果てしないトレーニング理論の探求Vol.02

序章

果てしないトレーニング理論の探求などと大層なタイトルつけてしまいましたが、マラソンを始めた当初は右も左もわからない状況でした。
マラソンを経験した当初は理論も何もわからないというか知ろうともしない状態で、とりあえず「マラソンは長い」、練習機会を作る、これしか思い浮かばない状況でした。
今回は、理論云々はなく、まあ序章ですね(笑)。

初フルで手痛い洗礼を浴びる

1番最初フルマラソンを走ったのは大学卒業一年後の篠山マラソン。
当時はマラソンの練習というものは全くせず、ただただ猪鍋を食べよう、という高校時代の先輩の誘いで軽い気持ちで参加しました。
結果は3時間47分台。
よく30キロ以降は地獄を見た、などと形容されますが、自分の場合は20キロ過ぎからマラソンの洗礼を受けました。
そりゃ1時間程度のジョグをたまにしかしかしていないのにいきなりキロ4分くらいで走りだすのですから。
覚えてるいのは沿道の暖かい応援と施設エイドのおにぎり(笑)。
その時はたぶん前半は確実に3時間切るペースだったと思います。
しかしどんどん脚は重くなり、ガス欠になり、歩くしか方法がありませんでした。

3度目の正直

2回目のマラソンはホノルルマラソンでした。
これもほぼ練習はなし。タイムは1回目よりさらに悪くて3時間53分台でした。
これは先輩からの誘いで、初めて海外に行けるというだけの動機での参加。
最後、芸能人の丘みつ子と競ったか負けたか?とにかく完走だけしたレースでした。
そこから3回目が1984年の篠山マラソン。
この時は、さすがに練習はした記憶があります。
とにかく仕事後にとりあえず走りました。内容はとにかくジョギングのみ。
ただ、この頃はまだ大学時代の走力遺産が残っていて、ジョグが速かった、それは記憶しています。今のようにキロ5分台6分台というのは全くなく、走り出せばキロ4分20や30、調子が出てきたらキロ4分くらい。これをジョグと呼んでました。
振り返ればまだ24歳。
大学4年時まではまだ5000mは15分30秒切るくらいだったのでスピード感覚だけは残ってる状態でした。

3度目、そのジョギングだけで迎えた(通算2回目)の篠山マラソンは2時間47分台。
あっけなく3時間は切れましたが、当時はまだサブスリーという言葉自体広まってなくて、正直そんなに感激はなく、とりあえず歩かずに走り切れたことに満足する状態でした。
ここまでは高校の講師をする前の話です。
1984年4月から母校の体育講師になり、中長距離パートの練習を見るようになって、自分の練習から遠ざかりました。

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