2019年12月11日

 本日は大変お日柄もよく、先週の真冬のような寒さと比べてとっても暖かくて素敵だなあと思った。

 吐き気のするようなこの左半身の引き裂けそうな痛みさえなければ。

 首の左の付け根を中心から、血管に針が埋まっているような痛みが走っている。数年前から腰がずっと痛がったが、その激烈な痛みに加えて左の尻から脹脛かけて痺れが追加され、より一層の違和感を感じていた。
 物事を思考する気力さえ奪われている。
 苦痛を忘れたくない。などと日頃呟いているけれど、やっぱり苦痛に耐えられない。痛みを消し去りたい(忘れたいのではなく)。なんとかしたい。と言って、病院に行く気力もない。予約したり、遠かったりなんだりで。とにかくさっさとなんとかしたい。というわけで近所のセブンイレブンの前に整骨院があるので行ってみようと思い立った。

 何度もいうが、血管が引き裂かれるような痛みで、なにも思考できないほどに痛い。左首の根本から左脚にかけて針が詰まったような痛みと痺れ。近所のセブンイレブンの前にある木村整骨院という整体屋があったので、とりあえず行くことにした。

 折り畳みの小さな自転車で6分。窓から院内を覗くと白髪の爺さんと目があった。わたしは目を逸らしてしまった。自転車をどこに止めればいいのだろう。雨除けの屋根がある。ここに止めていいのだろうか。ドギマギしながらわたしは自転車から降りて、ストッパーを右足でかける。一挙一動することに凄まじい疲労感。身体が重い。扉を開ける。狭い空間で息苦しさを感じる。爺さんの目の前に2人組の男女が座っていた。40代の夫婦。説法会のような雰囲気。猫が二匹いる。キジトラが1匹。茶色の毛長の猫が1匹。玄関に獅子が飾ってある。白髪の爺さんがこっちを見る。向かいに座っている患者らしき夫婦もこちらを見る。

《ああ》と、思う。

 牧師と信徒のようなあの雰囲気だ。
 支配する人間と支配される側の人間。
 人を救っているつもりの人間と救われたいと思っている人間の、あの雰囲気。

 その空間を支配している爺さんが「あまりにも優しそうな笑顔」を浮かべて、座ったままわたしにいう。「どうしたんですか?」と。ねっとりした執拗に優しい声音。わたしは自分の身体の状態がいかに苦痛か捲し立てるように説明する。

 すると爺さんは「ハイ。分かりました」と、わたしの話をきちんと理解していない様子で、「じゃあ、ここに記入してください」とチンタラ立ち上がって、受付に紙を出す。《なんで施術師のあんたが呑気に待合室に座ってんだ?》と、思いながら、わたしは愛想笑いをしながら『ありがとうございます』と言って気持ちを落ち着かせる。

 受付用紙を見ると、症状を記入する項がある。どうせ書くなら最初に無駄なことを喋らせるな。と、思って苛立って自分の顔が引きつっているのを少し感じる。

 爺さんが再び待合室に座って神妙な面持ちで座っている夫婦と何かを語り始めようとしている。「気」について語っている。向かいに座っている夫婦は背筋を伸ばして神妙に聞いている。

 なんなんだこのじじいは。と、思いながら問診票に住所、名前、症状(いつから、どこが痛い?)を記入する。目が霞む。書くのが億劫で仕方がない。

 いつの間にか、少なくともわたしより若い感じの男性が、受付のカウンター向かいに来て、わたしの記入する手元を見ている。髪を伸ばしている。後ろをゴムで留めている。無気力に見える。顔に表情がない。能面のようだった。そういえば、会社勤めをしていたときに怒鳴られて仕事をしているとみんなそういう表情になっていた。

 なんとなく院長らしき爺さんを見るとニコニコしながら夫婦に向かって喋っている。気持ちの悪い空気。わたしは出された紙に職業と年齢と住所を書く。職業欄には無職と書く。年齢は36歳。いつからかを書こうとして2018年と書こうとすると向かいにいる男性が「時期が古すぎると保険がおりないので、昨日と書いてください」と言われる。そう言われてわたしは思う。「ああ、整骨院はその程度のところなのだな」と。いつから痛むかというのはとても重要な項であるにも関わらず、そのようにテキトーに書かせるということは根本的な原因を解決するところではないと。

 今日生まれて初めて整骨院というところにきたが、この時点で無駄足だったことに気づいたがせっかく来たのでとりあえず書いて椅子に座る。

 彼ら(院長と常連の客)とは一定の距離を置いて、わたしはジャンパーを脱いで、目の前のソファで丸くなっているキジトラの猫を見る。玄関の扉の前に茶色の毛の長い猫が待機している。誰かが扉を開けるのを待つようにちょこんと座っている。

 すると背骨の曲がったおばあちゃんが扉を開けて入ってくる。「あれ、いいのかないいのかな」と言って固まっている。扉の隙間から茶色の猫が出て行く。おばあちゃんは「ちょっとあれ?あれれ?」と言って出て行ってしまった。爺さんと受付の男性が「あれはなんだ?」と会話をしている。あんたらがきちんと案内しねえからだろ。と思いながら、少し笑ってしまう。

 唐突に院長の爺さんに「あなたはなんでここに来たのか聞かれた」。なんでもクソもない。さっきも言ったように痛いから来たのだ。何度も言わせるな。苛立ちを覚えながら「通りがかりに整骨院があったからです」と簡便に答えた。爺さんは2人の夫婦に向かって「こういう人、多いんだよねえ。はは」などと言ってせせら笑っている。

 わたしはあからさまにウンザリしながら、玄関に置いてある獅子の置物を見る。その横に何かよく分からない文字が書いである札が貼ってある。わたしも、あからさまに呆れた表情を作ってから爺さんの顔を見て、ニコっと笑ってみた。爺さんがわたしを見て表情を変えた。イラッとしているのを見てとって《ざまあw》と思った。

 ソファの真ん中に猫が丸くなって座っている。両端が空いている。爺さんが「軍司くん(わたしの本名)、そこに座って」という。わたしは「はぁ」とため息をつきながら指示通りに座る。右と左。どちらが居心地がいいか聞かれる。どっちもよくなかった。とにかくこの待合室そのものの居心地が悪い。入り口の紫色の座布団に乗せられた獅子舞。待合室に偉そうに座っているあなた自身の存在が気色悪い。わたしの人格についてのご高説はどうでもいいから具体的に痛みを取るために施術をしてくれ。

 唐突に爺さんが最初に来ていた夫婦のうちの男性に施術室に入るように促して、受付の若い男性に「フルコースでやりなさい」と指示する。男性が中に入っていく。

 立って歩いてを繰り返させられて、「身体はどこも悪くない。きみは体力がないね?」と言われたので、『ないです』と答えた。『うつ病でほとんど外に出てないので』と答えた。すると、こんなことを言われた。「きみには妹がいるね?」いねえよボケ。と、即答しそうになったがわたしも一応大人であるので、「弟はいますが、妹はいません」と答えた。すると、院長の爺さんがムッとした顔つきをして、「いいや、実はきみにはいないはずの妹がいたんだよ。きみは知らないだけで」と霊能者のようなことを言い出したので、「い、ま、せ、ん」と一字一句ハッキリと応えた。すると再度ソファに座らされてこう言われた。

「きみの体の痛みの原因はきみの性格や怠惰なところに原因がある。そして、」

 と、説教を始めたのでわたしは、もうここにいても無駄だと思ったので、それを遮って、

「木村さん(院長の名前)、帰りますね。施術は結構です。アドバイスありがとうございました。二度と来ません。さようなら」

 わたしはあからさまにタメ息をついて、「お金払いますから帰りますね。いくらですか?」と言った。すると、爺さんは「お金は払わなくていいです」と急に敬語になった。ふざけやがって。

 ニコニコして扉を開けてクソ整骨院を出ようと思ったが、最後に思いっきり舌打ちをしてしまったのがとても残念だった。

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