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人生でいちばん悔しかった日


銀行で言われたあの一言

みなさんは、忘れられないほど悔しい経験をしたことがありますか。
私は、あります。26歳でローレルの社長になったときのことです。

こんな若い女の人に何ができるの?
君が社長だなんて、従業員は納得しているの?

お付き合いのあった銀行の支店長さんに挨拶に行ったら、シャワーのように罵声を浴びせられてしまいました。

私にとって、あまりに悔しい経験でした。
始める前から、どうしてそんなことを言われなきゃいけないんだって。銀行から会社に戻る道の途中、「今に見てろよ」と唇をかんだことを、今でも鮮明に覚えています。

悔しかったのは、それだけではありませんでした。
私が社長になったことで、従業員が10人ほど、会社を去ってしまったのです。給与も上がらないし、賞与もまともに払えない経営状況。その上、若い女性が社長になることが決まって、きっと不安になったんだと思います。

だけど、悲しんでいる時間はありませんでした。
やらないといけないこと、やりたいことがたくさんあったから。悩む時間があるなら手を動かさないといけないくらい、良くも悪くも追い込まれていました。

ものづくりって、おもしろい

社長になったからといって、毎日が劇的に変わるわけではありません。日々の仕事は一緒だし、売り上げをつくるために走り回るのは、昨日と同じです。変わらない日々のなかで、どうやって会社を変えていくか、ということに奔走していました。

最初に取り組んだのは、お土産ものの生産販売事業から、OEM事業へのシフトです。観光客がどんどん減っていた時代、お土産ものだけで会社を成長させるには限界がありました。利益を生み出せる製品で、工場の製造ライン埋めていく必要がありました。

だけど、当時はまだ北海道のお土産ものをつくっている企業です。
もちろん、自分たちの製品には誇りを持っていましたが、ローレルを知ってくれている人は東京にはほとんどいません。会社を知ってもらい、発注してもらうために、毎週のように東京に出張してプレゼンをしていました。

頭を下げ、お願いして、話を聞いてもらう。
そんな日々を数年間送ったところ、ようやく大企業から安定したお仕事をお願いしていただけるようになりました。

今までは卸先に50個納品していた製品が、1万個、10万個…と大きくなり、どんどん経営が改善していきました。まるで難しいゲームをクリアしていくような日々で、本当に毎日が楽しかった。

OEM事業を成長させるうえでは、若さが武器になりました。
製品を企画しているバイヤーさんたちと年齢が近かったからです。
 プレゼンに参加している競合の多くは、百戦錬磨のビジネスパーソンでした。彼らに営業力では勝てません。でも、共感力なら勝負できます。

こういう製品がかわいいよね。
こんな製品をつくりたいよね。
今、世の中に求められているものって、こういう雰囲気だよね。

ものづくりの当事者たちと気持ちを共有できたことで、少しずつお仕事をいただけるようになりました。

OEM事業を成長させるうえでは、私の図々しい性格も一役買ったように思います(笑)。当初はすでに企画が決まっていて、言われた仕様通りにつくっていたのですが、あるタイミングから逆提案をするようになりました。

製品が売れないときは、「今のままだとかわいくない」とか、「もっとこうした方がいい」と提案をして、アイデアを採用してもらえることもありました。すると、信頼してもらえ、関係性が深まっていきます。ものづくりのおもしろさに気づいたのは、このときです。

 少しでも違和感を抱いた製品は売れない。
でも、違和感を正しく解消していくと、売れる製品になる。ものづくりにおいて大切な“消費者の感覚”は、OEM事業から教えてもらいました。

このままじゃ、社会に必要ない

OEM事業がうまくいっていた中、転機が訪れます。長男が生まれたことでした。以前、お伝えした通り、子どもができたことは、私の職業観を大きく変えました。会社の成長に仕事のやりがいを感じていたのに、売り上げなんてどうでもよくなったんです。

かわいいパッケージで、いい香りで、トレンドを取り入れて…と売れそうな製品を企画すると、どんどん採用されます。

でも、慣れてくると、美容成分の量を少なくして原価を下げるなど、製品のクオリティバランスが崩れるといった逆らえない要望を受けることになります。

企業が利益を得るために、不利益を被るのはお客様。この歪な構造には当時から違和感を持っていましたが、「仕事だから仕方ない」と割り切ってきました。
 
でも、子どもができてからは、我慢できなくなったのです。

目の前にいる、愛おしい自分の子どもに、自分がつくっている製品を使いたいと思えるか?

答えは、「No」でした。
 アップルの新製品は、徹夜組が出るほど、多くの人が待ち望んでいますよね。一方で、自分たちは、誰も待ち望んでいない製品をつくっているような気がしました。

今のままなら、ローレルという会社は社会に必要ないんじゃないか。

そう考えるようになり、自分が毎日使いたいと思える製品をつくるべく、いよいよ自社ブランドを立ち上げることになります。

15年で変わったこと、変わらなかったこと

社長就任から9年が経過していた2009年、化粧品の自社ブランド・LAUREL(現在はSHIRO)を立ち上げました。当初はうまくいかず、初年度の売り上げは70万円しかありませんでした。儲かっていたOEM事業とは、大違いです。

それでもブレずに続けて来られたのは、信念があったからです。世の中に必要とされない製品で利益を得るくらいなら、ローレルはないほうがいい。本気でそう考えて、毎日使いたいと思える製品をつくることだけに集中してきました。

その想いがお客様に伝わったからこそ、今のSHIROがあるのだと思っています。自社ブランドを立ち上げてからの15年を振り返り、改めて「特効薬はない」と感じています。

立ち上げてから最初の数年間は、まだ不安もありました。科学的なエビデンスがあって、効果測定がされた化粧品メーカーさんの原料だけが正義とされていた時代です。

私たちは当時から、自分たちで生産者さんを探して、いただいた素材を自社工場で加工し、100%自然由来の製品をつくっていました。自分たちが試して、本当に体に良かったものだけを使いたかったし、効果への自信はありました。それに、エビデンスを取るために動物を使った実験をすることも、したくなかった。

だけど、「科学的な根拠がない」と言われてしまえばそれまでで、それを跳ね返すだけの実績はありませんでした。不安がなくなったのは、ブランドを立ち上げてから10年ほど経ってからです。

自分はもちろん、お客様にも実際に使っていただいて、肌に良いことをみなさんが証明してくださった。きっと肌に良いはずだという自信が、確信に変わっていきました。

そのタイミングで、SHIROはブランドリニューアルをすることになります。ブランドがスタートしてから10周年を機に、小文字の「shiro」から大文字の「SHIRO」に変更しました。

ご存知の方もいるかも知れませんが、ブランドリニューアルに際して、多くのお客様にさまざまなご意見をいただきました。中には、「以前の方が好きだった」という声もありました。

小文字よりも大文字の方が、存在感があります。
ブランドに確信が持てたこともあって、世界でも通用するものづくりをしたいと意思を込めたのですが、「強いブランドに変わってしまった」と受け取られることがありました。

お客様はshiroという小文字に、「華奢」「儚い」イメージをもたれていたようです。そのため、世界観が崩れたと感じられた方が、「変わってほしくない」とご意見をくださいました。

それだけ多くの方に支持していただいているのは嬉しい反面、意図をうまく伝えられなかったことは、悲しいことでもありました。

正直、SHIROというブランドを畳むべきではないかと思いつめたほどです。お客様を悲しませるためにブランドをつくったわけではないので、存在しない方がいいとさえ考えたのです。

でも、思いとどまりました。
SHIROの製品を信じていたし、これまでの10年と同じように、いや、それ以上に頑張れば、また信じてもらえると思えたからです。

今でも24時間365日、SHIROの将来を考え続けていますが、それでも正解は分かりません。製品のつくり方も、お店のつくり方も、毎日のように変化を加えています。その積み重ねがSHIROというブランドです。

人生も、経営も、答えが存在しない道を歩き続けるという意味で、本当に旅そのものだと思います。

SHIROの製品を使っていただいている方はもちろん、Podcastのリスナーやこのnoteの読者のみなさんにも、私たちの思いが届いていたら嬉しいです。 

(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)

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