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今日は海老原宏美さんの話をしたいのにケアラーがコロナになった話しになった

12月24日は海老原宏美さんが旅立った日だ。もう一年経つ。聡明で明るくて優しかった海老原さんを失って、今も惜しむ声は大きい。海老原さんの意思を継ごうという方も多いしその仕事を応援もしたい。けれど、海老原さん、やはりあなたは唯一無二の人でした。

この一年で私は何度、天を仰いで海老原さんの名前を呼んだだろう。困り事がある度に。

正直に言うと今もそう。

12月21日次郎が39.2度の熱を出し、歩いて行ける発熱外来が休診日で、市役所に電話をしたりして、結局、熱を出している次郎が歩いてはいけない医院しか見つからず、手持ちのカロナールでしのぐことにした。その間にも、生前海老原さんが『次郎をよろしく』と頼んでくれた施設の施設長が、抗原検査キットや冷えピタや水分補給のいろいろを届けてくれて、心強かった。
12月22日、カロナールが効いたのか、次郎は熱も下がり元気を取り戻したら、今度は私が発熱、倦怠感がひどい。もらった抗原検査キットでは陰性だったものの、発熱外来に予約して歩いてゆく。
スタスタ歩く次郎に私は追いつけず、「待って待って」と私は必死に歩いた。検査が陰性ならば、帰りはタクシーに乗ろう。タクシーに乗る距離でもないのに、それだけを頼りに歩いた。
検査の結果は2人ともコロナ陽性。ああ、帰りもタクシーに乗れないのだ。カロナールをもらってトボトボとなんとか家に帰る。帰ってからしんどかったけれど、翌日元気であれば行く予定だったショートステイのキャンセルや週末の移動支援のキャンセルの連絡をする。もし、コロナ陰性で次郎が元気になれば、ショートステイに行ってもらって私は休めるという微かな期待が消えてゆく。
ケアラーが病気をした時に、使えるサービスはそもそも少ないが、コロナとなってはお手上げだ。誰にもうつさないために、コロナの2人でボロボロになりながら生き延びるのだ。
12月23日カロナールを飲んだお陰でやっと寝れた。関節の痛みや倦怠感から解放されてぐっすりと寝、、、れはしなかった。気がついたら次郎が「ママ」「ママ」と呼んでいる。それはそうだ生活全般にケアが必要なのだ。寝てられない。布団に張り付いた身体を引き剥がしてトイレ介助をする。話しを聞いてあげる。ところが面白いほど、次郎が何を言っているのかさっぱりわからない。「あーあーあーあー」としか聞こえない話に頷きながら、うとうととする。
するとまた気がつくと、私の頭を起き上がりこぶしのように押して、頭がグラグラしているのに気づいて目を覚ます。「なんでそんなことしてるの?」振り向き様に声が出る。でも理由は知っている。退屈なのだ。お腹も減っただろう。でも起き上がってご飯の準備などしてあげられない。
「ごめんねーテーブルの上にあるパンとか食べてね。」と言うと「うん」と食べる仕草で『パンは食べた』と伝えてくる。「偉くなったねー次郎。前はお母さんが寝込むと泣いてたからねーえらいえらい。」話していると、次郎は嬉しそうにする。体温計を取ってくれたり、次郎は甲斐甲斐しく私の看病をしてるつもりだった。さっきの起き上がりこぶしもマッサージのつもりだったのかも知れない。でもとにかく寝かせてほしい。この時私の体温は38.7度。解熱鎮痛剤が効いた状態でこれだ。

次に気づいた時には、次郎が枕元で泣いていた。「おーおー」泣いていた。まるで私が死んだみたいに泣いていた。「お母さん死んでないよー」と目を開ける。すると次郎が涙がいっぱい流れだ顔で笑い返してくる。「お母さん、死なないために寝てるんだよ。寝たら治るからね。大丈夫だからね」『ほんと?』って顔するから、「ほんとだよ」と言う。
そう、二人暮らしになってから10年あまり。たまに私が熱を出して寝込むと、次郎はこの世の終わりのように泣いた。夢の中で『次郎がこんなに泣いているということは、私は遂に死んだのか?』と思うほどの泣き様に、目を覚まされたものだ。お願いだから寝かしてくれよ!

でも、この話しをあまりしたことはない。なぜなら、多くの人は次郎にこう言うのだ。「次郎君、お母さんを困らしちゃダメでしょ」と。それから「お母さんを助けてね」と。それから「お母さんを大切にするんだよ」と。

私は、次郎は次郎に与えられた知的能力以上の力で私を守ろうとし、助けようとし、大事にしていると思う。ただ、じっと寝かせておくことが出来ないのだ。なぜなら、ひとりで居ることが出来ないから。ひとりで何かしようとして出来なくて助けを求めているから。だから、寝ているママを助けようとして、ママを起こして聞きたいことがたくさんあるのだ。

私が死ぬ時には、私以外に助けてくれる人が居てくれることを願って東京に居る。海老原さんが居た東京に来た。海老原さんの知識と経験ととんでもない粘り強さでやれると思った。そうだよね。出来る出来ないじゃなくて必要なんだからやるしかないんだよね。

今はご飯だ。次郎がお腹を空かせてる。私は宿泊療養の申し込み窓口に電話をした。なんとか受け付けてはくれた。また電話をくれると言う。そうしている間に、いつも助けてくれる友人がお昼ご飯を買ってきてくれた。友人はご飯は私が届けるよーと言ってくれる。有難すぎる。でも次郎も気分転換になると思うから、宿泊いいかも?などとメールのやり取りをする。

家は寒いし、汚れてゆくし、2人分の健康管理が出来なくなっていた。荷物を準備するのはしんどいけれど、なんとかここから脱出したかった。

それから都の職員さんから宿泊手配の確認の電話が度々入る。健康状態、それから基礎疾患など。その中で、私は次郎は28歳だけれど重度の知的障害者で同室でないと過ごせないことを説明した。知的障害者に配慮はないとはわかっていたけれど、これまでコロナ陽性者に知的障害者もたくさん居ただろう経験の蓄積はないのかと、微かな期待も込めて伝えた。
何度も電話がある中で、5回目にかかってきた電話で、次郎のことをこう聞くのだった。とても小さな声で「28歳ともなれば腕力はお母さま以上と思われますが、パニックになられたりしてもスタッフが助けられないことを了承いたたけますか?」私は簡潔に「はい」と答えた。するとなおも「夜大きな声を出すことはないですか?」「はい、ありません」「送迎の車で知らない人と同乗することもありますが、知らない人に会ってもトラブルなどなりませんか?」「はい、大丈夫です」

28歳知的障害者のイメージはこれか?これが都の職員さんの認識なのか?もちろん、細分化された仕事をスムーズに運ぶために苦慮されているだろうこと、与えられた職務を全うしていることは感謝して余りある。

でも、失礼じゃないか?28歳知的障害者は、暴れる?力が強い?手に負えない?どんな偏見を持っているのだろう。確かにこれまでの政策が障害者を閉じ込め管理することを福祉としてきたことから、閉じ込められればストレスを募らせ、暴力で押さえつけられれば暴力を返す場面もあっただろう。それは支援の失敗なのだ。行政の失敗からくる障害者の偏見を行政が頑なに信じていることの愚よ。

それでも20時には、翌日の午後には宿泊が出来ると連絡が来た。次郎にそれを伝えると喜んで絵本や蜜柑を用意し始める。『絵本2冊持ってくと重いから一冊にしたよ』とお気に入りの絵本をカバンに入れている。可愛い。この子に何をすれば暴力を振るうようになるというのか?

12月24日 さあ、張り切って次郎は起きる。私は起こされる。次郎は好奇心旺盛で楽しむことが大好きだ。今日も何が始まるかワクワクしている。そのワクワクに引っ張られ私もノロノロ荷物を作る。熱が下がり倦怠感が引いた今日でよかった。なんとか準備を進める。と、コロナと知った友人から荷物が届く。開けるとレトルトやインスタント食品、飲み物など、ぎっしりの食料が詰まっていた。これまた大助かりで、早速次郎は温めるだけの牛丼を喜んで食べた。

こうして書いてゆくと、なんて私たちは友人に恵まれているのだろう。助けられてばかりだ。

送迎の車に迎えられて、私たちは無事ホテルに着いた。次郎は送迎のクルマがタクシー(中を改装していた)だったことに『びっくりしたー』と言い、ホテルに着いて『ホテルに連れてきてくれてありがとう』とお礼を何度も言った。

実は私は高所恐怖症と閉所恐怖症が出ないか?内心怖かったのだ。そのことは伝えていたけれど来てみれば9階の窓の開かない部屋で、これから4泊5日大丈夫か?と顔面蒼白になりそうな気持ちを、次郎がワクワクと飛び越えさせてくれた。

次郎が一緒じゃ休めないじゃん。って思ってた気持ちが薄らいで、もしかして、私を全力で支えてくれていたのは次郎だったのかも?と振り返る夜更け。

海老原さーん、障害当事者がコロナになって入院した場合、普段から慣れた介助者が付くことは認められる様になりました。でも、ケアラーがコロナになった場合はコロナになりながらもケアは続けるしかないですー。どうしたら、何から変えたらいいですかー?

ダメダメ!せっかくやっと軽くなって好きなところに行ける様になったのに。ごめんごめん。

私が思うに、ひとつには、福祉従事者が海老原さんの様な感性を持つことかな?ということだ。どういう感性かと言うと、ちょっとのサインをキャッチして「大丈夫?」って声をかけるってこと。そんなこと誰でも出来ると思うでしょ?ところが福祉の仕事をしてるからって声をかけるとは限らない。もっと言うと、福祉の仕事だからこそ「大丈夫?」って気安く言わないのだと気づいた。なぜならそれを聞いて大丈夫じゃない場合、助けなきゃならなくなるから。出来るだけ大丈夫であって欲しい。大丈夫なはず。そうやって仕事を見ないことにしている人は多い。意識するとせざるに関わらず。なぜならば、普段の仕事で手一杯だから。

海老原さん、やはりあなたは特別でした。帰ってきて!いや、ダメだごめん、取り乱してごめんなさい。

取り乱しついでに言っちゃうと、今ね私、スタンダップコメディっていうのをやってるのw 不幸+時間=ネタになると言う、私にぴったりの話芸を見つけたの。

踏みつけられた経験を全て笑いにして社会に返してゆくからね。笑いながら社会を変えてゆくからね。見ててね!来年の今日にはもっとすごい報告が出来ると思う。期待しててね。

最後に海老原さんのnoteの紹介です。
ぜひ、出会ってください!









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