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父との思い出

ここ最近の急激な寒暖差によるものなのか
ひどく気分が沈んでいる。

いろいろと試したけれど


こんな時は、お酒をのんでみよう

白ワインをミントウォーターで割る
とっても美味しい!

どうでもよいことではあるが、
パセリが88円にて販売されていた。
ずっしりと重い!

あまりのうれしさに共有

こちらの、ハーブのヨーグルトボール

油に漬けておく
残った油はパスタやサラダなど
なんにでも使える

漬けておいたボールは取り出して
肉や魚、野菜
フルーツ、ピクルスなどのつけあわせに。なににでも合う
素晴らしいお品

アイスクリームなどにも合うと思います。
栗原はるみさんのレシピ!


本当はオリーブオイル
無かったので米油で代用

ビーツとバルサミコのピクルスと、ぶどうのサラダ

チェダー・クリームチーズとラム酒のハム、ハーブヨーグルトボール

フェンネルとツナ、にんにくと
じゃがいも

このヨーグルトボールはすてきだ

ビーツとぶどうはマスタードなどのドレッシングで和えた

フルーツや酢の物にとっても合うのだ!

ヨーグルトボールにはディル・ローズマリー
パセリ、レモン皮のみじん切り
ハーブ一種だけでも十分かと思います

いも類や脂っこいものにもとても合ってしまうのだ!

ボール状なのがニクイ!

脂っこいものがさっぱりと

急な冷え込みは続き
築50年のアパートの底冷えは本気を呈してきた

冷えの影響かメンタルダウンが進んでいく
こんな時は寒い地域の慣習にならう

冷えの進行RIGHT NOW.


自分勝手に生きた父親をふと思い出す。

このようなやり切れない日は、父親を公に晒すことで憂さを晴らそうかと考えた。

若い頃の写真。大学を中退後、銀座のクラブにてバーテンダーをしていた
40年以上前の写真か?


銀座時代に母(当時ホステス)と出逢う。
支配人になった。

父との思い出・・・
父はいま思えばたいへん変わった人物であった。
好きなことは得意なようで物知りなのだが
日常の金銭管理などが不得手であった。

大好きな歴史について語り出すと5時間ほど一方的に語り
付き合わされるこちらはつらいものがあった(こどもの5時間・・)

自分の好きなものも強制してくる
あるとき幼い、いたいけな女の子であるわたくしに
マフィア映画「ゴッド・ファーザー」を
正座して観るようにと強制。

馬の生首が枕元に添えられるシーンなどに
大人ってなんだろうと自問したものである。

若い頃。エモーショナル


父・・それはたいへんに複雑な人でもあった。
数字に強く微分積分がわかっても、日常は金銭管理が出来ず
また、父子家庭となった事から、
われわれ3兄弟の養育費も重んでいった。
当時は大変な時代であった。

それでも父はやりたいことをやり
行きたいところへ行き
好きなだけ吞み食べをし

とくに、他人や後輩に、とにかくお金を使うのだった。

「人を育てたい」というような気持があるようだった。
文化的なことなどには特に借金をしてでも(・・・)捻出するという
考えを持っており
他人からしたらいい人だが、
家族からしたらたいへんにいい迷惑である。


とくに料理や食、酒
対人交流やサービスの質などに興味があったようだ。
そのようなことで学びがあると思えば、
見境なくお金を使ってしまう。

わたしに対しても
喫茶店へ行く時はおおきいホテルのラウンジなどへ出向き
コーヒーやハーブティーについて気付いたことや知っていることを
教えてくれた。
素敵な絵画やクラシック、素敵なサービス
美しい空間。

新しくメキシコ料理やフランス料理の店が出来たと聞けばすぐに出向き
クラブには通い続けゲイバーなどへもわたしを連れていく
料理屋を営んでいたが、店が終わったあとは必ず飲み食いに出掛ける

本人はそれを”学び”だと思っていたようだった。


しかし、そのような環境のなかで
幼い頃、わたしのなかに芽生えた違和感があった。

人は自由に、好きに生きる権利がある。
しかし、この家はどうにもお金がない。
これは抜きがたい現実であり、
大人として 父として 向き合わねばならない現実なのであった。

かなり小さな頃から頑として存在し続けるその事実を、
わたしは直感しており、「おとうさん、おかね、学校でかかるから、
あまり使わないで。」そのような言葉で父をたしなめるも

「うん、大丈夫だよ。」

この場合の「大丈夫」とは借金のことなのであるが、
ちいさなわたしはそういった仕組みをしる術がなかった。

ただ純粋な直感、違和感がぬぐえず
のちにこの正体が”借金癖”であることを知る。

兄弟中唯一の娘であるわたし(4歳くらい)に
いとも簡単に悪しき癖を見抜かれる父。

わたしはこの”嫌な違和感”とともに育っていった。


育ちのなかで、父とは何度も衝突し、
最終的に取っ組み合いの喧嘩に発展。
お金のことを責めると
開き直る父であった。

そんな”アリとキリギリス”のように
”貯える”という発想の無い人間は、一体どうなってしまうのか。


あるとき、借金が膨れ上がり
どうにもならなくなった。
父は料理屋、居た土地を捨て
東京へと向かった。
知り合いのつてで、再度石屋(大理石や墓石、建築物などの修復)
に就職した。

人生の再スタートを切った父は
人が変わったように猛勉強した。
石材について、建築の修復・素材について、色について。

寺院や古い建築物を見てまわり、独自に学んでいた。


荒かったお金遣いが嘘のように、
アパートで質素に暮らしながら、古本を買い、読書に勤しんだ。


そんな質素な生活ができるのなら最初からお願いしますよ、
と、残された家族としては、父を恨んだりもしたが・・・


ひとは皆なにかしら個性があるものなのだ。
そして人が変わることはほぼ無い。

わたしも父亡き後はたいへんに苦労をしたものだけど
最近は父の、良いところだけ覚えておこうと思い始めている。

学童期の父と、その兄。
叔父は自然児のような、素晴らしい人だった。


幼少期の父。
キレやすかった父とは思えない笑顔。



父の故郷、和歌山の千畳敷。
昔は海にいつも土座衛門(死体)が浮いていて、
子どもの時からいろんな死が身近だった、とよく言っていた。

キレやすく、喧嘩っ早く
嗅覚や聴覚、触覚が敏感で、
食や本、古い映画が好きで
おせっかいな、下町気質の人。

父の葬式にはたくさんの人たちが来て、
葬式代も支払ってくださった。

わたしは精神をやんでしまい
うらんだ時期もあった。
しかし、子も、人間はそれぞれ
”気質”がちがう。
父のことで苦労したのに、
兄や弟はけろりとして
健康に働いている。

同じ環境でも、感じ方はそれぞれ。
子育てをするときは、その子がどんな子なのか、
見極めることが大事だと思っている。

どうでしょうか。最後は綺麗にまとまったでしょうか。
お父さん!ろくでもねぇな!!と思ったこともありましたが、
いまは感謝をしておりますよ。

八百屋で野菜を見るとき
肉屋さんへで選ぶとき
食へのこだわりが強かった父の目線を
なんとなく内側から、感じます
ちいさな火が灯るように 

※みなさん、だいぶ古い写真ですが、
わたしは父が遅い歳に生まれた子であり
そんなに歳はいってないわよ!!や~ねもう(妙齢)

やすらかにねむれ~~~(^O^)/!!

ローズウォーターと白ワインも素敵!!
ミント水や薔薇水は新大久保などがお手頃です!

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