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あたたかいシャワーの祈り(2021/04/16)

そういえば、ロボットのような会社勤めをしていた時のわたしは朝の4:30に起きて絶望しながらシャワーを浴びていた。永久にこの温もりの中から動きたくないと祈りながら日々を過ごしていた。なんのために生きていたのかさっぱりわからなかった。

今もさっぱり分からないが、永久にシャワーを浴びていたいなどとは思わない。むしろシャワーなんぞ浴びるのが面倒でたまらない。

今日は朝の8:00に起きた。これでも早く起きたような感じがする。

女性ホルモン剤(ペラニンデポー10mg)を打ちに行く日なのだ。めんどくせえ。2時間近くかかる。道中、わたしはずっと直径約38mmの銀貨をいじっていた。電車の窓を鏡代わりにして。コインをイジイジしている自分が反射している。別に今更、恥ずかしいとは思わなかった。どうせ誰も見てやいないだろうし、見られたからと言って、わたしが何をしているのかなどといちいち気にする人はいないと思う。大抵の人は無関心を装う(特にこの国の人は、わたしも含め、他人に無関心なフリをする)。
だから、コインをいじるのもスマホをいじるのも同じようなものだ。と、わたしは思っている。

ああ。そうだ。女性ホルモンを打ちに行く前に精神科に行ったのだった。最近のことを話した。楽しかったことや、無感情な自分のことや、漠然とした恐怖のことや、仕事のことや、何もできない無力な自分について。

そして、リボトリールとコンサータを処方してもらう。あと、少し仕事が入ったので、その時のために緊張を抑える薬を出してもらう。薬剤名は忘れた。その薬だけ薬局になかったので後日郵送ということになった。届いたらどんな薬か一応調べてみよう。

家に着く。午前9:00に出て、午後の4:00頃に帰宅した。平穏すぎる。無味乾燥。生きているのか死んでいるのか分からない。でも、飯を食うためだけのウンザリするような労働をしていた時より、今のわたしは生きているような気がする。

今のわたしは充実している。

だって最近、歳は離れているけれども、わたしごときが足元にも及ばないほどに才能のある若いマジシャンたちといろいろ会って話をさせてもらったり。あるいはピアノも弾けるし絵も描ける超経験豊富な優しいマジシャンに素敵な道具を作ってもらったり。ほんとうに嬉しい。楽しすぎて怖い。幸せすぎて怖い。助けて。今まで生きていた中で一番幸福を感じている気がする。

幸せ。
わたしの恐れている言葉。
嫌悪している単語。

わたしは幸せを感じれば感じるほど、それがいつか失われてしまう時のことを考えてしまう。わたしの根底にある虚無感は肥大する。

でも、いい。これでいい。わたしは、今感じている幸せと、その内側にある恐怖と絶望をムシャムシャ食べながら生きるのだ。

夜の1時12分。わたしはシャワーを浴びた。永遠に、この温もりに包まれたいと願いながら。祈りながら。

たぶん、おやすみ。

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