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次郎という世界を旅する方へのガイドブック~未完・随時更新~


 


1.はじめに~そもそもなぜガイドブック?〜


みなさんは、知らない土地を旅する時、予備知識なしでまっさらの状態で旅をしますか?
それとも、下調べをして、ある程度もしくは詳しく調べてから旅をしますか?
 
私は若いころは、予備知識なくまっさらな状態で旅することが良いと思っていました。偏見を持たず、人の意見に左右されないで、自分の目で見たいと思っていました。
 
ところが、歳を取ってくると、もったいないことをしていたことに気づきました。知っていれば見に行っただろう場所。知っていれば理解できた事柄。知っていればもっと深く理解して旅を楽しめたと思うのです。そして、言葉だって現地の言葉をひとつでも多く知っていれば、現地の人とのコミュニケーションが広がったと思うのです。
 
なので、今は、出来るだけその土地のことを調べ、出来るだけその土地の言葉を覚えて旅をしたいと思っています。
 
 
なので、あなたの旅の仕方に従って、次郎という世界の旅に出てください。このガイドブックは、次郎という世界を旅する方のためのガイドブックです。ガイドブックがなくても旅はできますが、知っていればなお深く旅が出来るでしょう。次郎の出来ること出来ないこと。次郎の苦手なこと。知ってくださっていれば、避けることが出来るトラブルもあるでしょう。
 
でも、このガイドブックは、いつでも見れるように、そして、必要な情報だけ見れるように目次で必要な情報に飛べるようになっています。どうぞ、活用してください。そして、これを読んでくださった方にお願いです。『自分は次郎のこんな世界を知っているよ』とか『この情報は古い。今はこうだ』とか『わからないことがあったがその意味が知りたい』などコメントを寄せてください。そのコメントも取り入れてより良いガイドブックにしてゆきたい思います。
 
次郎という世界に旅しようとしてくださりありがとうございます。
 
良い旅を!
 
 

2.次郎という世界を旅する注意点


このガイドブックは、次郎と最も付き合いが長い者(次郎が呼ぶところのママ)によって書かれています。もっとも長い時間を過ごしてきた者として、次郎が何に最も苦しめられてきたかを書いておきます。
それは、「本人の為だから、出来ないことは出来るようになったほうがいい。」という価値観です。「出来ないことは出来るようにしてあげたい」という善意であっても、そのことに次郎は苦しめられてきました。本人は期待に答えようと努力したことも記しておきます。
しかし、人(私も含め)に言われて努力したことで、出来るようになったこと、というのは残念ながら少ないです。それよりも、本人が興味を持ち、したいと思い、出来るようになりたいと思ったことは、メキメキと芽を延ばしてきました。
 
自分に置き換えて考えてみます。私は国語や理科が好きで成績もよかったのですが、英語だけはどうしても覚えることが出来ませんでした。『受験には英語が必須』とか『これからの社会で英語が出来るにこしたことはない』とか『第一英語が出来たら便利』とかいくらわかっていても、英語を覚えることが出来ませんでした。その所為で海外に行くという子どもの頃からの夢を諦めていたくらいです。
でも、英語も出来ずに海外に出てみたら不便ではあったけれど、それ以上の楽しさがありました。そして、英語が出来ないままに海外で過ごした経験が、次郎を理解する時に役に立っています。英語の出来ない私は海外では言語障害者です。知ってる単語を発語しているだけの幼児と同じです。そんな私に人々は優しかったです。そして冷たい人は冷たかった(笑)。むしろ、自分が何不自由なく暮らしている時よりも、言葉が不自由な時の方が、人の優しさに触れることが多かったです。
 
だから、言葉も話せない次郎が、臆することなく人に話しかけ、通じたら喜び、優しい人に出会い、しあわせに暮らしていることが理解出来ます。
 
しかし、私の英語は努力不足だと言うことも出来るので、努力しても出来ない例え話をします。
例えば、私に『100メートルを10秒で走ることを頑張れ』と言われたとします。『100メートルを10秒で走れたらオリンピックに出れるよ!』と励まされたとします。まず、私はオリンピックに出たいと思っていませんし、100メートルを10秒で移動する必要が生じたら自転車で移動すればいいし、そもそも私は100メートルを10秒で走りたいとも思っていないし、第一物理的に考えても無理な話しです。
 
次郎の人生には、ずっとそんなことが続いてきたと思ってください。次郎の成長は平均よりかなり遅かったので、常に急かされてきたと言ってもいいかもしれません。4歳で立ち、5歳で歩き、同じ年齢の子に比べて出来ないことが多かった次郎は、同じことが出来るように頑張ってきたと思います。でも出来るようにはならなかった。それはその能力が備わってなかったからだと思います。がんばれば出来ることと、がんばっても出来ないことがあります。そして、次郎はがんばっても出来ないことが多いということです。
 
私はその姿を28年間見てきましたから、いつまで次郎は、人から『がんばれ』と言い続けられるのだろう?と思うのです。もう充分がんばっています。今も精一杯自分の持てる力の全てでがんばっています。
次郎に出来ることが増えれば、ケアする人が楽になるということはあります。今でも一緒に居る私が、楽になりたくないわけはありません。でも、次郎が自分でそれをしたいと思うようになるまで待っています。
 
言われて出来るようになるのなら、もうとっくに出来るようになっています。言われても言われても出来なかったのが、今の次郎です。それを『出来るようになりたい』と次郎が思った時、次郎はそれを出来るように努力をすると思います。
 

3.次郎はIQ18=知能年齢3.6歳


次郎はIQ18です。IQ=知能指数というのは、知能年齢÷実年齢(成人後は20で計算)×100=IQです。例えば 知能年齢が10歳で実年齢が10歳ならIQは100です。この計算に次郎のIQ18を当てはめれば、知能年齢は3.6歳ということになります。
 
買い物をしてお金の計算をし、バスに乗り、料理をする3,6歳って考えられないかもしれませんが、3,6歳が20年分の経験をすればそれらも可能になるのだと思います。
 
次郎は3~4歳には見えないでしょうが、3~4歳の子どもの特徴を持っています。

〇そのひとつが、大人が言う冗談がわからない。例えば数人で食事をしたとして、お会計になって「じゃ、ここは次郎君のおごりね」などという冗談は通じません。本気で心配して深刻な顔になります。本当に心配します。みんなの分を払うお金の心配です。なので、そういう冗談が通じないことを知っておいてほしいです。
 
〇それから、笑うことが大好きですが、歩いていてつまずいた、とか、頭を打ったというような単純な可笑しさで大笑いします。人の失敗も笑います。これには歴史があって、次郎が小学校一年生の時の担当の先生がとても明るい先生で、次郎が楽しく学校生活を送れるようにいろいろと工夫をしてくださいました。そのひとつが次郎が失敗しても「あー失敗失敗」と明るく笑ってくれたことでした。先生自身が失敗したときはさらに大げさに「あー失敗失敗」とお道化てくださり、次郎は大笑いして楽しく過ごしていました。なので、失敗を笑って許し合うコミュニケーションが身についています。
しかし笑える失敗ならよいのですが、笑えない失敗もあるし、失敗を笑われたことに怒る人もいるので、注意が必要です。「これは笑えない失敗(たとえばひどく転んだなど)だ」と、伝えてあげるようにしています。笑ってはいけない場面を理解するというのは、高度な社会性※を必要としますから、まだまだ経験が必要です。
 
※高度な社会性を培うのに、観劇が有効だというとこを経験しました。舞台の観劇(コロナ禍でしばらく出来ていません)をよくしたのですが、最初の頃は、笑ってはいけないシーンで笑うのではないかとハラハラしていましたが、おそらく空気を察して、誰も笑っていないシーンでは笑うことはありませんでした。内容を理解することは難しいけれど、観劇は好きなようです。人がステージで何かをしているのを見ること。願わくば、自分もステージに上がって人に見られたいという気持ちがあります。
 
〇テレビを見ることはほとんどありません。子ども向けの番組やアニメにも興味を持ちません。やっていることが理解出来ないからだと思います。先日2~3歳向けの番組は理解して楽しそうに踊っていました。料理番組、手話講座は興味を持って見ます。
 
〇集中力が5分と持ちません。なにかやっているなーと思った次の瞬間、もうそこには居ません。なので目が離せません。気づいたら飲み物をこぼしているなんてことがよくあります。失敗をしない目配りが必要です。
 
 
〇気持ちの切り替えもなかなか出来ません。先日ボーリングに行って貸し切りだった時の落胆は大きく、気持ちを切り替えるのに随分時間がかかりました。それ以降、ボーリング場へ行くときは電話で『貸し切りになっていないか?』という確認を取るようになりました。
 
〇機嫌を損ねて親をコントロールします。3~4歳の子どもは上手く要求が伝えられませんから、わかってくれないと機嫌を悪くします。そうすることでしか要求を伝えられないからです。次郎も同じように機嫌を悪くして要求を伝えてきます。他人にはそのような行動は取らずいい子にしていますから、親にしかわからない苦労があります。
 
 

4.IQ18だから可哀そう?


結論から書きます。IQ18だから可哀そうだということはありません。
 
想像してみてください。3~4歳の子どもが一日中狭い部屋に閉じ込められ、単純労働をさせられているとしたら可哀そうですよね。天気のいい日は外に出たい。公園で遊びたい。多くの3~4歳の子どもは外が大好きです。家にじっとしているなんて出来ない。次郎は3人兄弟の末っ子ですが、お姉ちゃんお兄ちゃんも3~4歳の頃はとにかく外に連れて出ることに必死でした。それが次郎の場合、ずっと続いています。とにかく家にじっとしていない。
 
もし、知的障害者が可哀そうだとしたら、それは知能年齢にあった対応をしてもらえないことだと思います。
 
私はIQの説明をする時、皆が持つようになったスマホの容量に例えます。
皆が持っているスマホの容量の平均を100ギガだとします。130ギガもあれば羨ましがられるし、50ギガだと不便を感じます。そして18ギガの次郎はとても不便でしょう。
 
でも、不便だけれどしあわせそうです。
 
それは、その18ギガしかない容量に、好きな事しかインストールされてないからです。皆が持っているスマホには、いろんなものが入っているでしょう。必ずしも好きなことばかりじゃない。入るからと、大人からあれもこれもと強制的にインストールすることもあるでしょう。たとえば絵を描くことが好きなのに、そんなことでは食べていけないと絵を描くことを禁じられ、勉強することを強制されることもあるでしょう。
それは、多くの子どもたちに起こっていることです。本人が本当に好きなこと、したいことを禁じたり、苦手を克服することが必要とされ苦手なことばかりやらされるというようなこと。そんなことでは、子どもはをみるみる元気を失ってしまいます。
 
だから、18ギガしか容量がないのに、次郎は好きなことでその18ギガをパンパンにして、今日もワクワクと暮らしているのです。
 

〈大人たちへお願い〉


大人たちにお願いです。どうか、我慢することが人生だとか、苦手を克服しなければならないとか、好きなことをすることはわがままだなんて言わないでください。子どもたちの本当のしあわせを願ってほしいと思います。
そして、将来がたいへんなことになるなどと、怖がらせないでください。将来が大変なことになるようにしたのは大人の責任です。大人が力を合せて将来子どもたちが困らないように頑張るから、安心して、夢に向かって生きていいんだよ、と伝えてください。
 
人間が積み重ねてきた技術は人々のしあわせのために使うことが出来ます。人が作ってきた問題は人が解決出来ます。人は弱いからこそ助け合い、この厳しい自然界で生き延びてきたのです。強い者が弱い者をいじめる社会がおわり、弱い者どうしが助け合う社会になればいいのです。
 

〈子どもたちへ〉


みんな、しあわせになるために生まれてきたんだよ。しあわせって自分の好きなことを見つけて、好きなことをしている時に感じることだよね。自分の好きなことだったら努力だってするし、困難にだって立ち向かえるよね。でも、人に言われてさせられていることって、頑張れないし、苦痛だし、しあわせじゃないよね。
 
悲観した大人の言うことなんて聞かなくていいいよ。悲観している大人は、その人の持つ情報が悲惨なだけで、その人の能力がそうさせているのであって、子どもたちの未来が悲嘆的ではないよ。悲観する大人の頭の中が悲惨な有様をしているだけだよ。
 
君たちの未来は明るいんだよ。
なんたって、もうすぐ大人から支配されなくなるからね。今が辛くても必ずトンネルは抜けるから。必ず大人になるから。
大人になったら好きなこと思いっきりやったらいいよ。好きに生きていいんだよ。だれにも邪魔されずに生きたいように生きていいんだよ。好きなことに夢中になって、しあわせって思える時間をたくさん持ってね。好きなことがあるって素敵だよ。辛いことだって乗り越えられるから。だから好きなことを見つけてね。
 

〈知的障害者をケアする大人たちへ〉


知的障害があるということは、好きなことを見つけたり、やりたいことをやるためのサポートが必要ということです。しあせになるためのサポートが必要だということです。好きなことは言葉だけでなく、表情や態度に現れます。好きなことには目が輝くし、嫌な事はどんよりします。言語以外の言葉をキャッチする感度を上げるつもりで、感性を研ぎ澄ましてください。知的障害者から教えてもらうつもりで、楽しくしあわせな時間が過ごせるようサポートお願いします。
ケアすることは、出来ないことを出来るようにしてやろうと思うことではなく、口うるさく世話をすることでもなく、目は離さず、口は出さず、手を動かすことだと思うのです。もちろんケアする人の頭はフル回転です。なにしろ、知的に不足している部分を知的に補うのですから、知的能力が問われます。本人が指示を出せないので戸惑うことも多いでしょう。
実は誰も経験したことのないケアです。知的障害者を施設に閉じ込めて管理することしかしてこなかったこの国で、ひとりひとりのしあわせを支援することは始まったばかりです。どうぞ、一緒に考えてくださったら嬉しいです。
 
 

5.言語


次郎が発語出来る言葉は10程度です。『しゃべれないことが可哀そう』だとか、『せめてしゃべれたら』などと思われがちですが、次郎が言葉がしゃべれないことを悲しんだり、嘆いたりする姿を見たことはありません。言葉がなくとも、どんどん人にしゃべりかけます。
 
①しゃべれないからこそ楽しい次郎のエピソード
 
ちょっと想像してほしいのですが、海外に行って、その土地の言葉をしゃべれないからといって、嘆き悲しむ必要なないですよね。なんとかコミュニケーションを取ろうとして、伝わった時には、とても嬉しいですよね。
 
次郎を見ていると、しゃべれない不便さより、伝わった時の喜びが大きいので、ちっとも困っているようには見えません。しかも、しゃべれない次郎とコミュニケーションを取ろうとしてくださる方は、おしなべて優しい方です。だから、次郎は高確率で優しい人と出会ってきたと言えます。
 
そして日本語をしゃべれない次郎に言葉の壁はありません。
〇お姉ちゃんが中学生の時、韓国からホームステイの中学生が来たことがあります。私とお姉ちゃんお兄ちゃんはバングル語のテキストを必死に読んで、「トイレはファジェンシーって言うらしい。美味しいはマシッソヨだって。はじめましては、、、、」と、必死に覚えようとしました。
いざ、韓国の中学生が来ると、さっきまで覚えたと思っていた言葉がとっさに出ずに、『はじめまして』が言えず「あわわ」となってしまいました。
お姉ちゃんも同じで、テキストを覗き込んでいます。ところが、その一瞬の隙に、次郎は、玄関に立っていた韓国のお友だちの手をとり、スリッパをすすめ、お家の案内を始めました。言葉はなくとも『ここがトイレだよ』『ここが洗面所』と見せてゆきます。そして、最後にソファーに案内して、『どうぞゆっくりしてね』と座るように進めました。ジェスチャーだけですべて通じたのです。
 
その後も、『お腹減ってない?』とか、『このおやつ食べる?』とか『お風呂入る?』などと、どんどんコミュニケーションをしてゆきました。
 
ハングルでしゃべろうとするから、どぎまぎするし、発音が間違えば通じないし、ぎこちないままの私を尻目に、次郎は最初から、リラックスして楽しそうでした。次郎がそんな様子なので、緊張して来ただろう韓国からのお友だちは、すぐに打ち解けてくれました。
 
〇また、こんなこともありました。
私と次郎と2010年にケニアに行った時のことです。次郎14才中校生の時でした。次郎にとっての初めての海外、しかもアフリカのケニアです。しかし不安に思っていたのは私だけでした。次郎は乗り物を楽しみ、食事を楽しみ、人と一緒に旅することを楽しんでいました。そして、長旅で辿り着いたケニアのホテルで一夜明け、翌日開口一番に言った言葉に私はびっくりしてしまいました。次郎は、ホテルのベッドで目覚めると私を見て言いました。『今日学校ある?』と。
私はのけぞりながら答えました「えーっと、今、ケニアに居るんだよー学校に行くとしたら、また飛行機に17時間乗らないといけないなー」と。でも次郎のことだから、17時間飛行機に乗って学校に行きたいと言い出しかねないと思い直し、付け加えました。「あ、そうそうもう夏休みだよ。学校お休みだよ」と。
その時気づきました。次郎にとって国境はなく、人種もなく、ただ次郎の前に世界があるだけなのです。次郎の前にはワクワクする世界があるだけなんだ。と。
その旅では、障害児の通う学校などを訪ねたのだけど、そこでも言葉は要りませんでした。次郎に寄ってくる子どもたちが次郎をチョンと触る。すると次郎がその子を追いかけ追いついてチョンと触る。するとまた、その子は次郎を追いかけるという、鬼ごっこが自然に始まっていました。
寄宿舎を案内された時には、次郎が韓国の子にしてあげたように、ケニアの子どもが次郎と手をつなぎ、トイレやお風呂を案内してくれました。お部屋も見せてもらったり、そこには言葉は必要ではありませんでした。
 
〇また、次郎は耳の不自由な方とのコミュニケーションにもなにも臆することがありません。
従妹の結婚式に行った時のことです。高齢で耳が聞え辛くなっている方がいらっしゃいました。司会者の「みなさま、ご起立ください」という言葉に皆が立ち上がった時、その方がひとり聞こえずに座ったままでした。私を含めまわりの人もそのことは気づいていたのですが、話しかけて「は?」と言われても困るし、高齢であることだし、座ったままでもよいのじゃないか?と自分を納得させていた時のことでした。
次郎はなんの迷いもなく、その高齢者の肩をポンポンとたたき、振り向いたその方に、手のひらを上に上下して、立つように促したのです。その高齢者もまわりを見渡し、「おお」と皆が起立していることに気づき、「ありがとうありがとう」と立ったのです。
 
 

6.実践編

●言葉

(☆印は分かりにくく頻繁にする表現)
「」内は発語『』内は言語外の表現で伝えた言葉
 
〇「ママ」=もちろんお母さんのこと。日に何度も「ママ」と呼びます
 ママの居ないところで、信頼する人を「ママ」と呼ぶこともあるそうです
 
〇「ババ」=もちろん実際の祖母のこと。そして多くの女性に対しても「ババ」と呼びます。
ママ以外の女性はみんな「ババ」と呼ぶと思っていただいてよいくらい「ババ」と呼びます。「ババ」と呼ばれることを快く思わない方もいらっしゃいますが、嫌だと言われた方には、「ババ」と呼ばないようにはしているようです。
 
〇「アカ」=赤色、それから赤いものすべて「アカ」と言います。信号の「アカ」。トマトの「アカ」いちごの「アカ」イオンの看板の「アカ」、さまざま「アカ」と言いますが状況に応じてなんの「アカ」なのか、想像してみてください。
最近は、通所している事業所にピンクの転倒防止ヘルメットを被っている方がいらして、その方のことを「アカ」と言うことも多いです
 
〇「アオ」=青色、これもアカ同様、青い色のものを指すことが多いですが、アカほど象徴的なものはないです。信号機で「アオ」と言って渡るなどです。信号をちゃんと見れているか確認するために「青になったら教えてね」と声かけすると、「アオ」と言いながら渡ります
 
〇「ブタ」=『肉』全般。豚肉を指していると思われがちだが「ブタ」としか言えないことから、『肉』のことは全部「ブタ」。特にからあげが好きなことから、『からあげ』をさしていることも。
 
 
〇「バカ」=最近は自分を指差して「バカ」と言いうことがあります。すかさず「次郎はバカじゃないよ」と言うのですが、『ぼく「バカ」って言われた』という話しをすることもあります。
次郎が「バカ」と人に対して言うこともあるかもしれません。選ぶ言葉をたくさん持っている人の「バカ」と、10しか言葉を持たない次郎の「バカ」は意味が違うと思うのです。どんな意味で「バカ」と言っているのかを、その言葉の奥にある感情を察してほしいです。
 
〇「カバ」=「カバ」が身近に居ることはまず無いので、「カバ」という言葉を使う機会は少ないですが、「ママ」のことを「カバ」と言ったりします。これはウケるからです。
 
〇「チチ」=父のことをささやくように「チチ」と言います。「チチ」とはっきちした発音は出来ません。実父が大阪に居ることから、大阪のことを「チチ」と呼ぶこともありました。しかし、最近は、男性のことはほとんど「チチ」です。支援してくださるヘルパーさんを「チチ」と呼ぶので、次郎には何人父が居るのだ?という状態ですが、はっきりと発音出来ないことから、そんなにまわりに聞こえる声でないことは幸いです。
 
〇「バチ」=バスのこと。この「バチ」の「チ」ははっきりとした発音です。乗り物が大好きで、バスも大好きだったのですが、このごろは「ダンダン」=電車に乗りたいと言います。バスの運転手さんはひとりで運転しながらの対応なので、手帳を見てもらえなかったり、両替が上手くいかなかったりと、不安なこともあるようです。
 
〇「ダンダン」=電車、電車が大好きで、電車に乗っている時はご機嫌です。駅でテンションが上がります。切符を集めています。次郎が窓口でハンコ(無効印)を押すジェスチャーでおおよその駅員さんが理解してくれますが、私がついている時には「切符の持ち帰りお願いします」と通訳をしてあげます。
「ダンダン」+「シュ!」=急行、早く走る電車のこと。車内放送をよく聞いていて「急行にお乗り換えは次の駅で、、」などのアナウンスがあると『「シュ」に乗り換えるの?』と聞くこともあります。
 
〇「ダー」=雨、降水確率を知りたくてスマホに「ダー」と話しかけて、シリに「何を行っているのかわかりません」と言われていたことも。
 
☆「グー」「グッ」=明日、大人たちが明日の説明を「ひとつ寝たら明日ね」と説明することから、『ひとつ「グー」したら明日』という表現だったものが、「グー」も短くなり「グッ」「グッ」というとても明日とほど遠い表現になっている。しかし、最も多く使う言葉のひとつ。
 
〇「ヴぇ!」=タイムカードのこと。カードを差し込む仕草と一緒に「ヴぇ!」と言う。アヒルが首を絞められるような声で『何事?』と思うが、日中支援で通っている事業所で通所した時に押すタイムカードのこと。
 
〇「イター」+お腹を押さえる=便意。イターと言われるとお腹が痛いと思いがちだけれど、便意のこと。ただし、便の場合介助が必要なので、家以外ではなかなか安心して便をすることは少ない。もし、このジェスチャーをしたら、トイレに連れてゆき「終わったら呼んでねー」と言って、お尻を拭いてほしい。
 
〇「」
 

●ジェスチャー

(☆印はわかりにくく頻繁にする表現)
 
☆『左手の手のひらに、右手の人差し指をパチンとはじく』=PACE(日中支援事業所・次郎が通所している作業所)もともとは、高校卒業後に通所した就労支援事業所での作業で、『和枠はめ』という作業があり、それが、右手人差し指をパチンと枠に何かをはめてゆく作業だったことから、その仕草でその作業所を示し、その後、移転もし、通所する場所も替わったけれど、そのジェスチャーが日中過ごす場所になった
 
〇『右手をポストに差し入れるような仕草』=現在通所している日中支援事業所で主に次郎がやっているチラシのポスティングのこと。右手をアヒルのくちばしのように前後するので、ラップでもやってるように見えることも。私は「その♪チッチキチー♪ってなんだっけ?」ということもしばしば。
 
〇『両手の親指・人差し指を使って何か小さな物のをむく仕草』=ニンニク、次郎はニンニクが大好きで、ニンニクをむくのも次郎の仕事。玉ねぎのこともある。
 
〇『両手を手のひらを下にして出し、両手でなにかを押す仕草』=パン、パン屋さんの実習に行き、
 
〇『頭を右手人差し指でツンツン』=覚えた
 
〇『頭の横で右手をグーからパアにひろげる』=忘れる
 
〇『手のひらを舌でペロリとなめる』=郵便局、切ってをなめる仕草で『切手』=郵便局
 
〇『右手で紙を掴むような手つきでその紙が上にあがる仕草』=レシート、この仕草を会計でしたときには、『レシートください』の意味。必ずレシートはもらう習慣があるので、レシートが出ない場合は領収書(簡易的なものでよい)を書いてもらう。
 
〇『左手を猫の手(丸くして)右手を包丁のようにトントン』=料理
 
〇『左手に右手を重ねて「だー」と言う』=半額のこと。転じて『障害者手帳』のこと。最初の左手に右手をだーと乗せるのは、スーバーで半額シールを貼る様子からきている。それでまず『半額』のジェスチャーが出來、その半額のジェスチャーは、障害者手帳を持っていると交通費などが半額になることから、『障害者手帳』のことに。普段、手提げかばんにヘルプマーク付き定期入れに『障害者手帳』を携帯している
 
〇『』
 

●移動支援


〇エスカレーター 次郎はエスカレーターに乗れません。過去に、エスカレーターに乗れないことを知った人が、次郎をエスカレーターに乗れるようにしようとしてきました。しかし、遠視と乱視のひどい次郎にはエスカレーターは怖いのです。エスカレーターに乗れたらどれだけ便利(エスカレーターしかない地下鉄の駅もありますから)だろうと思うけれど、これだけは無理でした。
なので、階段もしくはエレベーターを使います。エレベーターでは車いす・ベビーカー・高齢者を『お先にどうぞ』としている間になかなか乗れないということがあります。諦めて時間はかかりますが階段を使います。階段は手すりを持って一段一段降ります。
それから矢印がわかりません。一斉に人の波が来ている中で、鯉の滝登りのように、ひとり上っていくことがあります。逆流しないよう矢印を教えてくだい。
なので乗り継ぎ時間は充分とっています。
 
〇電車 電車が大好きで、電車に乗っていれば機嫌がいいです。ホームで駅員さんのように「ヨシ、ヨシ」と安全確認したり、喜び過ぎて奇声を発したりすることもありますが、暖かい目で見てください。一緒に居る人が暖かい目で見ていればまわりの人も安心すると思うのです。
そんなに迷惑もかけていないし、悪いことをしているわけでもないので、咎めることはないと私は思っています。白い目で見られることは稀にありますが、『なにも恥ずべきことはない』といった毅然とした態度でいることにしています。
ホームと電車の間が広い時は、とても怖がるので、乗り降りの時に、後ろから支えます。次郎が電車入り口の手すりを持ち、乗り込む(降りる)時に、後ろから次郎の空いている腕をしっかりと持ちます。肘を下からがっしり持つと、グラつかずにしっかり支えることが出来ます。
電車の入り口の手すりは、人が寄りかかっていて掴み難いことも多いですから、寄りかかっている方に「すいません」と声をかけることもあります。
 
〇切符 趣味で集めています。次郎たちは障害者割引を受けるために、本人確認が必要で、有人改札を通ります。そして、有人改札から出るので、その時に、次郎は切符に印を押す仕草で『切符ください』と伝えます。伝わらない場合は通訳してやります。その際にとても丁寧に対応くださることがうれしいようです。
お陰で、最寄の東大和市駅の駅員さんの多くが、次郎の顔を覚えてくださっていますし、お隣の玉川上水駅のモノレールの駅の駅員さんも次郎の顔を覚えてくださっています。もしも迷子になった時には、顔を覚えてくださっていることは心強いです。有人改札にはモニターがついていて確認してくださることも、もしもの時に問合せることが出来ます。
 
 
〇よく転ぶ 良く歩き回っていますが、バランスが悪いのかよく転びます。歩道が凸凹しているところは、乱視・遠視が酷いのであまり見えていません。段差があるところは「段差があるよ」と声をかけます。また、歩道と車道が狭く、転んだ時に、車道側に倒れるようでは危険なので、平坦な道や、歩道が確保された道など、多少遠回りでも安全な道を選ぶようにしています。
 
〇交通ルールは守る 当たり前のことですが、案外大人できちんと交通ルールを守っている人は少ないです。次郎の場合、交通事故にあった場合、説明できませんから、相手方の言い分が通ります。なので、道を渡る時は遠くても横断歩道まで行くことを守っています。めんどくさいから横断歩道のない所を渡ってしまおうというのは、臨機応援な判断の出来ない次郎に、横断歩道のない所を渡ってもいいと教えるようなものです。
次郎は過去に、車にひっかけられて転倒したことがありました。警察から連絡がきた時にはびっくりしましたが、その場所が横断歩道だったことから、次郎は全く悪くないことがわかり安心しました。もしこれが横断歩道のないところを渡っていたのなら、次郎の過失を問われていたでしょう。しかも次郎は説明が出来ません。
次郎の長い人生を守るつもりで、交通ルールはきちんと守ってください。
 

●家事(料理)


 
〇料理 次郎は料理が大好きです。どれくらい好きかと言うと、次郎が歩き始めた頃のことです。初めて100円ショップに行き、子どもたち3人を「なんでも好きなもの買ってあげる」と解き放ちました。お姉ちゃんはたくさん悩んだ挙句にピンクの髪飾り、お兄ちゃんは車のおもちゃと想像通りの物を持って来ました。
ところが次郎が持ってきたのは、何の変哲もないまな板だったのです。そのただの木の板を持って立っている次郎に、「これまな板だよ。まな板が欲しいの?」と尋ねると「うん」と言いました。なんの迷いもなく。確信も持って。その日から、次郎が欲しがるものは、料理関係のものばかりです。
スーパーで点数を集めると、お料理用具が安く買えるキャンペーンなんか大好きで、お買い物をして点数を集めては、料理道具を安く手に入れるなんてことをしてきました。
スーパーに行けば近所のおばちゃんたちと、『今日のお買い得品はこれ!』とか楽しそうにしていましたし、買い物友だちもたくさん居ました。東京では残念ながらスーパーで買い物友だちが出来るところまではいっていません。
 
料理が好きと言っても全部出来るわけではなりません。買い物に行って、お買い得品から、献立を考えることもありますし、料理の本から選ぶこともあります。
 
いずれにしても材料をそろえることや、料理の手順も口にだして確認します。普段私たちは、黙って自分の頭の中にある手順を実行するので、他の人には頭の中にある手順は見えません。それを私は出来るだけ口にだして、今、何をなんのために、どうしているのか?これはどうなる予定なのか?を説明してゆきます。
ここでは材料ひとつひとつ次郎がどうすれば料理出来るかを説明してゆきます。
◇玉ねぎ むくことは出来ます。『根を切って』とジェスチャーすることがあるので、根を切ってやります。皮をむいたら洗い、半分に切ってまな板に置いてやれば、切ることが出來ます。ただ玉ねぎが目にしみるので途中でリタイアすることもあります。☆玉ねぎの皮を集めています。これは染め物の材料(手拭いを染めるのに使います)になります。袋に入れてとっておこうとするので、捨てないで下さいね^ ^
◇トマト 基本的に、丸いものは転がるので、半分にしてわたします。『どんな風に切るの?』と聞かれると、手本を作ってあげます。
◇長ねぎ 斜め切りは難しいけれど、先日教わったと言ってやっていました。
◇キュウリ 比較的切りやすい。端を切って切り口にこすり合わせてあく抜きをする方法を教えてもらってしていました。
 
◇炒める
炒める順番を教えてあげると、フライパンを振って、上手に炒められます。調味料の量はわからないので、調味料を測ってあげます。

◇揚げ物
最も危険なので、家でもめったにしないけれど、フライドポテトやからあげが好き。
 
料理のサポートで大事なことは、まるで自分で作ったと思う成功体験をさせてあげることかなと思います。二人が台所でぶつかりそうになりながら料理するのだから、ともすれば「邪魔」と言いそうになります。けれど、そこはちょっと我慢して、まるで次郎が自分で作ったかのようなサポートが出来たら最高。
何をしようとしているのか察知して、包丁を持てば危なくないように、丸いものは半分に切って、葉物などは切りやすい量を束ねてわたすなどして、そして、その切ったものを入れるボールをさっと出したり、次郎の動きを見ながらのサポートは案外難しいです。
 
献立が決まっていて、手順がわかっていれば、次郎が自分が出来ることをやるので、次郎が出来ないことを手助けすることが出来きます。
 
まずは、話して説明して、次郎の動きを見て、サポートして、調味料を測って、料理器具を出して仕舞って、高度な料理スキルが要求されると思います。
 
それが難しい場合、最初に支援者が自分が出来ることを言うということも出来ます。たとえば「カレーなら出来る」など支援者が提案することで作業を進めることが出来ます。料理が得意でない支援者には、自分が出来ることを先に伝えることをお勧めします。もしくは出来ないからどうしようか?という相談でもよいです。
 
言葉のない次郎との相談をする時には、とにかく、支援者からしゃべりかけることをお勧めします。とにかく思っていることを洗いざらい話すというくらいに。
 
例えば、自分の夕食はどうするということから、次郎に教えてほしいです。支援者が夕食を食べないとなれば次郎は自分ひとり分の夕食を考えればいいのだというスタートラインに付けます。そして、支援者が普段どんな物を作っているのか?作っていないのか?何なら作れるのか?そんな話しから、次郎がどうするかを決めてゆけます。
 
次郎は実は、コミュニケーションに困って料理本があれば、一緒に相談出来ると考えて、『料理の本を買って』と言ったので買ってあげたことがあります。しかしその料理本を前にしても、料理を一緒に作ることが難しかったこともあります。願わくば支援者は料理本を前にして、その料理本に書いてあることを、片っ端から読んでやってほしいです。次郎には読めないのだから。それを聞いて、作れそうだなとか、材料は揃うだろうか?調味料は今あるもので作れるか?と相談出来ます。
 
支援者が「実は料理は得意ではない」と言うことだってあっていいです。その時は、『ご飯だけ炊いてお惣菜を買ってこよう』など、次郎もアイデアを出すでしょう。
 
ただ出来合いの料理は時にはいいけれど、重なれば健康に影響があると思うので、頻回にならないようにと願っています。
 
食事も食べこぼしがあるけれど、注意して直るものでもないので、楽しく食べらたらいいなと思っています。

片付けは、皿を運ぶなどの簡単な仕事が出来ます。
 
 

●身体介護(入浴支援)


次郎はなぞることが苦手だ。人の動きを真似るということも不得意。ラジオ体操など同じ動きをすることも出来ない。不真面目でやらないのではなく出来ないのだ。
なので、お風呂でまんべんなく自分の身体をタオルでなぞることが出来ない。石鹸の付いたタオルを渡しても、せいぜい右手で持って太ももの辺りをなぞるくらいだ。
 
なので私がお風呂介助をする時の手順はこうだ。
湯舟で身体が温まったら(温まる間に家では歯磨き、髭剃りをしているが歯磨きは次項にゆずる)、湯舟から出て、まず、頭を洗う。
手桶のお湯でもシャワーでも頭にかけることは大丈夫なので、シャンプーをして流したら(泡立だない時はシャンプー2回、次郎が指で2を示し『2回する?』と聞くこともあるので、「2回する」ことを伝える)、リンスをして流す。リンスを流したらすかさずタオルを次郎にわたす。次郎が目を拭くためだ。そしてその目を拭いたタオルで髪の毛もタオルドライしておく。
身体洗い用のタオルに石鹸を付けたら、背中から洗ってゆく。背中、腕、わきの下、胸、お腹までこすったら、次郎に石鹸の付いたタオルを渡しながら「大事な所を洗って」と言うと、大事なところ、それから太ももなど自分で届くところをこする。タオルを返してきたら、次郎が洗い残した足、膝から下までをこする。
それから、お尻を洗うために立ってもらうのだが、手に石鹸がついていると、すべるので、手の石鹸をお湯で流してから、「立って」と伝える。お風呂のふちなどに手をかけて次郎が立つ。お尻の割れ目などを丁寧に洗い、お尻、足の後ろ側の届かない場所を洗う。座った時にすべらないように、お尻をお湯で流して「座って」と促す。座ったら最後に、足を持ちあげて、足の裏を洗う。この時にくすぐったがるけれど出来るだけ、足の裏は洗いたい。一度、入浴後に足が匂ったことから、足の裏を洗うことは嫌がってもするようにしている。
身体に付いた石鹸を流す時には、わきの下など流れない場所は、肩からお湯をかけながら「脇を流すよ」と言うと、脇を広げ手で脇の下をこするので、石鹸が流れる。

再び湯舟で温まったら出るのだか、体をなぞれない次郎は上手に体を拭けない。背中にいっぱいに水滴をつけて服を着ようとするので、背中、他も濡れていないか見てほしい。

服を着る時は、前後ろを何気なく確認してほしい。特に肌着は高確率で前後ろを間違えて着る。上着まで着た後に気づくと、着替えるのもめんどうだし、失敗を指摘されて自尊心も損ねるので、出来れば間違える前に気づいてあげられるとベストだ。
 

●歯磨き


虫歯は支援の失敗だ。次郎の前歯の隣の隣の歯は両方抜け落ちている。20歳までかかりつけの歯医者があり、とても丁寧に治療をしてくださっていた。ところが転居先で5年間診てくれる歯医者を見つけることが出来なかった。痛がらなかったことから気が付けば歯を失っていた。このことは、今でも笑顔を見る度に抜けた歯を思い心が痛い。
 
次郎はなぞることが出来ないことから、歯をなぞって歯を磨くことが出来ない。また舌の動きが悪く、歯に付いた食べものを舌で舐め取ることが出来ない。嚥下が弱いことから、硬い食べ物を好まないことも、歯に付着した食べ物が付いたままになっている原因だと思われる。
 
そこで支援が必要なのだが、歯磨きされることを嫌がることから、磨き残しがあるままに、寝かせてしまうことも多い。歯磨きを嫌がり短時間しか耐えられないことから、歯磨きの回数を数回にわけて、何度でも出来るチャンスがあればするようにしている。
たとえばお風呂に入った時。それが、食事前でも後でもだ。食事の前に歯磨きをしておくと、食べ物の付着が少なくなるので、食事の前も後も歯磨きするようにしている。特に、親の私がすると甘えもあり嫌がることも多いことから、支援者さんには、チャンスがあれば歯磨きをお願いしたい。
 
一番よく磨ける方法は、床にクッションを置き、次郎には上向いて寝てもらい、通常の歯ブラシで上下表裏磨き、細いペン先のような歯ブラシで歯と歯茎の間を磨く。うがいは重曹入りの水(水500ccに小さじ1の重曹)でうがいをすると歯がつるつるになる。
 
 

その他


実は、次郎の健康の為に、食品添加物に気をつけること、洗濯は合成洗剤を使わないこと、香料入りのものは使わないことなど、注意点は様々ある。
けれど、もうしばらくは私が生きて、次郎を守ってやれるだろうから、少しずつ書き足してゆくことにする。
 
未完のまま、公開するので、どうか、このガイドブックの完成に手を貸してください。コメントおまちしています。
 
 
次郎たちの人生が、健康で文化的な最高の生活が保障されますように!
 


書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。