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#1 ひと足早くやって来た、39歳の中年クライシス


「しんどい」
朝起きてから眠るまで「しんどい」。
寝ていても、なんとなく「しんどい」。

去年までは小説を書いて賞に応募したり、山に登るといった趣味があったのに、途端に何事にも興味を失ってしまったようだ。
自営でしているライティングやデザインの仕事も、集中力が格段に落ちている。
収入は目に見えて減っているのに、新しい仕事を受ける気力がないのだ。

ほほう、これはなるほど、「中年クライシスってやつが自分には少し早めにやって来たのだ」と思った。
中年クライシスは「ミッドライフ・クライシス」「中年の危機」「第二の思春期」ともいわれる40~50代に訪れる時期で、家庭や仕事が安定してくる中で自分の人生やアイデンティティに不安を感じたり、葛藤を覚えたりすることだ。
自分は、出産も子どもの巣立ちも人より早かったのだから、当然っちゃ当然だと思った。

子離れできない哀れなアラフォー

訳あって20歳で娘・べび子👶を産んだ私は、29歳で離婚してから今まで仕事優先でまともな恋愛をしてこなかった為、べび子に依存し、子離れできていない節がある。

それが、べび子👶は大学進学で埼玉を離れて宮城へ行くことになり、最近は「まさお」という令和には珍しい古風な名前の初彼氏ができたらしく、長期休みのたびに埼玉に帰省して勤めていた塾のバイトも、今後はしないという。

べび子👶はわずか一年足らずですっかり仙台という、人が穏やかで暮らしやすい、「まさお」のいる東北の街を気に入ったようで、私が密かに淡い期待を抱いていた「就職で埼玉に戻って来る」という未来は、このままでは消えてなくなりそうだ。

べび子👶「そんなに私の彼氏に興味あるの? 自分の時、ふと子さん(私の母)にあれこれ話した?」

「まさお」について根掘り葉掘り聞いた私は、べび子👶に疎ましく思われてしまったようだ。

私「興味ないよ、母さんだって自分の生活ってもんがあるんだから!」

平静を装ってみたが、内心、小学生のようなビジュアルのべび子👶の突然の巣立ち(彼氏持ち宣言)に対するショックは大きかった。

「ガーン」
いつの間にか夜、愛犬のミソ(ポメラニアン♀10歳)を連れて散歩をする時、私は「ガーン」が口癖になっていた。

遅ればせながらのマッチングアプリデビュー

焦った私は、40の誕生日を迎える一か月前、「リアルで出会った人としか付き合ったことがない」という、どうでもいいプライドから頑なに利用を避けてきたマッチングアプリに、ついに登録することにした。

バツイチ子持ちの39歳、仕事は主にフリーのライター、似ていると言われるのは弥勒菩薩、一応海外で会社経営(正規社員自分だけ)のスペックで、どれくらい市場価値があるのか、まずは現実を知りたくなったのだ。

もちろん奇跡的に、誠実で気の合う、生涯寄り添えるような人と出会えたら、それはそれでロマンスの神様に感謝しようと思った。

5人くらいとメールをしてみたが、世に言う「ヤリモク」が見え見えだったので、4人とは会うのを断念。

1人の銀行マンとは昼間にお茶をし、好印象だったものの、2回目に指定されたのが歌舞伎町のラブホ街に近いチェーンの居酒屋だったので、ロバート秋山の「SAY KOU SHOW」を聴いて熟考した末、当日になってからドタキャンしてしまった。

成人した子どももいて、今さら純情ぶるつもりはない。やる時はやる。
ただ、素性が定かでない人の浅謀に(食うか食われるか食われぬかはその場の自分の身の振り次第とは言え)、気付かぬフリをして合わせること、その茶番をする自分を想像したら、急激に萎えてしまったのだ。

そうして、相手のプライドに配慮しながら丁寧なお断りメールをラインで送ると、年収1500万を自称する彼は「でも、お店のキャンセル料がかかるかもな…」という返信をくれたのである。
正直、これは予想外であった。

私は念の為、店にキャンセル料がかからないことを電話で確認してから、彼にはそれ以上返信をせず、静かにブロックのボタンを押した。
そして、登録5日目のアプリ自体も、躊躇うことなくアンインストールしたのだった。

突然の虚無感と激しい自己嫌悪

「くそですな」

ボロいアパートの狭いトイレに座ってそれを口にした瞬間、自分の現状、歩んできた道、何もかもがくだらなくて意味のないものに思えた。

〜白丸みそ子の生い立ち〜

🤩埼玉で地方公務員の父と専業主婦の母の間に次女として生まれる。
🤩父のギャンブル癖で苦労した母が精神疾患を患う。
🤩母方の祖父母の経済的援助のもと生き延びるが、中1の折、祖父母が立て続けに他界。
🤩以後、複数のアルバイトを掛け持ちして自活して中高時代を過ごし、なんとなく中堅の私大に進学する。
🤩19歳、父が奨学金を使い込み、学費未納で大学を除籍になる。
🤩路頭に迷い、18歳年上の元夫と結婚し、20歳で娘を出産。
🤩24歳で大学復籍、27歳で卒業。元夫の赴任に伴い中国へ渡航、現地での就職を経て、29歳で離婚。

思い返してみると、離婚してからの10年間はとにかく働き詰めだった。

当時、ライターの仕事だけでは実家への仕送りが(父の使い込みにより)間に合わず、あまり深く考えずに気軽な気持ちで上海で広告会社を設立し、隣町の蘇州では飲食店を経営した。

広告会社では、やったことのないイベントの運営から専門ではなかったデザインまで、仕事を貰えればハッタリと気合いでなんでもした。

レストランでは日々高速で皿を洗い、陽気な駐在員のお客さんたちと脂肪肝になるまでお酒を飲み、少しでも売り上げを伸ばそうと、週末はテラスでたこ焼きを焼いて売った。

仕事はお金を稼ぐ為にすることと考え、これといってプライドやこだわりはなかった。

そうしているうちに、最終的には父が脳梗塞を患って寝たきりになり、理不尽な出費がなくなったことから負債は全額返すことができた。

しかし、上述のように専門性を突き詰めることなく、ノリと気力・体力だけで仕事をこなしていた為、本来、稀有な体験であるはずの海外での起業に関して、誇れるようなエピソードが何一つ残っていない。

ただ、海外にいる日本人女性という希少性だけで心優しい顧客を得て、中途半端な仕事をしてきたきらいがある。
なので、振り返ってみても、他人に語れるスキームも、獲得したと自負できるスキルも何もないのである。

「恥ずかしながら帰って参りました」
再就職も難しい三十代後半での私の本帰国というのは、まさにその一言だった。

つづく

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