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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇③

「07年9月10日」
(ダッカ→ロケットスティーマー)

 朝からそわそわしていた。ロケットスティーマーの出港は18時。それまではダッカを観光するが、時間潰しのような気分である。昨日と同じ安食堂で朝食を取り、ホテルをチェックアウトした。

ナンと豆のカレーはバングラの鉄板

■モハメッド登場

 ホテルの周囲では、大勢のリキシャワラー(リキシャの運転手)が客待ちをしている。その中に英語ができる白髪のおっちゃんがいたので、乗ることにした。名前はモハメッド。ありがたそうな名前だ。特に観光したい目的地があるわけではないので、お任せで走ってもらった。

カメラを向けると真顔になるモハメッド

 街に出れば、リキシャだらけ、人だらけ、男だらけ。バングラデシュは、日本の半分ほどの国土に、日本よりもやや多い人口を抱えている国だ。とりわけ人口が集中している首都ダッカの喧噪たるや。毎日がワールドカップ日本戦逆転勝利直後の渋谷スクランブル交差点や、年越しの明治神宮のような人混みで、その一人ひとりが大声を張り上げているイメージだと思って良い。ダッカ見物で印象に残ったのは、街並みそのものだった。

 街中の喧騒を抜け、鉄道駅の「コムラプールステーション」へ行き、構内を歩いた。国内各地へ向かう電車がここから出ているという。ホームと線路の間には何もなく、みな自由に行き来している。

 その後、リキシャに乗りながら見ただけだが、通りすがった線路沿いの光景に目が引きつけられた。明らかに貧困層の人々が簡素な家を建てて暮らしていたからだ。タフな暮らしぶりが一目で分かる。そこから大きな通りを挟んだ側には、近代的な高層ビルが屹立していた。見事すぎる対照だ。

 モハメッドによると、その大きな通りを毎朝掃除しているのは、線路沿いの貧困層の人々だという。旅の終わりにまたダッカに戻るのだから、そのときは自分の足で歩いて、じっくりその辺りの暮らしを見てみようと思った。

■消えないパキスタンとの確執

 細かい雨が降ったり、晴れ上がったり、土砂降りになったりする天候の中を走っていると、モハメッドが「女はどうだ?」と話を振ってきた。断ると「日本人と中国人はたくさん買うぞ」と続ける。でしょうね。あちこち旅をする中で、こうした誘いにはもう慣れたし、飽きた。「それより面白いところに連れって行ってくれ」と求めると、観光名所らしきお寺や、「独立戦争博物館」を見物することになった。

 独立戦争博物館は、バングラデシュがパキスタンから独立するために戦った戦争に関する資料を数多く展示している。小ぶりな博物館で順路が分かりやすい。凄惨な写真がたくさん展示されており、本物の頭蓋骨も並んでいた。どこの国でも、独立のために流される血の歴史は壮絶だ。

 モハメッドや、博物館で話した見物客に「パキスタンや、パキスタン人は嫌いか?」と聞くと、はっきり「嫌い」と答えた。モハメッドはこうも付け加えた。「今もだ」。

本物

 また、展示物の中に、ビートルズのジョージ・ハリスンが主催し、著明なミュージシャンが集ったチャリティーコンサートを収録しているレコード「Help Bangladesh」があった。独立戦争の影響で飢えに苦しんでいたバングラ人を助けるために開かれたという。詳しくないが、スターが集まったチャリティーコンサートの先駆けのようなものだったらしい。

 街を巡っているうちに、ロケットスティーマーの乗船時間が近づいた。預けていたバックパックを受け取るため、雨の中をリキシャでホテルへ戻る。ダッカ見物は、この旅の最後にしっかりするつもりだ。モハメッドに払った金額(リキシャの運賃と観光案内)は600タカ(1000円弱)だった。

■1等席の2ベッドを独り占め

 準備を整えて、昨日訪れた「ショドルガット」へ向かう。この際も、待ち構えていたモハメッドのリキシャに乗った(100タカ)。ホテルの周囲には何台ものリキシャが待機しているのだが、私の姿を見ると、モハメッドは威嚇するような声を上げて他のリキシャワラーたちを追い散らす。「俺の客だ!」とでも言ってるのだろう。完全にマンマークされてしまった。

 ただ、半日一緒に行動していて、なんとなくこの短い白髪の男に好感を抱いていたため、悪い気はしない。実際、このモハメッドには、旅の終盤でまたお世話になるのだった。

 船が出るショドルガットへ行き、待機した。賑わいは昨日と変わらない。ただ、そこにはロケットスティーマーが停泊していた。前回(②)の繰り返しだが、スクリュー船ではない。船の両サイドに設置した巨大な水車を回転させて推進力を得る「外輪船」だ。スクリューのような効率性がないからこそか、迫力は満点だった。

 しかし、これを書くに当たって衝撃を受けた。

 写真がない!

 港の様子ばかり撮っていて、あれほど楽しみにしていたロケットスティーマーの写真がほぼない。外観も内観もない。何か事情があったのだろうか…。不覚である。一番まともに写っているのが下の写真で、後ろのオレンジ色に塗装されているのがロケットスティーマー(だったはず)だ。これだけでは全容がまったくわからない。

良い顔なんだが、後ろの船が見たい 

 そこで、どうしても欲しくなったため「photo library」で素材を買いました。これがロケットスティーマー。

photo libraryで550円

 ただまあともかく、年齢も、性別も、服装もばらばらの人たちが、続々と乗り込んで行ったのは覚えている。こうした出航前の賑わいは、気持ちをかき立てる。食べ物を売る商人や子ども、船に乗り込んで見送りの家族に手を振る乗客などを見ているだけでテンションが上がるのに、自分自身も乗るのだからなおさらだ。

ロケットスティーマーのチケット

 予約した1等席には、ベッドが2台。一人旅の場合、1等席でも相席になる可能性があると聞いていたが、船が動き出しても誰も来る様子はない。結局最後までひとりだったので、お得な気分を味わった。

1等席はきれい

■風に舞うコーラン

 船は予定通り、18時に出航した。デッキに立つと、吹きつける風にコーランの響きが乗って舞う。何にも変え難い幸福感が体を這った。パキスタン旅行以来、コーランが好きだ。港を離れると、あっという間に暗闇が広がる。夜の船旅は初めてだ。海ではなく、行くのは大河。川だから船は揺れず、喧噪の陸地から一転、静謐な時間が続いた。

出港した船からの景色①
同上②

 部屋でじっとしていることなどできず、夜中に度々デッキに出た。真っ暗な川に吸い込まれそうになる。兄妹らしき子どもふたりがデッキに立って、いつまでも飽きずに夜の大河を見ていた。

 ちなみに船内で夕食(350タカ=約560円)を取ったのだが、写真は残っていない。日記には「夕食はしょぼくて、体に悪そうな油を使ったポテトとか、甘ったるいプリンみたいのとかだった」と記載がある。私は嫌いなものがなく、どこの国でどんなものでも食べるのだが、バングラの食べ物には不満そうな書きぶりが多い。そんなに酷かったかな…。スティーマーの食事より、外の安食堂の方がよほど良かったのは確かだ。

 目指す街はボリシャル。到着は明朝5時の予定である。

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