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私を救ってくれた私の中のコメディアン


 
 もう限界!って時は、人生で何度かあった。
 
 
私は第一子をアフリカで産むという通常理解しがたい行動をしているのだけれど、出産は何処でだって命掛けだ。当時のパートナーが付き添ってくれて、ケニアの産院で陣痛に耐えていた。周りでは、日本人の私から見たら、それはそれはたくましいアフリカ女性たちが、「ママー」と叫び、「神様ー」と叫んでいた。そんな中私はただただ、襲ってくる痛みに耐えていた。
 
これがあの有名な陣痛か!と、これが母たちに「私のお腹を痛めた」と胸を張らせる陣痛か!と、世界中の母たちに尊敬の念を抱くとともに、身もだえながら苦しみと闘っていた。
 
その時、当時のパートナーは私の手を握り「大丈夫やからな」「大丈夫やからな」と言ってくれた。
 
私は思った。
 
「そう言うあんたこそ大丈夫なんか?」(笑)
 
 
さすがに声には出さなかったけれど、私はひとり脳内で突っ込んで、脳内で笑った。この笑いが功を奏したのかどうかは定かではないが、その後私は元気な女の子を産んだ。
 
 
このパートナーとは5年一緒に居て、三人の子どもに恵まれた。
 
余談だけれど、ワンオペ育児をするチンパンジーは5年に一匹しか子どもを産まないという。人間は、共同育児をすることにより、毎年でも妊娠できるようになり、繁殖してきたらしい。
 
私は、ワンオペ育児で5年間に三匹、いや三人産んでしまった(笑)
 
なにが言いたいか?というと、ワンオペ育児で5年に三人は、チンパンジーだって無理だとわかっていることを、私はしてしまったということ。
 
ひとりで限界までがんばっている時に、子ども3人を連れて母子心中したお母さんの話が流れてきた。私も他人事ではない。どんなに苦しかったろう?それは私だったかもしれない。
 
私は、もし自分だったらと想像した。もし私が子ども三人を連れて無理心中をしたら、パートナーはきっと「どうして?」と泣き崩れるだろう。
 
そしたら、私は化けて出て「お前の所為だ」と言ってやろう。(笑)
 
そう思ったら笑えてきて、もう少しがんばれそうな気がした。
 
 
子どもの成長と共に、体力的な負担は軽くなっていったけれど、反対に、末っ子の障害に関する行政とのやりとりには精神を削られていった。
 
日本の福祉行政は申請主義で、自分から申し出なければならない。教えてもくれない。自分で、制度を調べ、うちの子はこれがあてはまるんではないかと福祉行政の窓口を訪ねる。そして、申請書をもらうのに、また一苦労、「お宅の場合、申請書を出すだけ無駄ですよ」なんて言われながら、もぎ取るように用紙をもらって、申請したらあっさり通ったなんてこともある。
 
最近流行らなくなったけれど、時代劇そのものだ。まるで私たちは薄汚れた貧乏人で、役所の職員に向かって「お代官様、おねげーですだ。うちの子を、うちの子をどうかよろしくおねげーしやす」って、マジでこんな感じだ。
 
人権とかプライドとかかなぐり捨ててかからねばならないから、いろいろな申請時期が重なると、マジ沈み込む。なにしろ、その申請の内容は、障害のある子のために、どれほど困っているかを訴えさせられる作業だからだ。
障害のある子のケアの為に、親は行きたいところにも行けないし、したいことも出来ないなんて、見りゃわかるだろ!あ、いけないコメディアンとしたことが、怒っちゃ負け(笑)
 
どんなに言っても、わかってくれないとなると、私の人権軽視されてるってことになりませんか?え?また怒ったから負け(笑)
 
あ、そもそも女性の人権が母親になった途端なくなるんだった。「好きで生んだんでしょ」の一言で、トイレにもいけない、風呂にも入れない、寝られない日々が始まる。あ、もっと言えば、女性にそもそも人権ってあったっけ?てな話し。
 
 
 
んがーーーーーーーっ!
 
 
 
 
もう笑うしかない(笑)
 
 
ってなわけで、私はスタンダップコメディアンになったのでした(笑)
 
 
愛は地球を救うかどうかはわからないけれけれど、笑いは地球を救うと私は思う(笑)
 
 
そんなわけで、

2023年9月30日14時から東京都立川市でスタンダップコメディショー企画しました。
 
私がオープニングアクトを勤めます。
このブログに書いたことをスタンダップコメディにします。
ぜひ、見届けにきてください。

おまけ画像 ↓↓↓

次郎が撮るとぜんじろうさんが切れてる
「次郎がお母さん好きなのはわかるけど、ぜんじろうさんを真ん中に撮ってね」と
撮り直したのが、タイトル写真
ぜんじろうさんと次郎。Wじろうでデビュー間近?!(笑)

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。