葉に関しては
「あーそうなんだ」くらいにしか思わないの。怒んないよ

だって多重人格の周りのイメージとかTVの印象操作って、
「友達がいっぱい居そう」
「別の意見脳内で教えてくれるのありがたい」
とか、いい事(?)ばっかじゃん。
当事者からしたらブチ切れ案件だけど。

ただ「解離性同一性障害になりたい」は
「お前いっぺんなってみろやゴラ‪💢」って思う

「多重人格」だけで
友達がいて生活に支障がないんだったら別にまぁ…いいんじゃない?苦労ないんだね。って思うし、むしろ友達しかいなくてワチャワチャしてるだけなら僕もなりたい。

ただ解離性同一性「障害」になりたいはね〜…意味わかるかな。「障害者になりたい」って言われてるのと同じなわけ。

これは嫌だなって思う。
突然フラバして身体固まって動けなくなる解離症状、人格交代して記憶が無くなり、お金はゴリゴリ減っていき記憶のない自殺企画や自傷行為…

これになりたいのか、脳内にお友達が欲しいのか。その違いだよなぁって思うんだ。

だから「多重人格になりたい」には怒らないけど「DIDになりたい」には深い怒りを覚えるって話!

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